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夢であいましょう

昼過ぎに母のグループホームに寄ると末期ガンの母はいつも食事中だった。
横に座ると「昼ごはんは食べたか?」といつも母にきかれた。
「食べたよ」と伝えるとすぐに「これを食べろ」と自分の食べかけを私に差し出す。
耳の遠くなった母に、腹に手を当て「済んだ!」と伝える。
毎回これが三度ほど繰り返えされる。
すると隣のおばあちゃんが「兄さんいい男だね、アンタ誰だい?」
この人の息子と母を指差すと「似てないね」と。
これも毎回三度。
毎度のアルツハイマーの母とおばあちゃんとのやり取りである。
でもおばあちゃんはいつも四度目には「やっぱ似てるわ。」と。
そして私が両目を指差し「似てるでしょ。ほら、二つある」でテーブルのおばあちゃん達が笑い昼食は終わる。
明るいグループホームで母は最期の時間を過ごした。

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毎月二度、もしくはそれ以上母と兄に会うために足を運んだ。

流行り病で突然施設は面会禁止となった。
余命ひと月と言われて二年間それまで以上にペースを上げて母のもとに通った私に、この面会禁止は心身を楽にし、同時に肉親の介護ということを改めて考えさせた。

金と時間をかけて身を削り続ける私の行為は母や兄のためなのか、自分のためなのか、、
誰もが突き当たる介護の問答かも知れない。

NHKの特集番組でずいぶん前に目にしたスウェーデンの老人ホームに独り暮らすおばあちゃんへのインタビューをいつも思い出す。
「あの子たちの人生を私のせいで変えてしまうわけにはいかないから」
寂しさを問うたこのインタビューに制作者の意図はあったのではないだろうか。



介護する人、される人、私は高齢者介護の本質はここらへんにあると思っています。
10年以上に渡ってしまった私の両親の介護の経験から思うところです。
じゃあ、どうするんだって問いには「思い残すことのないように、思うようにやれよ」と言います。
介護も人生の一部、自身で気付くまで続けるしかないのです。

ただ、タイミングを見逃さないことも肝要です。
私はこのことに関しては今の流行り病に感謝しています。
この病が無ければ今なお一人っきりで家族を巻き込みながらもがいていたかも知れません。

気付き、その先はケースバイケース、出たとこ勝負で努力、前進です。
そして大ざっぱな几帳面な人間になりましょう。
なるようにしかならないのが人生ですから、、それに気づくまで、、、

子は親となり、親は老いる。
老いても親はいつまでも子の心配を続ける。
両親にはいい経験をさせてもらいました。

今思うのは、
ゆっくりしてください。
夢の中で皆と会いましょう。
50年前の豊川の社宅の四畳半でちゃぶ台を囲んで皆で食事をしましょう。


山の麓にある施設にいる兄の部屋から地平線が見えます。
その向こうは太平洋です。

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