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文章の添削をした話part2

part1はこちら。


この4月に入ってから、また文章添削の仕事が舞い込む。
私の本業ではないのだが、受け入れたからには120%の力で文章の書き方というものを指導する。

しかし、一人で文章を書くということは想像以上に辛い作業。思ったとおりに書けなかったり、表現が稚拙だったり、そもそも文章が思いつかなかったり……。
途中で文体が変わって、明らかに(善意の)第三者の手が入っていることを見ることもある。それが本人のためになっているかどうかは別だが、挑戦するという心意気は素晴らしいものだ。


文章を書くということには、一定のルールがある。
漢字を意図的にひらがなで表記する(俗にひらく、と表現する)とか、文末に体言を使用して緩急をつけるとか、そういうことではない。
また、感情描写から始まる、参考書に欠いてあるような下らない小学生の作文を意図しているわけでもない。


結局のところ、何を伝えたいのか。そして、これを読んだ人にとって何をしてもらうことがゴールなのか。この文章は誰にどのような意図を以て書かれたのか。これらを意識したうえで、日本語表記のルールに(可能な限り)厳密に従っていくということが、文章を書くということである。

散文・美文である必要はない。難しい表現を使用する必要もない(なお論文など専門職が強く、その中で専門用語を使用した方が正しく意図を伝えることができ、また[選民思想とは異なるが]一般大衆を意図して書かれていない文章は除かれるだろう)。

朴訥として、文章としての完成度は高くないが、それでも感情を動かすことができるなら、それで良いのだ。
私はその考えをいかにして伝えるか、が今後の至上命題であると考える。

なお、添削する私の文章はきれいな文章か、と自問自答すれば全くその逆。美文を書こうと思っているわけではないが、結局何を言いたいのかが全くわからない。それがpart1の記事であるし、この記事であるかもしれない。

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