人生という「締め切り」の中で思うこと。
1時間でこの問題を解きなさいと言われたら、嫌だ。焦る。
いやしかし、なぜ焦るのか。考えてみるとよく分からない。
問題を解いて1時間で終わった場合と何が違うのか。
どちらも、1時間で、問題を解くことに変わりはない。
違うことといえば、「締め切り」がはっきりとしているということだ。
しかも、自分で、ではなく、他人によって決められることが重要ではないかと思う。
いや、しかし、この仮説が正しいのなら、私たちは人生をどう捉えればいいのだろう。
私たちには、常に「締め切り」がある。
赤ちゃんは、子供に
子供は、大人に
大人は、おじいちゃんに…
そうやって変わらなきゃいけないことがある。
学校しかり、恋愛しかり、人生しかり。
締め切りがあって、いつか人は土に還る。
その「締め切り」を意識する人はどのくらいいるのだろうか。
人生は、今している課題とは違う、誰かにせかされたりしていない。
長さが違う。
人生は何かを成すには短すぎると人は言うが、実際のところどうなのだろう。
しかしまあ、何かもしないとなると長すぎるというのは確かにそうだ、長すぎる。
この前、写真を撮り始めた。
日頃から、いろんなものに手を出してはやめるの繰り返しで、どれもこれも中途半端で。
だからこそ、写真という媒体で人生の何かにしたかったのかもしれない。
今はそう思う。
話を戻そう。
結局、人生の長さに合う、課題が見つからないから人は人生を焦ることができないのだろうなと思う。
高1から勉強して間に合うかなと高校生活を勉強に費やす子もいれば、受験勉強なんてと高校生活をあそびに費やそうとする子もいる。
極端すぎただろうか。
人それぞれそのことごと違った尺度で、時間と課題は評価されるのだろう。
だから人は焦る。そう結論付けた。
そう結論づけた時には、もう課題の「締め切り」は過ぎてしまっていた。
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