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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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#梅雨

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

梅雨と天ぷらうどんの海老との考察

未だ梅雨入りしない関西地方。 降らねば困る雨ではあるが、降れば大雨の昨今の天候に今年も誰かが困惑するのではないだろうか。 宇宙から見たら小さな惑星地球の中で絶対量の決まった水分が、ある時は海であり、ある時は大地に染み込み、ある時は氷にも雨にもなる。 私にはよく分からないがその均衡が壊れてしまったように最近の空を見ていて思う。 足し算と引き算が上手くゼロになっていたのがそうでなくなってしまっているのかと。 地球温暖化の一言で片付けてしまうのか、永い地球の時間の中でのほん

紫陽花でおもいだす

大阪は朝から雨です。 梅雨を目前に控え『雨』を話題にすることが多いです。 そして、目にする紫陽花は私にいろんなことを思い出させます。 紫陽花は通学路にありました。 その頃、紫陽花を庭に植えているお宅が多かったように思います。 私が住んでいた豊川市の通学路沿いにたまたま紫陽花が多かっただけかも知れません。 紫陽花の大きな葉の裏から出てきたカタツムリの触角がいつ見ても不思議でした。 触ると引っ込む触角が不思議でした。 ナメクジの触角を触る奴はいないのに皆こぞってカタツムリのそ

梅雨とトラック

仕事でトラック販売業の方々と話をする機会がある。 雨が降ろうが風が吹こうが物流を止めるわけにはいかない。 災害復旧で活躍するのはトラックであり、今回の流行り病でも生活必需品の輸送は止まることはなかった。 いや、止めることは出来なかったのである。 そこは3Kの世界である。 危険、汚い、きつい、の3Kの世界に流行り病の感染の危険も加わり4Kの中を荷を滞らさせること無く働き続けてくれた。 なんだか新しいテレビの画像の世界のようである。 そして、このトラック運送業のほとんどが中小

梅雨とコインランドリー

学生時代の洗濯には難儀した記憶がある。 昭和56年、1981年の春に大学生となり東京の江古田の住人になった。 入学して2年までの二年間は大家さんの離れの別棟を学生三人で借りていた。 合気道を始めたら毎日道着を洗濯しなくてはならなくなった。 もちろんコインランドリーである。 よくあるような恋話などそこには無く、空いた洗濯機を見つけ道着を放り込んで時間になると取りに行く、ただそれだけの場所であった。 自室で本を読んでいたのだが、私にはコインランドリーで過ごす時間が無駄に思えてしか

梅雨とマイカーム

三度目の引っ越しもリヤカーと後輩二人の手伝いで決行された。 学生最後の私の砦は西武池袋線練馬駅まで徒歩5分ほどのところだった。 左官屋さんのご一家、住み込みの若い職人さんを何人も住ませている大きなお宅の一室、空いた職人さん用の部屋を借してもらったのである。 最後の一年くらいは静かに生活してみたかった。 少しは真面目に授業も受けてみようとも思っていた。 お借りした二階のその部屋は南向き、それまで済んだ部屋の中で一番陽当たりが良かった。 大学四年、皆就職に必死になっていた。 そ

梅雨 (つゆ)

もうすっかり梅雨ですね。 田畑を潤す恵みの雨は通勤の私の足を早めました。 恵みの雨、必要なのは理解しますが、通勤の時間帯だけ止んでもらいたいものだといつも思ったものです。 子どもの頃は、雨は雨でそれなりに楽しんでいましたね。 アジサイの葉に出てくるカタツムリを探したり、水たまりの深さを長靴で測ってみたり、いつもより時間をかけて通学してたように思い出します。 いつもと違う風景を目にしながら歩くことにも楽しみを覚えていました。 歳とともにやらねばならぬことも、責任も増えて、気

梅雨の紫陽花 (つゆのはな)

この時期、どこにでも目にするアジサイの花。 実は、私はアジサイの花が好きではない。 きれいだと思えるのはほんのひと時、その後が良くない。 散るのが当たり前なのはどんな花でも同じなのに、このアジサイは一番後味の悪い花のような気がする。 ほんの少し前に咲いた桜とあまりに違う往生際の悪さである。 今年の桜も例年のように目にすることは無かった。 流行り病のために愛でてやること無いなかを、寂しく散っていったのだろうか。 しかしながら、私は本来桜はそんなふうに人知れず咲き、散っていく