音楽だけが心の支えだった
最近、メルカリで不用品の処分をしています。
新しい製品を買ったら今まで使ってたものはいらなくなるし、何年も前に必要だと思って買ったもののほとんど使わずに保管してあるCD-Rとか、愛犬のために買ったけどすぐにお腹を壊してしまって与えられなくなったドッグフードとか、庭の砂利とか。けっこう買ってくれますね。ありがたいです。
でもその中には、不用品と表現するにはあまりにも愛おしいアイテムたちがズラリと並んでいます。結婚した時も実家から持ってきた、大事な大事なコレクション。ぼくの大好きなミュージシャンたちのDVDです。
ビートルズ
ビーチボーイズ
ローリングストーンズ
ボブ・ディラン
ザ・ポリス
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
ニルバーナ
レディオヘッド
ビョーク
クーラシェーカー
リンキンパーク
マルーン5
ミッシェル・ガン・エレファント
そして、BLANKEY JET CITY
今回、これらのアイテムを処分すると決めたことで自分のなかでなんだかケジメというか覚悟というか、そんな大袈裟なものではないんだけど、区切りみたいなものをつけたいなと思った訳です。
まあ、41のおっさんが感傷に浸ってるだけなのでどうぞ読み飛ばして下さい。
まずは音楽との出会いから。
小学生のころは同級生からイジメにあっていたし、家では背中に一生消えない龍の絵が描いてある父親が酒を飲んでは暴れるし、貧乏だし、勉強もスポーツもできないし、かといって不良でもないし。喜びや楽しさといったものがなにもない割に辛いことが多かった。
そのころ、家には誰がどのように入手したかわからないけどフルサイズのステレオコンポがありました。パイオニアのプライベートってゆうセパレートタイプの結構立派なオーディオシステムです。
部屋の隅で膝を抱えてまるくなったぼくと、だいたい同サイズの大きなスピーカーからは、いつも退屈な音が鳴っていました。当時大流行していたアイドル歌手のレコードがいつもかかっていたからです。このステレオの持ち主である8つ年上の兄がハマっていたんですね。おニャン子とか、あと、なんだろう、おニャン子かな。ほかは知らないです。
ぼくはアイドルが大嫌いでした。可愛いとも思わないし、可愛いかもしれんけどそれは音楽と関係ないし、そうそう、可愛いからレコード買うとか可愛いから出演してるドラマを観るとかそうゆう発想が理解できなくて。アイドルがというよりアイドル好きの連中が気持ち悪くて仕方なかったです。夕方のTVは観たいアニメがあるのに、兄の手によって夕焼けニャンニャンとか気色の悪い番組にチャンネルが固定されていました。
だから未だにアイドルに対する嫌悪感がひどいです。ゴメンなさい。嫌悪が止まらないです。
小学生の高学年になるとステレオの持ち主が下の兄になりました。時はバンドブーム。イカ天全盛期。「たま」とか「ジッタリン・ジン」とか「プリンセス・プリンセス」とか「ジュンスカ」とか「ユニコーン」とか「ブルーハーツ」とか「リンドバーグ」とか。
ぼくは彼らによって救われました。毎日サイテーなことばかりの生活でしたが、彼らの音楽を夢中で聴いて過ごしました。特にブルーハーツは刺さりました。「終わらない歌」はぼくのことを歌っていますね。どうしてヒロトはぼくのことを知っているんだろうと不思議に思っていました。
中学生になると少し時代を逆行していきます。BOOWYとかバクチクとかですね。さらに古い音楽が好きになって50's〜60'sのロックンロールやオールディーズを聴くようになりました。全て下の兄の影響です。彼とは仲が良かったです。
そんな環境なので自分でレコードを買う機会はありませんでした。時代はレコードからCDに移り変わっていきます。
中学2年生の終わりころ、兄はパンクにハマっていました。ぼくもモロに影響を受けてファッションも音楽もパンクにかぶれていきます。ラフィンノーズやザ・ライダースやスタークラブや横道坊主とかセックス・ピストルズを聴いてました。パンクの持つヌルさとか、とがり具合とか、「いろいろ不満はあるけどまあどうでもいいよ」的な投げやりな雰囲気は、何もないぼくがこの世界で生きていくのに必要な「through力」のようなものを与えてくれました。その頃、少しアウトサイドに引き込まれそうになっていたぼくを救ってくれたのはパンクでした。
当時はちょっとしたパンクブームで、若者を中心に「パンクはカッコいい」という誤った認識をされていました。
ぼくは仲間たちに言いました。
いいか、パンクはカッコよくねぇ
ださくもねぇ
パンクはそうゆうもんじゃねぇ
ファッションとか音楽とかカルチャーとか
そうゆうもんじゃねぇ
パンクは、生き方だ。
ライフスタイルだ。
こらからどう生きていく?
