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【映画】『ゴジラ-1.0』〜舞台装置としてのゴジラ~【感想】

三連休初日、さっそく本日(23/11/03)公開の新作ゴジラを観てきた。


(C)2023 TOHO CO.,LTD.

邦画ゴジラといえば最近では『シン・ゴジラ』(2016)が話題を掻っ攫っていった。また、ハリウッドでは『GODZILLA ゴジラ』(2014)を皮切りにキングコングとゴジラの二頭立ての"モンスター・ヴァース"が始まった。圧巻のスケールで描かれる映像美のゴジラワールド、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)や『ゴジラvsコング』(2021)は記憶に新しい。

ただ邦画としてのゴジラは『ゴジラ FINAL WARS』(2004)からシンゴジラまでの間途絶えていた。

また、実は本作『ゴジラ -1.0』は邦画としてはシンゴジラ(2016)から見て7年ぶりとなる正当劇場版である。(アニメ映画などは間に挟まっていた)

邦画としてのゴジラが牛歩に感じる一方、間にモンスター・ヴァースがいい具合に挟まったことで「ゴジラ熱」は思ったより保たれているように感じる。
では肝心の内容はどうだったか?あらすじを見た上で感想を語りたい。


あらすじ
時は1945年、太平洋戦争真っ只中で特攻兵だった敷島光一少尉は機体が故障していると偽り戦闘機の整備兵が駐在した大戸島へ降り立つ。敷島は特攻を恐れ逃げてしまったのだった。

そんな中、島の海辺に大量の深海魚の死体が浮き上がる。不審に思う敷島の耳に整備兵の一人が島民からこれは呉爾羅(ゴジラ)の現れる前兆だという話を聞く。その途端海からゴジラが出現し敷島らを襲う。気がつくと敷島と橘以外は全滅してしまっていた。

終戦後、東京の実家へ戻ると東京大空襲により全て燃えさっており、両親も死んだと聞かされる。
先行きも不安な中、とある赤ん坊連れの若い女性・典子と出会う。

典子は赤ん坊=あきことは血のつながりがないことを話し、二人は隣家の助けを得つつ共同生活を始める。

職も碌に見つからない中見つけた仕事は戦時中にばら撒かれた機雷の除去作業だった。除去作業のための同乗人、船長の秋津(艇長),元海軍技術班野田(博士),戦争に行く前に終戦を迎えた水島(小僧)らとともに機雷を除去する作業を繰り返す。

ようやく、焼け落ちた家を再建するところまで行った折、米艦隊が正体不明の巨大生物に襲われ大破した報せが入る。

米ソの緊張の高まりから米軍が応対できないとされ、その巨大生物の対処を日本の艦隊「高雄」が担うことに。高雄到着までの足止めを依頼される敷島ら。
そこで敷島は再び深海魚が大量に浮かんできていることに気づく。これはあの大戸島に現れたゴジラの仕業だと​─────


(C)2023 TOHO CO.,LTD.



感想

所感としては、人間ドラマに重点を置いたゴジラだというものだ。ゴジラは徹底してモンスターの枠に収まっている。戦後の日本人がどの様に敗戦という事実を乗り越えたのかについてゴジラという脅威を使うことでそれを効果的に映し出すことに成功していると思う。

物語としてはかなり良かった。おそらく目指す地平が初代ゴジラの方向(ホラー・サスペンス)だったのだろうが、このどうしようもない理不尽な暴力は紛れもなくどうしようもなさを含む怖さで、戦後というより戦時中、戦争がまだ続いているような状況が醸し出される。

昨今、国際的に戦争と言っていい紛争が立て続けに続いている中、戦中戦後の映画はゴジラのようなエンタメ映画でも少しばかり現実との関わりを感じずにはいられない。

主人公の敷島に積極的に感情移入させるつくりで、ゴジラはそのドラマを推し進める起爆剤であった。ただし、ゴジラ自身が敷島の敗戦後も続く「戦争は本当に終わったのか?」という思いに影を落としつづける作りになっていたので人間ドラマとしてみてもゴジラの存在感は抜群のままであった。

