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生きるためにやって来た仕事のはなし

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なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です
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#昭和

ほたるのはなし

季節外れのはなしで申し訳ない。 暑い暑い夏の夜に飛び交う『蛍』のはなしである。 note の『傘わっしょい』さんの短歌が好きで、毎晩一首づつ読ませてもらっている。 その中にある昨年末の短歌が私の記憶の引き出しに手を掛けた。 短歌 壁ホタル 人感センサーライト センサーの狂ひし蛍のやうにしてわれはありなむたれからもひとり の『狂ひし蛍のやうにして』とセンサーを蛍に比喩されているのだが、たった一度だけのこと、それも生まれて初めてたくさんのホタルの群れに包まれたことを思い出

昭和のおもひで

故ドナルド・キーンに捧げる(ごめんなさい) 食べることが好きで、料理が好きで料理を食べている人が出てくる本をたくさん持っていた。 レシピ本が好きなわけではない。 食関連のテレビ番組も好きで時々みる。 大食いや無理食いは好きではない。 NHKの『サラメシ』を時々みる。 ちょっと前の『サラメシ』に日本に帰化した故ドナルド・キーンが登場していた。 すごいアメリカ人だなぁ、と思いながら三島由紀夫について書いている本を読んだことがある。 大学時代、練馬の陽当たりの

酒を片手に考えた

ゼネコンの営業マンだった私は毎朝『日経新聞』を片手に満員電車に飛び乗って会社に向かう生活を送っていた。 普通のサラリーマンを辞めた今も日経が気になる、一年ほど前から電子版に変えたが、、 3月11日で東日本大震災から10年を迎える、日経がこれまで行われてきたインフラ整備の検証のような記事を書いていた。 これまで37兆円が投じられ、被災の中心となった岩手、宮城、福島三県での県内総生産は全国平均より高くなった。 まだ原発の大きな問題が残っているものの、インフラ的にはかなりの

この世から無くなって欲しくなかったもの  『半ドン』

このピンボケ写真は私が初めて社会人となったゼネコンの京都営業所の事務所内、1985年昭和60年のものである。 パソコンは無く、電話は共用で、伝票帳票での経理処理が当たり前だった。 もちろん携帯電話なども登場する前だった。 『半ドン』、この死語と化してしまいつつあるこの勤務形態は当時の私には嬉しく、わくわくする待ち遠しい時間であった。 高度成長期は終わり、世の中は安定してバブルに向けて時間は動いていた。 仕事は忙しく事務所の3階にあった寮の自室に夜10時前に戻れること

この世から無くなって欲しくないもの(昭和のにおい)

本当の『鳥瞰図』って見たことありますか? タケコプターを頭にのっけたクロネコさんが宅配便を持ってくる時代がすぐそこに来ています。 スマホで衛星写真を誰でも見ることが出来て、ドローンも当たり前になった現在、この『鳥瞰図』なんて面白くないもので、その気になれば素人の私たちでも簡単に作れるものかも知れません。 昭和60年に社会人となり、営業に移ってからのことです。 建築雑誌でこの『鳥瞰図』を描いた石原正さんのことを知りどうしてもこの『鳥瞰図』をプレゼン資料に使いたくてアトリ

きえつつあるのか、昭和の火

故あって八尾市に移り住み、8年目となりました。 どこの地方都市でも同じでしょう、狭い道路を路線バスが走りおじいさん、おばあさんたちが乗り降りします。 路線バスは自家用車を手放せば高齢者の方々には必要不可欠な公共交通機関です。 その光景を見るたびに思い出します。 友人の話です。 大阪の私鉄沿いの北摂の大学で、学生の通学用と周囲の歳を重ねたベッドタウンの高齢者の足のために1時間に1本しか走ってない路線バスの増幅の話が持ち上がり、大学がその友人に相談してきたとのことでした。 友