葉音

もうどうでも良い、とカラは秋の陽光に包まれ、絶え間ないリズムによる高揚感に誘われ、遠くの風や貨幣や壁に囲われ満足していることを演じる栄養失調の子供たち、檻の中の大人たちは、閉鎖的な夢の中で価値観なんかを勘違いしながら、金を稼ぐことが幸せの近道みたいに語るだけで、幸せが何かすらも理解できないから、ひたすら追いかけているようで、追いつかれ食いものにされ、食い扶持のために引き延ばす命は、ますます不幸せそうに下向き沈んでいく。カラは柄にもないドレスを着て、虚空をかいつばみながら、無いはずの理由を探し、自由を追い求めるが故に枯渇するかもしれないという恐怖に追い詰められ、自由自体に押し潰される。カラの求める自由により揺らぐ緑色の長い髪、黒点をむすぶ無数の星たち、互いの身体が交錯するほどに、互いとは他者であることを再認識するような近いだけの距離、あらゆる愛は金で解決され、定めなどは無視され、些細なことで巻き起こる戦争の鮮度や、妬ましいほどに愛がそこにはこぼれていて、綻びなどを派生させては、怠惰なものを加工し、今に硬化していくだけに至るような争いの真っ只中で、正しさなどは見失われ、今に徒らに消費されるだけのあいまいな関連性に連動して、退屈な体系を次々と生み出し、今に踏み台にされ、意思を損なうだけに至るような曖昧な等差により、なじむことは愚かなことのように片付けられてしまう、と嘆くカラの横顔、回転する座標と、ゆれる木馬、シンパシーとハルモニウム、ふいごとコルセット、夕焼けに馴染む声の主、ころがる螺子やスタッカート、破れた意思と霞む世界を飄々として駆け巡る私という偶像と偶然の隙間、あらゆる弊害を兵器利用する国家的なまやかし、アナーキストが唱える無政府主義なんかに加担する気はないが、国家なんてものは、はりぼてのものですぐさま崩れてしまうまやかしであるし、あらゆる制限を生むだけの退屈な機械である、と語るカラを宥めるために生きている。そのような理由さえあれば、自由などがなくとも、なんとなくではあるが生きていけるものです。

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