欲を言えば、せっかく-1.0(前日譚ではないが別に0に戻る、という意味で0でも良かったはず)とまでうったのだから、もっと徹底的に破壊してもらいたかった。

ゴジラの東京襲来で死者数こそ跳ね上がったが基本的には主人公・敷島の心を-1.0する効用の方が重く感じた。(本作は人間ドラマに重きが置かれており、ゴジラは舞台装置に徹していると感じる。たとえばゴジラが敵国の新型艦隊に置き換えられても違和感はないだろう。)

ネタバレになるのでラスト付近にはあまり触れないが、ラストの展開はきれいに行き過ぎにも感じた。タイトルに-1.0を標榜するように負から0に戻るくらいの塩梅で良かったかもしれない。

本作はゴジラが舞台装置であることを受け入れられるならストーリーとしてかなり出来がいいので高評価を得そうだ。ただし特撮としてのゴジラやゴジラを軸としたストーリーを求めた場合は少し物足りないかも知れない。

デザイン


モンスターデザインとしてはシンゴジラの乱杭歯の方がいかにも不気味な何か生き物ではないようなものを感じる点で良かったが、ゴジラのかっこよさという点では本作のほうが全面に出しに来ている。熱戦を放つj直前の背中の結晶のような棘が飛び出すように浮き上がってくる様子はなかなかよかった。


私が幼少の頃見たゴジラといえば背中のトゲが一番印象に残っている

本作はおそらく意図的にモンスターパニックの要素を出している。

巨大な船がそのままガブリと行かれたり、戦艦が丸っと折り畳まれるように沈みかけたりを見ているとMEGのようなサメ映画を思い出す。

その反面、こいつをただのクリーチャーと見るにはどうにもおかしな行動がある。冒頭、大戸島で島の整備員を殺した際も実は一人たりとも食い殺してはいない。口に含んで殺す場面があるにも関わらずだ。

G-1.0のゴジラの行動原理は明らかに食欲ではない、むしろ明確な殺意を覚えることだろう。

映像(特撮風)に関しては少し物足りなさを感じる。熱線の場面などはいいのだが少しカメラのフレームを俯瞰したい場面が多かった気がする。これも人間ドラマ側に寄せているためだろうか。

アダプテーションとしてのゴジラシステム


シンゴジラとG-1.0から現代の邦画におけるゴジラという装置のもつ意味が見えてきた。

シンゴジが現代の日本を舞台にゴジラのような脅威が訪れたらというポリティカルフィクションになっていると言われているように、G-1.0は戦後のどうしようもく疲弊した戦後直後の日本にゴジラを投入するとどうなるかを表現したいがための時代設定だろう。

G-1.0ではポリティカルな介入は少ない。それでも民間人が協力して災害のようなゴジラに立ち向かえるのは、戦争帰りであるという要素は確かにつよい。

ゴジラの立ち回りは、話の中心がvs他モンスターとなった「モスラvsゴジラ」〜「ゴジラ FINAL WARS」までを除くと(つまりモンスターパニックとしてのゴジラに絞ると)驚くほど単純である。

街に現れる→街を壊す→海へ帰る→対抗策→再び現れたゴジラと雌雄を決する。

この構造は初代ゴジラ(1954)のストーリーラインをなぞっており、シンゴジラ、G-1.0の両者のリスペクトを感じる。

リスペクトであるため、この流れは水戸黄門のようにお約束である。そのため、私たちが今のゴジラに期待するのはこのゴジラはどのようにそのお約束をなぞるのか?だ。

ゴジラのとる行動を(初代ゴジラのリスペクトへ)固定することで、時代背景を差し替えられた物語は別の様相を呈してくる。

このように原典を現代風に舞台設定を変えたりして語り直すことをアダプテーション*¹という。

少なくともこの二作において初代ゴジラのアダプテーションにより、原典にない箇所を浮き彫りにすることで映画の伝えたい要点をズラすという要素をゴジラが持ち得出していることは興味深い。今後の邦画ゴジラの方向性を直近二作品が敷いていると言える。

G-1.0において、ゴジラは戦後の不安定さとその中で生き抜こうとする人間のドラマに焦点を当てることに成功している。


ゴジラはヒーローかヒールか?

