見出し画像

花を買うこと

 自粛期間で家にいることが増えて、定期的に花を買ってきて飾っている。最近では多肉植物も仲間入りしてより一層華やか。乱雑とした部屋の中で窓際だけは美しく保たれている。

画像1

花を飾り始めてから毎朝カーテンを開ける習慣がついた。(以前までは一日中カーテンを閉めていることがほとんど。)花と多肉植物が元気か確認して、元気がなければ原因を考えて、水のやり方を考えたり葉や茎の選定をしてあげると数時間後にみるみる元気になっていくのがわかって、生命の強さを実感する。

こうやって自分のために花を買い始めたのは本当に最近。

 私の部屋には無数のドライフラワーがぶら下がっている。どれもこれも、私の個展に来てくれた人たちが持ってきてくれたものを自分でドライフラワーにしたものだ。

 20代前半までの私は、人に花を贈ったことも人から花を贈られたこともほとんどなかったし、その良さもあまりわかっていなかった。私が22歳の頃、東京・京橋にて初めての個展を開催した。その時に何人からかお祝いのお花を頂いて、それがとてもとても美しくて感動した。その時が「人から花を贈られる」ということを実感した初めての経験だと思う。私はもらった花たちをなるべく長く生かす方法を調べて、最終的にはドライフラワーにして飾った。私の個展に来る人たちは私の作った空間のためにわざわざ自分の時間を消費してくれている。その中で頂くお祝いや、差し入れの数々は私のために選んだものだとわかって、私のいない場所で私のことを考えて時間を消費してくれたことにどうしようもなく尊さを覚えた。

 それから私は、知り合いの展示や舞台などに行く時にはほとんど必ず花を買っていく。最初は花束というものがどのくらいの相場でできているのか、どのくらいの金額がちょうどいいのかわからず、お花屋さんに相談しながら見繕ってもらっていた。花を買うことに慣れた頃に、自分で花を選んで花束を作ってもらうようになった。花を選ぶ時には、その人の作品やその人自身のイメージに合わせて色を組み合わせる。もはや、その花束は私にとってその人に送る作品そのもので私自身がわくわくしてしまうのである。花を贈るその人は、自分のことを表されていることに気付くだろうか。

 そう言ったことを繰り返していたら、後輩や同輩、先輩までも「加賀谷さんの作品をイメージしてみました」と私の展示の際にお花を持ってきてくれることが多くなった。なんて、幸せなことなんだろう。

画像2

 でも、私は自分へ花を買うことは今までなかった。誰かが私のために選んでくれた花であることが嬉しかったから。私にとって花は誰かの気持ちなのである。何度か、本当に本当に落ち込んだ時に自分のために花を買ったことがある。それは確かに美しいものではあったけれど、なんだか空っぽな器があるだけのような気がしてあまり大切に思えなかった。

 どうして最近は自分のために花を買うようになったのだろう。自粛期間で人に会わなくなって、生き物の気配を欲していたのかもしれない。花たちは丁寧に手入れしてあげると長く美しく咲く。水揚げや水切りの仕方、葉の選定の仕方などは花の種類によって違って、手入れの仕方によって花の持ち具合が変わる。この子たちは生きているんだな、と実感する。今日も花たちが元気に窓辺に咲いていると私も励まされる。たまに扱いを理解しきれずに早くダメにしてしまうけど、ダメになってしまった植物は戻ることがない。次また、同じ品種を迎えた時には反省点を生かして扱ってみようと思う。

 花と接することは、人と接することとも似ているのかもしれない。人にはそれぞれの生き方がある。そしてその人に合う環境がある。他人を生かすのも殺すのも他人なところもある。自分を大切に扱ってくれる人のもとにいるべきである。そうすれば、あなたも長く美しく生きられる。人間は自分の足があるから、自分の意思があるから、自分で自分の環境を選ぶことができる。選ぶことができるなら尚更、自分のことを大切に扱ってくれる人たちのもとに身を置くべきだと思う。

 こんなことを考えていたらSMAPの「世界に一つだけの花」を思い出した。でも最近「ナンバーワンにはならなくていいけど、花屋の店先には並ばなくてはいけないのだ」というツイートが流れてきて、確かに。と思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?