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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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#大阪環状線

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

JR西日本 大阪環状線 弁天町駅

大阪環状線の一番の西端に位置する弁天町駅。このJR西日本大阪環状線の他に大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)中央線が通り、大阪の東西を走っている。 この中央線は近鉄との相互乗り入れをしており、この弁天町から途中乗換えはあるが近鉄奈良駅まで行くことが出来る。 弁天町駅に直結の大阪ベイタワーは以前はORC200(オーク200)大阪リゾートシティと銘打ってホテル、プール、温浴施設、200mのマンションで構成された施設である。 1993年の開業の大阪市の再開発事業であり、弁天町駅から続く

JR西日本 大阪環状線 芦原橋駅から大正駅

芦原橋駅 ずっと考えていました。この芦原橋駅にもじつはいろんな思い出があります。 でも喧嘩別れした思い出をなかなか文章には出来ませんでした。 若気の至りでした。今は反省しています。私も大人になりました。ここでははっきり書きませんがいろんなことがありました。 でも、断っておきますね。相手は女性じゃないですよ。男ですよ。ほぼほぼ少ない数少ない大阪で喧嘩別れした男がこの芦原橋の出身でした。遅くまで酒を飲み、JRは動かずタクシーでここの市営住宅まで送ったことが何度かありました。

JR西日本 大阪環状線 今宮駅

大阪環状線今宮駅、大阪人でもあまり馴染みの無い駅だと思う。 乗降客はこの大阪環状線19駅のなかで一番少ない駅だという。 この今宮駅はかつて大阪環状線としていくつかの路線がつながり、出来上がる途中で廃駅の案が浮上したという。しかし、地元の猛烈な反対でその案は立ち消えたそうである。 両隣の新今宮駅、芦原橋駅は非常に近いのである。 私は10年ほど前、新今宮駅とこの今宮駅のまあまあ中間ほどに出店した北海道の大型家具屋の設計の営業の担当をした。建設中の現場に行く際に新今宮駅か今宮駅で

コインロッカー係の苦悩

🌸こちらから続けてどうぞ 男は匂いが何かを考えた。 かつてどこかで嗅いだことのあるなんだか懐かしい甘い匂いだった。 女と弁当と手紙のやり取りをした、あのロッカーあたりから匂うのである。 女との記憶だったかと記憶を手繰り寄せるが分からなかった。 偶然が教えてくれた。 以前ならば決して電車になど乗らぬ時間に、春の午後の日差しを背に浴びながら男は大阪環状線に揺られていた。 大正駅で乗ってきた乳飲み子を抱いた若い母親が男の隣に座った。 「あっ、」男の分からなかった匂いの正体であっ

JR西日本 大阪環状線新今宮駅

駅って存在をいつも不思議に思っています。 そこは必ず通過地点、もしくは発着地点、この駅に長時間とどまっているのは駅員さんをはじめとする駅関連業務従事者の方だけでしょう。 そこで時間を過ごすことを目的とする人が極端に少ない駅を不思議に思います。 駅によって匂いが違います。 鶴橋駅のように実際嗅覚で感じる匂いもありますが、私が感じるのは肌で感じる『匂い』なのです。 新今宮駅にも最初からほかの駅と違う匂いを肌で感じていました。 平成に入ってすぐくらいです。今から30年以上前に新

コインロッカー係の仕事

🍙こちらから話はだいたい続いています。 男の仕事はいたって単純である。 いまだかつて男がやったことの無かったルーチンワークなのである。 世のあらゆる金主を相手にした男の営業は、毎日定時に会社に行くことを許してはくれなかった。 あれで仕事をしているのかと、周囲から奇異の目で見られるほど会社に居なかった。 そして、男はそんなことに快感を感じていた。 なのに今のルーチンは、そう、いたって単純なのである。 そのうち環状線内の各駅の発車時刻の周期も覚えた。 同じ駅の同じロッカー

