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ミカン畑にリンゴが在ると狂信する人は、リンゴ畑にミカンが在るとは想像しない

人類は、類人猿の中から500〜600万年前に分岐して、直立二足歩行するように進化したと考えられている。この人類系統であるが、分岐の直後については化石証拠が乏しく、失われた環ミッシングリンク とされている(ウィキペディアから)。この失われたの間に人類が直立二足歩行に至る、様々な仮説が提示された。以下に主な三仮説を紹介し、自称にわか 人類学者として勝って気ままに考察してみる。

サバンナ(熱帯草原地帯)説:

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人の祖先である類人猿は、アフリカの密林域に生存し広く分布していた。類人猿が棲んでいた地域には、やがて大地溝帯と呼ばれる山脈が隆起し、雨期と乾期を繰り返す熱帯サバンナ域と、湿潤な密林域に分離された。サバンナに追い出された類人猿は、新たな環境に適応するために、直立二足歩行を獲得し人類となった。一方、密林域に残った類人猿は、現在のチンパンジーのような猿に進化した。
この説は学会で定説として長らく受け入られてきた。しかし、サバンナ説は、二足歩行を獲得する利得が希薄である。例えば、立ち上がれば草むらを見渡す事ができるや、二足歩行はエネルギー効率が良い等だ。これらの理由だけで、四足を止めて二足で歩いたとは納得し難いと意見が在る。
また、人は頭とその他特定の部分以外は毛がない、鼻の穴が下向き(チンパンジーやゴリラは前向き)、人の赤ん坊は出産直後から泳げる(これかなりの疑問符)、更には言葉の発声、等々の獲得根拠が示せないと言う批判があった。これらの疑問に答えるものとして、以下のアクア説が唱えられた。

アクア説または水棲類人猿(さざ波人間)説:


人類の祖先はある次期、水棲人だった。即ち、二足歩行は、祖先の四足歩行の類人猿が、浅い水の中で獲得した能力に由来する、と言う説である。一連の二足進化の流れは以下である。
陸上で暮らしていた猿が、浜辺で生活し、やがて水の中に入るようになった。半水中生活では水面に顔を出し、足は水底に着ける必要があった。この格好が、やがて陸上での二足の直立と歩行に結びついた。

水に潜り息を止める行為が、言葉を喋る時の呼吸の仕方に結びついた。猿類の鼻の穴は前向きだが、人のそれは下向きである。これは、水中では下向きの方が、水が入らなくて都合が良いからだ。水中での寒さ対策に、皮下脂肪を貯めるために体毛を失い、水面で太陽からの熱を防ぐために頭髪を残した。これらの事から人類は進化の過程で、水棲生活を経験したに違いないとする説だ。

アクア説は、最初はドイツの人類学者マックス・ヴェシュテンヘーファー(1942年)、後に海洋生物学者のアリスター・ハーディー(1960年)によって、別々に唱えられた。この説は一度忘れ去られたが、エレイン・モーガン女史(在野人類学者、雑誌記者)が、この説を再発見して世に知らしめた。しかし、学会からは全く無視された。学会は男性が占めていていたので、モーガンは無視されたのは、彼女が女性であったからとして、猛烈に反発した。当時は、女性解放運動が胎動し、女性の権利を強く主張する人たちが出始めていた。

樹上の二足歩行説


これは類人猿が、二足歩行の能力を樹上で獲得して、やがて地上に降りて、直立二足歩行の人類に進化したと言う説だ。現在のチンパンジーが、樹上二足歩行をすると言うのに基づいている。

にわか 人類学者としては、サバンナ説を支持する。一方、樹上説や、熱烈な支持者がいるアクア説には、疑問が多々在るので、考察してみる。

まずは樹上説に反論から

樹上二足歩行の事を初めて聞いた時は、太い枝の上にすくっと立つ猿を創造した。そのような絵もあった。しかし、樹上説の二足歩行は、普通に考える地上の二足歩行とは全然違う。手で上の枝、足で下の枝をつかんで、体を垂直に起こすものだ。それは現在の動物園で見られる。二本の綱を上下に張り渡した綱の橋を作り、チンパンジーやオラウータンに渡らせる遊具だ。チンパンジーは手で上の綱を掴み、足で下の綱を掴んで、左右の手足を交互に入れ替えながら、綱渡りをしていく。

しかし、二本綱の綱渡りを二足歩行とは呼び難い。チンパンジーの様な大型の猿が、木の上で上下の枝を掴むのは、当たり前の事である。体重の重い猿が細い枝に乗ると、枝はたわんでしまう。枝先の実を採るにはぶら下がるしかない。体を安定させるために、足で下の枝を掴むのは全く自然な事だ。

樹上二足歩行の文言もんごんは別にして、この研究で納得できる点は、二本綱の綱渡りをすると、体を左右に傾ける筋肉(大腰筋だいようきん)と、その制御法が発達する事を発見した事だ。二足歩行を円滑にするには、上げた足とは反対側に、体を傾けて重心を移動させる必要がある。この準備が木の上で出来ていた、というのは納得できる話だ。

しかし、現在のチンパンジーは、地上を移動する時は、ほぼ四足歩行しかしない。樹上二足歩行が、地上での二足歩行の起源とは言い難い。この樹上説には、アクア説にいるような熱烈な支持者はいないようだ。

アクア説への反論

提唱者のエレイン・モーガン女史は狂信的な発想心で、現在の疑問への回答を求めるために、実証されない仮説を次々と作り出している。そして、自分の主張が無視されると、男中心の学会が女性差別をしている、と憤りを見せた。彼女の追随者達にも同様の傾向がある。

