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『野分』で思い出す

野分は秋に吹く強い風です。

台風ばかりではありません。

子どもの頃、道のすべてが舗装されてはいませんでした。

雨上がりの朝、水たまりで遊びながら登校したものです。

風雨の強い朝に原っぱの草が風でなぎ倒され、雨に濡れていたのを記憶しています。

そんな時の風が『野分』なんですね。


高校の授業で、漢文と古文が好きでした。

漢文では唐詩が好きで、岩波文庫の『唐詩選』 を一時期いつも持ち歩いていました。

杜甫の『春望』、 国破山河在城春草木深…… を一番気にいっていたかも知れません。

漢字の意味で探る作者の意図を時代背景とともに思いを馳せ、 日本語なれどもその書き下し文の耳から入る音の美しさに惹かれました。

古文は『源氏物語』、桐壺の巻の『 野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど』 だけを今でも記憶しています。

古文の鈴木千恵子先生が『のわきたつ』『のわきだつ』でニュアンスが変わることを教えてくれました。

なんとも日本語の面白さを感じた一瞬でした。

古文の面白さを教えてくれて、 古文を好きにしてくれたのはこの鈴木千恵子先生です。

ついでにこの鈴木先生を私は好きでした。

もちろん年上で人妻でもありました。

恋愛感情ではなく敬愛だったのかも知れないです。

たくさんの先生と出会いましたが私が心を動かすようなことを教えてく れた先生はほんの少しだけです。

この『野分』 で日本語に深く興味を持つようになっていったのです。


そして、野分で思い出すのは伊勢湾台風のことです。

私はまだこの世にいませんでした。

生まれたばかりの兄を背負って飛びそうな自宅の引き戸を必死に押 さえたと母に聞いたことを思い出します。

最近当たり前のようにやって来る巨大台風、 今と住環境は違うものの一日で死者・ 行方不明者5千人超という伊勢湾台風は不謹慎な比較ではありますが新型コロナでのこれまでの国内死亡者が4万4千名であることを考えるとい かに強力な台風であったかがわかります。

しかし、それも『野分』、 桐壺の巻も『野分』です。

『白頭掻更短渾欲不勝簪』 白くなり薄くなった自分の頭を鏡で見ながら日本語の懐の深さをし みじみ感じています。

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