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『継ぐ』を考える

継承できる何かを持つ「家」や「血」に従い生きていける人を羨ましいな、と考える時期があった。
ごく普通の両親から生まれた私はごく普通に育ち、ごく普通に家を旅立って一人で生きて来た。
自分の将来を考えた高校時代に継ぐ何かが生まれた時からある奴はいいな、なんて思ったのである。
努力をすることが面倒くさかったのである。
決められた人生を黙ってすたすた歩き、たくさんの難しいことは考えること無く生涯を終えることができればどんなに楽だろうと思ったのである。
今考えれば浅はかな子どもの考えだったと思うが、何も考えないよりも考えた方がましで、その時に悩んだことは時々思い出すことがあった。

『継』という漢字、このつくりは「つぐ」を意味し、ややこしいがこの旁の左側の縦棒を右側に移すと断つとういう意味になるそうである。
継ぐと断つ。
よく見れば継ぐは糸偏いとへんだから断ったものを寄り合わせるのであろう。断つは斤旁おのづくりであるから一刀両断に断つのであろう。こんな漢字や言葉の意味を考えることが好きであった。

それから継ぐことはしがらみも抱えて生きることで大変なんだと、何人かの人生を横から見てそう思った。自身の気楽さを感じていた傍から両親の看病介護に東奔西走する日々がやって来て、最後には「」としか考えれなかった兄貴を継ぐことになった。といっても兄貴は施設暮らし、私のやることは知れている。今は気楽に自分を中心に物事を考えることができるようになった。

でも、この15年ほど心が楽ではなかったのである。継ぐことは良いことばかりじゃないんだと知った15年であった。でも、糸偏の「継ぐ」と斤旁の「断つ」を考える15年でもあったのである。人生に良いことばかりがあるわけじゃない。目を向けなきゃならないと分かっているのに知らぬふりをする時がある。でもいつかは自身の身に降りかかってくることが分かっているのであれば、逃げちゃいけない。それは自分にしか分からないことなのだ。身に振りかかって来たことを知らぬふりをして生き抜くこともできないことはない。現にそんな人は世の中にたくさんいる。でも、カッコイイことを言うがそこで逃げずに真正面から受け止めるのが人としてすることだと今になって思えるようになった。
「継ぐ」か「断つ」かは全く反対の言葉のようにも思えるが、自身に残る気持ちを考えると底に残るものは案外似ていてどちらも結構重いものであるようだ。

そして、考えすぎるとだんだん面倒くさくなってくる。ああ、俺は普通の男なんだと思える瞬間なのである。


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