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夏の稽古『稽古照今』

平成四年の夏の終わり、今からちょうど30年前に合気道本部道場の故佐々木将人師範から頂いた色紙です。
個性的な師範が多かった中でも異色の存在でした。
神主も務められ、東京ディズニーランドの着工式に真剣を抜き八方切りで祓い、神事を行った方です。
戦後のどさくさに弁護士、政治家を目指し、その後、防衛庁に入職し事務官時代に合気道創始者の植芝盛平と出会います。そして防衛庁を退官して日本最初のスパイ養成学校を設立、CIAに目を付けられたと本人からお聞きしました。
当時、城西大学、亜細亜大学の合気道部の師範をされていました。現在の本部道場師範の横田愛明師範、小林幸光師範は大学時代からのお弟子さんです。

その頃が合気道の一般への普及のなか、学生に根付かせていずれ社会にその根を広げようとしていた時代でした。
二代目合気道道主植芝吉祥丸先生はそのような固い信念のもと「大学への指導者派遣は赤字でも行う」と私たち学生を大切にしてくれました。
そして、私たち学生は本部道場の稽古で稽古料は取られることなく、多くの先生方、指導員の稽古を受ける恩恵にあずかることが出来ました。
しかし、厳しい稽古のため、学生の姿を見かけることは多くはありませんでした。

そんななか、毎週土曜日朝8時からの稽古指導が佐々木先生のご担当でした。
盛平翁の話、過去経験されたさまざまな話、合気道感など話が面白い一風変わった稽古時間でした。
こんな書き方をすると口ばかりが立つ大した方じゃないように思われるかも知れませんが、過去に実際の生死の場を切り抜けてきた人です。技は切れました。私たち常人と手足の大きさが違いました。よく「畳を足の指ではがす気持ちで立て」と言われましたが、この佐々木先生ならば本当に出来るのだろうと思ったものです。
私の学生時代、東京でもっといろんな経験がありました。

この佐々木先生が平成四年に来阪されました。当時新聞社の大阪支社にご転勤になっていた方を和歌山での稽古指導の帰りに立ち寄ったとのことでした。
その方から会社に電話があり手短に事情を話してくれて、「会議が長引くからその間先生の相手をしてくれ」とのことでした。
新聞社の応接室で久しぶりに佐々木先生にお会いし挨拶し「あんた、こんなところにいたのか」と言われ、黒塗りの社用車で北浜の料亭に案内されました。
「席だけ取った、何も注文してないからあとは頼むぞ」と送り出されたのですが、そんな料亭に入ったことはまだなく注文に困っていると、佐々木先生から「宮島君、こんな時には合気道的に『竹』のコースを頼むんだよ」と言っていただき、人数分頼んで楽しい夜を過ごすことが出来ました。

その時に頂いたのがこの色紙です。

稽古照今 けいこしょうこん

いにしえかんがえ今に照らす

過去の出来事や先人の教えから学び、現在の事象に照らし合わせて教訓を活かすことです。

佐々木先生が補足して

みちもとはじめにもどることなり

と、記してくれました。

合気道に限ることではないでしょう。
全ては基本にあります。
迷いがあれば基本に戻ってみることです。

そして、武道の稽古は本来天然冷暖房の道場で行うものです。
『心頭滅却すれば火もまた涼し』という言葉はありますが、私の場合はただただ、暑さ寒さよりも稽古の厳しさが勝っていた、それだけです。

この異常な暑さの中、時折この夏の終わりの一夜を思い出します。

時に触れ、この色紙を見て気持ちや考えの整理をします。
私には大切な一枚の色紙です。

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