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JR西日本 大阪環状線森ノ宮駅

大阪城公園駅を南下し、右手に公園の緑を見ながら走るとすぐに到着するのが森ノ宮駅である。
大阪城公園のメインの入り口となる。信号を渡り公園の入り口からまっすぐ見ると噴水がありその対角方向に大阪城が見える。上手に設計してるなといつも思うのである。

さてこの森ノ宮、大阪城公園の対面(環状線の反対側)に大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)の車両検査場がある。11ヘクタール(11万㎡と置き換えてもピンと来ないですね)の広大な大阪市有地がある。
最近この用地の有効活用が具体的に決まり始動しているようだが、現役を離れた今になってはそれほど情報は入ってこない。

1990年、平成に元号が変わったばかりの頃に大阪ドームの設計・施工を決めるコンペがあった。運営まで含めた当時まだ珍しいコンペで、企画力ある大手広告代理店・ゼネコン・設計事務所でチームを組んでのコンペであった。私がいたゼネコンは東京本社の大手代理店と大阪本社の設計事務所と組んだ。その頃カナダのドーム建設専門の会社と共同出資の会社を持ち、独自のスタイルのドームを計画することが出来た。

最初は計画地が決まっていなかった。候補地として3カ所上がり、三つの提案書を作ったように記憶する。
最終決定した今の京セラドームのある『大正』、『大阪城公園内』そしてこの『森ノ宮車両検査場』の3カ所だった。

当時こんなカンジのことを計画する際に、大阪市の建設関係で一番エラかった方はヘリコプターに乗り込み腕を組み市内を見渡し「あそこらへんがへこんどるなぁ」と言って未開発の地域に白羽の矢を立てたそうである。
森ノ宮はさほど悪い場所ではないのにパッとしないエリアであった。

日本の土木・建築技術は目を見張るものがある。11ヘクタール全面に人工地盤を作り、現在の検査場を活かしたまま全く違う業態の施設をその上に作ることだって可能なのである。
実際、京都のある元気の良い私立大学の学部移転を計画しかけたこともある。しかしその大学は元が京都であることと、少子化に向かう今後を考慮して最終的には京都、大阪の間あたりで決めてしまった。お客さん・・・・である子どもを両都市から呼び込み易いという理由をあとで聞いた。

3候補地の中から大正で大阪ドームの建設地は決まった。大阪市や大阪ガスの所有地であった。
すべては出来レースの世界、お上の定めた道を歩かねばならない世界は建設業界ばかりではなかったはずである。

余談ではあるが、今の大阪万博記念公園はもともと大阪の私鉄の所有地であった。それを万博開催を希望したものの適当な場所が見つからなかった府はその鉄道会社に話をつけたのである。鉄道会社は代替に茨木市の辺鄙な山をもらった。半世紀過ぎ、モノレールが伸びてやっと人の住む街になりつつある。都合によって建前ばかり言う行政にはそんなわがままな部分もある。

森ノ宮の車両検査場の一部には大阪市大と大阪府大が統合された大阪公立大学が出来るようである。
まだ残る残地にもどこかの誰かが机上の計画を立てているのだろうが、誰でも予測できるように人口減少していくこれからの時代、梅田、天王寺も遠くないこの場所で 何を連れて来て、どうやって金を生もうと計画しているのだろうか。

公費を使うのであればそんな新規事業より老朽化のインフラ再整備に本腰を入れるべきではないだろうか。

森ノ宮には悲しい思い出がある。
だから新しい街として生まれ変わってくれてもいいが、SDGsじゃないけれど、いつまでも大事に使うことを考える時代だと思う。
森ノ宮駅周辺はこれからどのようになっていくのであろうか。

大阪城から見える大阪ビジネスパーク(OBP)

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