アクア説は、類人猿が水中に入り、水面に顔を出すために立ち、この事がやがて陸上の二足歩行に繋がると言う説だ。素朴な疑問は、水中で二本足で立つことが、どうして陸上で立つことの利点となって、二足歩行に繋がるかだ。上述した樹上で二足歩行するチンパンジーは、地上に降りると四足歩行になる。四足歩行で水中に入り二足歩行になっても、水から上がれば四足歩行に戻るのが自然ではないだろうか。

樹上で二足歩行した猿は、大腰筋だいようきん制御を発達させ、その後の二足歩行に役立たせた、と言う説は納得できる。しかし、水中の無重力に近い環境で発達する筋肉は、陸上で重力に抵抗する筋肉とは全く異なる。逆に水中で使わない陸上用の筋肉は退化するはずだ。真っ暗な洞窟にいる魚が目を失くす様に、使わないものは退化してく、これは生物進化の原則である。それでも陸上に戻ると立つとは、何か不自然である。「それでも地球は回っている」のとは訳が違う。

類人猿が水棲に適応したのなら、何故そのまま水棲に進化しなかったのか。鯨は一度陸に上がって、四足歩行動物になり、再び海に回帰して今の姿になった。水棲類人猿も鯨のように、水棲環境に適応した方が合理的ではないか。水棲生物 -> 陸上動物の猿 -> 再び水棲猿 -> そしてまた陸上の二足歩行猿、この流れを作る環境負荷(進化の選択)は考えにくい。さらに、カバの様に四足歩行で水陸両用になった動物もいる。水棲類人猿は、何故四足で水棲環境に適応しなかったのか。 疑問満載になってしまう。

水棲生活は安全か

現在の猿で水に入るのは、人が餌付けで慣らした温泉ニホンザルや、川の対岸に渡るために、木から水中に飛び込んで泳ぐテングザルの仲間ぐらいだ。特に大型のチンパンジーやオランウータンは水を嫌う。それでは、類人猿は何故水に入ったのか。捕食者に追われてもあるが、一番考えられるのは水や食料を求めてだろう。大地の隆起で密林を追われて、サバンナに出て、湖沼や海岸の水辺に移動するのは自然だ。

しかし、水辺は他の動物も集まるところで、当然捕食者の猛獣もやって来る。現在のアフリカでも、水場はライオン等が狩場とする危険な場所だ。水中にはワニもいる。草食動物達は、水場に長居はしない。水を飲んだら捕食者を警戒して、直ちにその場を去る。のんびり水浴びするのはゾウくらいだ。

水棲生活で毛を無くすのか

水棲類人猿は、水中での防寒の為に、皮下脂肪を厚くし毛を消失した。これが人が体の毛を無くした起源と、モーガン女史は主張する。一方、サバンナで暑さ対策として汗をかいて、体を冷やすために体毛を消失するのは、根拠が薄いと主張した。何故なら、熱帯サバンナと言っても、夜から明け方には冷え込み、火をまだ使わない類人猿には、寒さを防ぐ体毛が欠かせないとした。

確かに一理ある。ではラッコの事を考えてみよう。この海洋哺乳類は皮下脂肪でなく、非常に高密な毛を持つことで、水の寒さを防いでる。水棲類人猿がラッコのように体毛を蜜にする方向に、進化する可能性は否定できない。陸上に上がれば、高密度の毛皮は暑すぎるかもしれない。しかし、モーガン女史が主張する冷える夜は陸の生活、昼は水棲生活なら高密度の毛皮でも、十分利点がある。

水棲説もサバンナ説も、頭の毛は太陽からの熱を防ぐ為に残したで一致している。しかし、水棲生活で頭に毛が本当に必要だろうか。頭を水に浸すか、体を横向きにして左右に寝返れば、頭を冷やすことは可能だ。また、モーガン女史は人の鼻の穴が下向きなのは、水棲生活で水が入るのを防ぐのに有利だから、そうなったと主張する。

しかし、素潜りをすれば分るが、素顔のままで頭を下にして海底に潜れば鼻に水が入る。それとも水棲類人猿は、頭を常に上にして水の中にいたと言うのか。鼻の穴の向きを変えるより、鯨やアザラシ等の海洋哺乳類の様に、穴を塞ぐ筋肉を発達させる方が、合理的ではないだろうか。 鼻の穴が下向きと水棲生活を結びつけるのは、単なるこじつけに思える。

生まれたばかりの赤ん坊が泳げる

これは人類が水棲類人猿を経て進化した証拠だ、と言う記録報道が在った。興味津津で記録映像を見ていたら、人が赤ん坊の頭を持って、引っ張り回しているだけだった。確かに水中で息を止めているようだし、足をバタつかせていた。しかし、泳ぐとの表現には程遠いものだ。生まれる前に母親のお腹の中で羊水中に浮遊して、足をバタつかせて母親の腹を蹴るのと同じに思える。

モーガン女史のアクア説は、現在の疑問解消のために、過去の水棲類人猿を意図的に作り出した。面白おもしろい研究の発端にはなるが、こうした手法からは、何の成果も得られない。上述してきた様に水掛け論見たいな、ああ言う場合はどう、こう言う場合はどうと、反論合戦になってしまうからだ。彼女が一にも二にもすべきことは、化石等の証拠を発見することだった。しかし、彼女は女性差別の学会批判に情熱を燃やした。「みかん畑にリンゴがある」と狂信する人は、「リンゴ畑にミカンがあるかも」を決して考慮しない。実証されない限りどっちもにも、可能性が在るのだ。

随分と長々と書いてしまったが、ここで終わりとする。次の中編、後編では、本論のサバンナ説を考察してみる。

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