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梅雨の紫陽花 (つゆのはな)

この時期、どこにでも目にするアジサイの花。
実は、私はアジサイの花が好きではない。

きれいだと思えるのはほんのひと時、その後が良くない。
散るのが当たり前なのはどんな花でも同じなのに、このアジサイは一番後味の悪い花のような気がする。
ほんの少し前に咲いた桜とあまりに違う往生際の悪さである。

今年の桜も例年のように目にすることは無かった。
流行り病のために愛でてやること無いなかを、寂しく散っていったのだろうか。
しかしながら、私は本来桜はそんなふうに人知れず咲き、散っていくのが似あっているような気がする。
誰かに見られるために咲いているのかわからない山桜のように、人に見られていてもそうでなくていつもの通りに咲き、いつもの通りに散っていく。
よく桜の花を形容する『凛々しさ』にはそんな孤高な美しさも含まれているのではないだろうかと思う。
花を人生に当てはめて、そんな在り方を誰もが無意識に求めているから桜に人気があるのではないだろうか。

武士が投票したらナンバー1の桜とワースト1のアジサイ。

桜は見上げて胸を張って歩く、背の低いアジサイはうつむき加減で歩きながら見る。
不思議だが、アジサイは投票の集まらない要素ばかりを持ち合わせてしまっている。

でも、しばらくは仕方ない、瞬間の美しさで梅雨の鬱陶しさを忘れさせてくれるアジサイを敬意を持って眺めてやろう。

そして色が変わり枯れて朽ち果てるまで毎日オレのこの目に焼き付けてやろう。

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