3月9日と3月11日
みなさんは3月9日の日付を見て何を思い浮かべるだろうか。
多くの人はレミオロメンの『3月9日』を思い浮かべるのではないだろうか。
2004年3月9日にリリースされたこの曲は卒業ソングの定番らしいけど個人的には卒業ソングになっていることにはどうにもしっくり来ていない。
歌詞は「私とあなたで夢を描く」とか「瞳を閉じればあなたがまぶたの裏にいることで」などなど。卒業ソングというよりは恋愛ソング、さらに言うと結婚ソングのようだ。
それもそのはずで、この曲自体レミオロメンのメンバーの友人の結婚式用に作られた曲。2001年3月9日がその結婚式の日だったので『3月9日』がそのままタイトルになっている。
じゃあなんでこの曲が卒業ソングの定番になっているかというと、3月9日が時期的にちょうど卒業式シーズンだからだろうか。
「流れる季節の真ん中」とか「3月の風に想いをのせて」とか3月の情景が描かれてちょうど卒業式の時期の情景と重なる。
確かに3月上旬の今日この頃、16時~17時頃になるとふと日の長さを感じることも多い。
「桜のつぼみは春へと続きます」とか「新たな世界の入り口に立ち」あたり卒業式にもちょうどマッチしている。
とはいえこの曲は全く同じ歌詞でもタイトルに「3月」が入ってなければここまで卒業ソングの定番にはならなかったと思う。
(この曲が流行ったきっかけのドラマ『1リットルの涙』を観ていないので、その内容次第では意見も変わるかもしれない。)
3月上旬の情景が名曲を生み出したのだとすれば、レミオロメンの友達の結婚式が3月9日だったのは偶然だけど運命だったのだろう。
で、個人的に卒業ソングとしてしっくり来ていないのは学生時代に卒業式関連のイベントではこの曲を歌ったり聴いたことがなくて、卒業と繋がる想い出がないからだろうと勝手に思っている。
3月9日が卒業式の日だったことはないけど、そういえば3月9日は中学3年生の頃の高校入試の日だった気がする。レミオロメンの日だったからやけに印象深くて覚えている。
確かその日は火曜日だった気がしたし2010年のカレンダーを見たら当たっていたので、ここは外していないと思う。
その流れで思い出した。
確か2010年3月9日が公立高校の入試の日で、その翌日3月10日に謎の登校日が1日挟まって、中学校の卒業式が3月11日だった気がする。
なぜか入試の方の日を覚えてて、卒業式の日付は覚えていなかったけど確かそうだ。地方の公立中学校の11年前の卒業式の日付なんてネットで調べても出てくるわけがないので確証はないけども。
今日からちょうど11年前の2010年3月11日は確か中学校の卒業式の日だった。
当時は特に意味を持っていなくて、記憶から抜け落ちていたような日付。
だけど今この年月日を見ると「ちょうど1年前だ」とか思ってしまうわけだ。
レミオロメンに立ち返る。
この曲のタイトルはレミオロメンの友達の結婚式の日付から取っている。
その結婚式があと2日遅かったら。
この曲のタイトルは「3月11日」だったのだろうか、2001年に作られていたらそうなっていた可能性は結構高いだろう。
3月9日と3月11日だったら季節の情景もおよそ同じ。
3月11日でも卒業ソングとして歌い続けられるような名曲としてしっかり成立はしていたのだろう。
あの日が来るまでは。
2000年の年間オリコンチャート第1位の名曲であるサザンオールスターズの『TSUNAMI』は、未だにどこか取り扱いの難しい歌になってしまっているように見える。
曲の中で津波が登場するのは「津波のような侘しさ」の一節だけ。
元々不謹慎な曲だったわけじゃない。曲自体に罪はない。
けどこの曲を流さないことも、流すこともいずれにせよ何かものすごく重たいものを背負ってしまっているように見える。あのことを素通りできなくなっている。
もしレミオロメンの『3月9日』が『3月11日』だった場合これと似たことになっていた可能性がある。日付には何の罪もないのに。
結婚式の日取り次第ではこの曲の運命が変わっていたのかもしれない。
ちょっと話が逸れるけど私は大災害のことを日付で呼ぶことに反対派だ。
毎年この日に想いを馳せることはとても大切だと思う。
たくさんの犠牲者が出て、多くの方の命日になってしまった日であることには間違いない。
けど「3.11」と呼ぶと、日付の意味をまるで一つにしているようにみえるから私は震災を日付で呼ぶことには反対だ。
例えば3月11日生まれの人は、震災と同じ日であることを「別にまったく気にしていない」というわけにもいかず、いろいろ大変なのかなと勝手に思っている。他の日に生まれている人には理解できない必要以上の重荷だとか居心地の悪さがあるのではないだろうか。
多分直接被災していない人の方がこの傾向が強いんじゃないかとも思う。
366日毎日が誰かの誕生日であるのと同じように毎日が誰かの命日でもある。
3月11日じゃなくたって誰かにとっての記念日は誰かにとっては辛くて哀しくてたまらない日かもしれない。
大災害はいつだって起こってほしくないけど、自分の誕生日や大切な記念日がそのまま災害を呼称するのに使われたら嫌だなと思ったので、ちょっと意識的にあのことは日付で呼ばないことにしている。
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