その質問に対して「おれ?パンク。」と答えるのが正しい。
それくらいパンクに傾倒していきました。
中学もそろそろ卒業という頃、下の兄が一枚のCDを貸してくれました。日本のロック史に残る名盤、BLANKEY JET CITYの「the six」です。
1曲目のイントロ、キンキンに冷えて乾いた、アコースティックギターを弾く音。あの音を聴いた瞬間からぼくは彼らの虜になりました。sixを繰り返し繰り返し何度も何度も毎日毎日聴き続けました。今でも全曲、なにも見なくても歌詞を朗読できます。
彼らの他のアルバムも聴きたい。
兄が偶然持ってきてくれるのを待っていたらいつになるか分からない。自分で買うしかない。
ぼくは母親の財布からお金をこっそり抜き取ってCDショップへでかけました。
そうして手に入れたアルバムが「C.B.Jim」です。
捨て曲なし。すべて名曲。
ぼくは「12月」という曲が大好きで、マイベストを作る時は必ず選曲してました。
"おれはクルマで すごく危ない
スピンをするのが 大好きなんだ"
なんて純粋なバカ。
痛いほど純粋です。
でもこの詩を書いた人はまぎれもなく天才だと思いました。センスがぶっ飛んでます。しかもたぶんいい奴です。そう思いました。宮沢賢治の「心象スケッチ」を読んだ時の印象と似ています。
BLANKEY JET CITY、その中心人物であるベンジーこと浅井健一が、ぼくの人生に与えた影響は計り知れません。
1990年〜2000年までの約10年間の活動を経て、ブランキーは解散します。その後もベンジーは浅井健一の個人名義での活動、シャーベッツやJUDEなどのバンドでの活動を続けています。最近はどうしてるんだろう。ここ数年の活動は追っかけていないのでわかりません。
今回、メルカリで売りに出したものはブランキー解散後に自分で稼いだお金で買ったコレクションたちです。さすがにベンジーが関わっているものは売れませんでした。
売れるわけないだろっ!
これは余談ですが、いやずっと余談ですが、ぼくは自分のものを他人に売るのが基本的に嫌いです。3000円で買ったものはぼくが持っている限りずっと3000円の価値があるけど、1000円で売ればそれの価値は1000円に下がります。
1000円返ってきた!とは思えない。
2000円損した。としか考えられない。
マイナスしかカウントできないケチな人間です。
だからベンジー関係のDVDはブランキーのWorksと画ニメだけです。Worksはブランキーの10年の活動をギュッとまとめたコレクションアイテムだし、画ニメは映像クリエイターとのコラボ作品でベンジーの楽曲が使われているだけなので、まあいいなかって。
処分するとはいえ、どれも思い入れの強いものばかりです。だからぼくの売っているDVDは相場に関係なく値付けしてます。たぶん相場よりかなり高額に設定されています。
それでもよかったら買ってね。
以上、宣伝でした。
追記
あ、ついでに招待コードのせときます。
500円分のポイントがもらえて買物ができるよ♪登録時に招待コードの「QZDEWU」をいれてね!
コンビニとかで普通に買い物ができる500円分のポイントですよ。使わない理由がない!
以上、宣伝でした。
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