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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2023年9月の記事一覧

海を渡ってやって来たお茶と人の名と

台湾の黄絢絢さんから日本に帰化した東京の甥御さん経由でお茶とお菓子が送られてきた。律儀な方である。現代の私たちよりも昔の日本人らしさを持っているといつも感じる。なんだかお茶を熱いまま飲まなければならないように思い、心なしかの秋風がそよぎ込むがまだ暑い居間で熱々にしたジャスミン茶を頂いた。 私が小学4年の頃、絢絢は日本にいた。休みによく家までやって来て母と長い時間話をして二人でお茶を飲んでいた。母は農家の出身である。お茶請けには漬物をよく出していた。絢絢も美味しいと言って食べ

9月23日彼岸中日

9月23日、私の秋分の日。 新幹線から見えるどの田にも夏のあの濃く力強い緑の色は無い。兄の待つ愛知に向かいこだまの車窓からそんな風景を眺め、昔日の記憶の引き出しに手をかけていた。 私の両親は農家の子だが、私は農のなかで育ったことは無い。でも、この稲穂が金色に輝き爽やかな秋の乾いた風に吹かれどれもが同じ方向に頭を傾げるのをじっと見ていた記憶がある。 農耕民族の血が流れている証拠なのであろうか。しかし、片側には合気道の稽古中に、とことんいけるところまでやってやりたい気持ちがつら

ある秋口の一日

いつもは午前中に走る国道9号線をまだ夏を残す午後に走っていた。 朝仕事を片付けて通勤客が減るだろう9時過ぎに家を出たのであるが、なんだか駅はいつもの様相ではなかった。阪急京都線が人身事故で全線不通であるという。JRとは違い、なかなか止まらない阪急である。仕方なくJR新大阪駅からJRの京都線に乗ろうとしたがなんとこちらも人身事故を起こしたという。ダブルの京都線不通は初めての経験だった。仕方なく新大阪駅の本屋で立ち読みをしていると「怪と幽」という雑誌を見つけそこには荒俣宏、京極夏

スタイルの変わったこの世の話

それは10時30分に決行された。 たまたま私はその場に居合わせた。 いつもの日曜の午前、仕事を終えた私は合気道の稽古のためにいつもの駅に向かった。 11時からの稽古のために私はいつも同じ電車に乗る。そのための行動には無駄は無くいつも同じ時間に同じ事を行い、それを繰り返しているのである。 最寄駅から発車する10時41分発の列車に乗るために、私はいつも10時30分前に駐輪場に入り、自転車を止めて鍵をかけて10時35分に高架駅に上がるエレベーターの「昇り」のスイッチに指を伸ばして

『継ぐ』を考える

継承できる何かを持つ「家」や「血」に従い生きていける人を羨ましいな、と考える時期があった。 ごく普通の両親から生まれた私はごく普通に育ち、ごく普通に家を旅立って一人で生きて来た。 自分の将来を考えた高校時代に継ぐ何かが生まれた時からある奴はいいな、なんて思ったのである。 努力をすることが面倒くさかったのである。 決められた人生を黙ってすたすた歩き、たくさんの難しいことは考えること無く生涯を終えることができればどんなに楽だろうと思ったのである。 今考えれば浅はかな子どもの考えだ

夏の終り

夏は去りいくようである。 夏はその香を我々の記憶に刻み付けようとして去っていく。 でも陽に焼けたコンクリートもアスファルトもすぐに冬の冷たさの虜となり、我らと共に過ごした夏を忘れてしまう。 我々にまとわりついたうっとおしいあの湿潤ともおさらばである。 からからの冷たい空気はその湿潤を遠い昔の記憶のように思い出させるであろうか。 夏の公園の子ども達の声は枯れた寒さの風音に変わり我々はその声を懐かしむのであろうか。 その昔太陽と風が競争して旅人のコートを脱がせたあの日のように、い