JR西日本 大阪環状線天王寺駅その2

社会人になって三年目、営業に移った直後に京都から大阪に転居した。当時私のいたゼネコンは大変おおらかで所属の営業所長の裁量で受注した賃貸マンションを営業目的の理由で借り受けて、安い社宅費で、若い社員に使わせたりしていた。営業所によってずいぶん不公平感があった。 誰も文句を言わないなか、京都で高い権利金の支払いを余儀なくされ続けた私は少しだけ大きな声で大阪支店の総務課長に文句を言った。すぐに応接室に連れて行かれ、「大きな声を出すな」と言われた。総務課マターのこの件は社内で問題に

コインロッカー係の春

🍙こちらから話はだいたい続いています。 男はその年の春、気がついていた。 桜の花びらがコインロッカーの中に落ちていたことを。不思議に思い回りを見渡したが、桜橋口に桜の木などありゃしない。最初は前の利用者が落としていったものだろうと深くは考えず、でも注意深くその花びらを片付けロッカーの掃除を終わらせた。 しかし、それは続いた。一週間だけの奇跡だった。考え、思い当たった男は造幣局の通り抜けの最終日に仕事の帰りに桜ノ宮に立ち寄った。いつもは閑散としているこんな夕刻の改札に花見客

JR西日本 大阪環状線寺田町駅

大阪環状線寺田町駅、大阪環状線を大阪駅から見てほぼ対称に位置するのが天王寺駅、その一つ手前が寺田町駅である。天王寺駅まで歩いて15分はかからない。桃谷駅も同じくらいの近距離である。両隣の駅に近すぎるこの駅は、大阪城公園駅のようにあとから無理やり付け足した駅ではなく、長い時間をかけて環状の路線が出来上がった過程で存在してきた駅である。 東京の山手線と同様に環状の路線は初めから環状を目的として建設された路線ではなかったということになる。 この寺田町に奈良から転居し四年間生活した

JR西日本 大阪環状線桃谷駅

ただ通過してしまうことの多い駅であった。 大阪警察病院があり、何度か人の見舞いに寄った。 この桃谷駅からも聖公会城南教会は遠くはなく、合気道の稽古をするために桃谷駅から何度か歩いた。商住混在の大阪市内では平均的な町なのではないだろうか。 東京の立教大学、大阪の桃山学院大学、この桃谷にあるプール学院中学校・高等学校はこの聖公会が創設している。 ちなみに大阪の聖バルナバ病院、東京の聖路加病院もこの聖公会の創設である。 この城南教会によく稽古にいっている頃、そこの司祭である合気

大阪駅で出会ったコインロッカー係

コインロッカー係って目にしたことや聞いたことってありますか? 先日、人に会うため大阪駅まで出た時のことです。いつものように大阪環状線で大阪駅に着く直前、ドア前に立つ私より若干年上に見える方に気がつきました。仕事用のジャンパーらしきその左腕にあまり目にすることのない腕章が巻かれているいるのに気がつきました。私たちがよく目にする通常の腕章は幅10㎝くらいでしょうか。その半分5㎝ほどしかありませんでした。そして白地のそれには『コインロッカー係』と印刷されていました。 目にした瞬

JR西日本 大阪環状線鶴橋駅

1985年(昭和60年)9月、乗り換えのために生まれて初めて降りた鶴橋駅はその臭いに面食らった。 大学を卒業し、入社したのは東京本社のゼネコン、5か月間の英語研修を受けた後の赴任地は大阪だった。 小学三年の時、兄のてんかんの診察のために一度阪大病院まで来た。そのほぼ残っていない記憶しかない大阪で、シールドの現場見学に行く途中だった。入社同期の三人と現場から案内役でやって来た事務主任と京橋から環状線に乗り、鶴橋駅に着き「さあ、乗り換えだ」と降りる前に車内に焼肉の臭いが漂ってき

JR西日本 大阪環状線玉造駅

大阪環状線玉造駅、玉造の名称が示す通り古墳時代に勾玉などを作る玉作部があった場所のようである。 漢字で成り立つ地名が好きである。 地名の成り立ちを考えることが好きである。 三重県から大阪梅新交差点(梅田新道交差点)まで続く国道25号線沿いに私が今住む八尾市がある。 この25号線沿いに法隆寺があり、八尾には弓削、鞍作、太子と聖徳太子が関係し、出来上がった街の名残が地名で残る。 そして国道25号線は聖徳太子が建立した四天王寺の脇を通り、玉造あたりまで来る。 この旧名である奈良