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雨と匂い

雨の匂いが雨降りがやって来るのを教えてくれる。

大学に行く前に働いていた豊橋の魚市場。
水とは縁の切れない仕事ではあったが、頭の上から落ちてくる雨は誰もが嫌だった。
早い早朝の市場の駐車場は車はまだ少なく夜の空気で冷えたアスファルトがひんやりして気持ちよかった。
荷下ろしを待つ長距離トラックのアイドリングするエンジン音とともに流れ出る排気ガスの匂いは今も私の鼻孔に残っている。

そんなにおいと一緒に、いつも降り出す前の雨の匂いを感じていた。
「ああ、今日も濡れるな」と思い空を見上げていた。
セリの前に行く市場の食堂では頭から雨で濡れた男達が半分カッパを脱いだまま、額の汗を拭いながら、熱い飯と味噌汁をかき込んでいた。
肉体労働が生きる対価を得る唯一の手段と信じこんでいた私は目一杯身体を酷使して早朝から働き、夜は酒を飲む怠惰な生活に浸りきっていた。

そんな生活と別れた時にも雨の匂いを感じていた。
大学進学に未練を残していた私はその意思を一年半の間、世話になった仲買の大将に伝えた。
大将は喜んでくれて最後には祝いまで持たせてくれた。
そして付き合いのあった隣の仲買で働く先輩が豊橋の街に飲みに連れて行ってくれた。
ぐでんぐでんに酔っ払い車を市場の駐車場まで運転して帰ってきた。
「出てけるお前が羨ましい」と、そこで殴り合いの喧嘩になった。

雨の匂いで目が覚めたのである。
深い酔いの眠りから目覚めさせたのは雨の匂いだった。
頬に当たる雨の冷たさも地から湧き出るようなアスファルトの冷たさも心地よく目が覚めた。

いつも雨の匂いが雨降りがやって来るのを教えてくれる。
雨の匂いは若かったあの頃の記憶が私の心にいつまでも残っていることを教えてくれる。


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