初代ゴジラはおよそ悪役と言っていいだろう。皇居前で意味深な沈黙をしたりするが、本筋としてはホラーにおけるキラー、モンスターパニックにおけるモンスターの枠にスライドできる。

その反面、ゴジラにはヒーロー(あるいはマスコット)としての側面がある。これは、『三大怪獣 地球最後の大決戦』でキングギドラと敵対したのを皮切りに、その後の劇場版シリーズにおいて敵の敵は味方理論で人類と組んで戦い出したことによる。$${\bold{*^2}}$$

直近で言えばモンスターヴァースのゴジラはヒーローの側面を多分に発揮しており、ヒーローの側面は全く衰えていない。


(C)2019 Legendary and Warner Bros.

対してシンゴジラからG-1.0にかけてのゴジラは初代へのリスペクトからヒールとしてのゴジラの地位を取り戻している

しかしG-1.0におけるゴジラはこれまでのヒールとは少し異なっている。それまでが災害のような畏れの対象としてのゴジラだったのに対し、今回のゴジラは明確に主人公敷島にとって特定の敵役として作用している

ここまで明確に特定の人物に敵愾心を持たれたゴジラはないだろう。敵対関係にあってもゴジラという巨大な存在を前にすると普通畏怖の念の方が勝つ、そのような構図に収まってしまう。ネタバレになってしまうのであまり詳しくは話せないが、その構図を乗り越えるためにあのような展開を挟んだのだろう。

そしてこの様な部分から本作がゴジラというより戦後の日本という状況を描きたい人間ドラマであることが見えてくる。

『ゴジラのテーマ』


誰もが知っているこの曲は使い所を見定めることで盛り上がりどころを意図的に作れる効能がある。

シンゴジラでは、かなり編曲にアレンジを加えているもののゴジラ第1形態(通称蒲田くん)初の東京上陸時に流れる。ゴジラのテーマにより不気味さを醸し出していると言える。


https://hobby.dengeki.com/news/362954/
蒲田くん

キング・オブ・モンスターズでは、ゴジラの復活テーマの様に流され、ヒーローとしてのゴジラを際立たせるようなカッコ良さがあった。

本作G-1.0においてゴジラのテーマはゴジラ進軍ではなく人類側の反撃の狼煙"海神わだつみ作戦開始時に流れる。ここはかなり盛り上がる所なので実際に観てほしい。(ここで他の細かい指摘がどうでも良くなるほどにはカッコイイ場面だった)

それにしてもヒーローからヒール、あるいは不気味な存在から神々しい存在、果ては人間の思いまで表現できるゴジラのテーマの万能さはすごい

終わりに

本作はゴジラ70周年、劇場版ゴジラとして30作品目の記念作品にあたるらしい。ゴジラ自身の活躍を期待して観に行くと少々肩透かしを食らう可能性があるものの物語としての完成度はたかく、観に行ってよかったと言える作品になっていると思う。

監督の山崎貴は『永遠の0』や『アルキメデスの大戦』といった太平洋戦争関連の映画をこれまでにも撮っており、やはり総じて評価は高めである。特にアルキメデスの大戦は数年前に実際に見に行き、大変面白かったのを記憶している。

そのため、私自身、時代設定が戦後直後なのであればこの監督に安心感があり、その点においては裏切られない。





脚注

*1;アダプテーションはもともとはメディアの異なる媒体で同じ作品を再現する試みのことで、ミュージカルを映画化したりなどが当てはまる。そこから、古典作品などを現代風に「超訳」したり、設定を現代風に変えたりといったものもアダプテーションと呼ばれる。

*2;そして長らくゴジラはこのヒーローの側面の強いキャラクターとして君臨してきた。その間(途中の断絶はありつつも)1964年〜2004年まで。私も子供の頃にレンタルで見たゴジラは全てこのヒーローとしてのゴジラだった。

*3;反面『ドラクエ ユア・ストーリーズ』や『STAND BY ME ドラえもん』などの3Dアニメ作品の評価はだいぶ低い。この監督は『Allways 三丁目の夕日』一斉を風靡したのだから手広くやるより戦中戦後の日本に焦点を当てた作品に絞る方が良いかもしれない。

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