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映画館にいた輩の話
昨日の夜、新宿に映画を観に行った。
観に行った映画は「コンフィデンスマンjp 英雄編」。
あまり遅い時間帯に映画館に行くことは少ないんだけど、夜に行くとなんとなく1日を延長できたような気がして得した感覚になる。
館内の自動販売機のそばで大声で話している男性二人組がいた。「輩(やから)」という言葉は彼らを形容するためにあるのではないかと思うほど、ガラの悪い二人組だった。
「水250円とかぼったくりだろ!!!」
自動販売機に向かって叫んでいた。
すぐ近くに映画館のスタッフもいるのによく言えるなあと思った。歌舞伎町にある映画館だし、遅い時間帯だとああいうお客さんもいるのか。
あんなガラの悪い輩は一体どんな映画を観るのだろうと少し興味が湧いた。
その直後、彼らはスタッフさんに「コングラチュレーションなんとかってここで合ってる?」と尋ねていた。
ああ、洋画を観るのか。
たしかに彼らは車の中で爆音で洋楽をかけていそうだし、しっくりきた。
私がスクリーンに入ると、コングラチュレーションの声が聞こえた。
幸いにも近い席ではなかったが、予告編の最中大声で話していたので、存在に気付くことができた。
まさかとは思ったがコンフィデンスマンをコングラチュレーションと間違えていたらしい。
彼らに質問されたスタッフさんも、よく彼らがコンフィデンスマンのことを言っているのだと汲み取れたなと思った。
逆に彼らはどのようにしてこの作品に辿り着いたのだろうか。長澤まさみのファンだったのだろうか。
「え、この映画めっちゃ怖くね?」、コングラチュレーションは予告編のホラー映画の感想をスクリーン中に共有していた。それ以外も予告編の間とにかく大きな声で話していた。
会話を聞いていると彼らは二人組だが、どうやら明確な主従関係がありそうだった。自動販売機の時点から大声で話しているのはずっと先輩の方だった。
流石に後輩も注意はできないだろう。
もう誰にもコングラを止めることはできない。
結局ああいう人種は自分がルールになれるから強い。教科書の古代史で名前が載っている人物はおそらくああいうタイプの人物だろう。
多分彼は小中学校では中心人物で、逆らう者はいなかったんだろうな。
彼は映画館のスタッフがすぐ近くにいても「水の値段ぼったくりだろ!」と叫べるのだ。単に周りが見えないのではなく、周りの人間が自分の行動や言動をどう思うかをあまり想像できないのだろう。
ところで周りにどう思われるか想像できることは良いことだろうか。
人生には相手に喜ばれる行動が分かってもそうは出来ないことがあるし、時には相手に嫌がられるであろうことを言わなければならない場面がある。
この時相手の気持ちが想像できなければどれほど楽か。
自分の行動が相手にどう思われるか想像できても、万人に好かれることなど絶対に出来ない。その想像が間違っている可能性だってある。
一方で周りの気持ちが想像できなければ、周りから否定された時、きっと嫌悪の矛先は自己ではなく他者に向く。
もしかして周りの気持ちなど想像できない方が自己肯定感を高く保って生きやすい可能性があるのか。その副作用として周りの人間がついてこなくなったりはするのだろうけど。
「自分は世の中に不必要な存在かもしれない」とか「自分は親に孫の顔が見せられないかもしれない」とか真剣に悩んだ時間などコングラの人生には1秒もないんだろうな。
そう思うとコングラチュレーションに憧れはしないけど、羨ましくなった。
心情の機微を歌った幾千のヒットソングの歌詞は彼の耳にどのように聴こえているのだろうか。
彼は映画の上映中に携帯電話の電源をちゃんと切っていたのだろうか。
ちなみに予告編が終わると彼の声はあまり聞こえなくなった。
たまにある無音の場面で彼らが話している気がしなくもなかったが、途中から気にならなかった。映画館の音響が凄いのか、彼らがちゃんと映画に集中し始めたからかは分からない。
映画が終わった後コングラが何を言うのか気になったが、スクリーンが明転した時もうそこにはいなかった。
エンドロールの途中で帰ったかもしれないから、最後まで見てないとは言えないけど、多分スクリーンを出るタイミングもコングラの一存だったんだろうな。
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