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都市と人と新しい関係性論序章

text:吹田良平

年齢(とし)は語れても都市は語れず

  「MaaSがいかに都市を変えるか」と言った類のイベントに参加した。登壇者はデベロッパーや鉄道事業者、ラストワンマイル用移動事業者等MaaSプレーヤーで、彼らがMaaSを通して都市を語るという趣向だ。
 2時間半のイベントが終わっての私の感想はこうだ。「MaaS事業者は年齢は語れても都市は語れない」。例えば、レンタサイクルは当初20から30歳代の利用者層を想定していたが、蓋を開けてみるとその上の世代の割合が多かったとか、オンデマンドバスはシニアよりも思いの外、若い世代が多く利用してくれた云々。最後にご意見番的立ち位置のパネリストはこう言って、その催しは幕を閉じた。「我々のゴールはデジタル(データ)を駆使して、完璧にコントロールされた社会を作り上げること」。途中にはこんな発言もあった。「従来の都市計画や街づくりの発想に皆、飽き飽きしている。そこで新たに街の開発を考える際、演出家や劇作家に加わってもらう動きも出てきている」。そこで私はいたたまれなくなった。漫画の見過ぎだよ。
 登壇者の発言は、いずれも無知な私に新たな知見を与えてくれたし、私だって漫画からインスピレーションを得た経験は少なからずある(私のサードプレイス観の原体験は「750ライダー」)。それでもだ、そして気付いた。スマートシティが未だに退屈なのは、こういう背景のせいかもしれない。


スマートシティ徒然
ー 与太話「宵越しの銭は持たねえ」

 スマートシティの一角に暖簾を掲げる小料理屋があったとして、我々はそこでどんな時を過ごすのか。その店の大将は果たして人間なのか、細おもてで無精髭をはやした精巧な造りのロボットなのか。
 ロボットだとして、大将(AI?)は客の冴えない与太話にきちんと苦笑いを返してくれるのか。その日の気温や湿度、客の顔色、体温や声のトーンと過去の注文履歴の一切合切を瞬時に解析し、出してくれる最初の一皿は「ぬた和え」なのか「蛸ぶつ」なのか。食のフィルターバブルは偏食と生活習慣病を加速させないのか。店主との関係性の中で育まれる客の人間生成能力は劣化しないのか。あるいは、顔認証で勘定が済んでしまった暁には、「宵越しの銭は持たない」文化は消えて無くなるのか。
 仮に、大将(AI?)との一定の距離を大事にする都会者は、自前の節度と分別でもってその一時を無事やり過ごしたとしよう。さて、いざ店を後にするとき、酔い覚ましがてら歩いて帰ることに心移りした刹那、出待ちしてくれてたパーソナルモビリティに角が立たぬよう、我々は上手く断わることができるのか…。

スタートアップ拠点都市徒然
ー スタートアップが好む街の条件

 スマートシティには、公共安全だけでなく稼げる都市という可能性がある。街から吸い上げた各種データを連携して統合し、さらに流通させる基盤と制度を整備し、そこに社会実験ができる環境を加えると、それらを糧に起業家や企業を集められるかもとの皮算用が働く。でもそれだけで本当に彼らは集まるだろうか。
 雇用流動性の高い米国のテック企業の間では、優秀なICT人材を確保するために、そうした人種が多く住む都市を選んでオフィスを移すという潮流がある。では優秀で革新的な連中はどんな都市を好むのか。彼らを輩出する大学の存在を前提としながらも、もう一つミレニアル世代が志向する価値観のひとつにオーセンティシティ(真正性)がある。きらびやかな化粧を施した空間よりも粗野で素材そのものを露出させた空間が流行ったり、シングルオリジンの食材や手作業によるスモールバッチの食材が流行ったのは記憶に新しい。
 同じことは都市にも言えそうだ。要は華美過ぎない、誘客・集客し過ぎない、万人に媚びない、過剰にへりくだらない、おもてなしよりも対等性を習慣とする、近隣当事者が主に用足しする等身大の街に好んで住む傾向が彼らにはある。つまり本音で正直なネイバーフッド。データ駆動型スマートシティで採用されるコンピュータプログラムやアルゴリズムは、そんな非データセンシングの街で生まれている。

P1013401_本のコピー



クリエイティブシティ徒然 
ー パーパスシティ、エイブルシティ、オポチュニティシティ…

 近年、オフィスデザインの世界では「ABW(Activity Based Workplace)」というコンセプトが流行っている。これは労働生産性を基軸にオフィス環境を再編しようとする考え方で、オフィス内をフリーアドレスにした上で、数パターンのデスクセッティングを用意。その時々の気分で効率の上がる場所を選んで時間占有するという設えだ。だが本来のABWは自社の建物内に閉じた話ではなく、生産性が上がるのであれば、働く場所はオフィスから外に出て、自宅でも、カフェでも、街のコ・ワーキング・スペースでも良いというのがオリジナルだ。 その結果起こるのは、オフィス街と住宅街、オフィスと家、就労時間とプライベート時間といった区分が溶けてなくなっていく状況だ。
 2008年の金融危機からわずか10年で世界第2位の起業都市に成長したニューヨークのイノベーションディストリクト、ブルックリンでは、そこに所在する新興企業の7割は「従業員の大半がブルックリンに在住」。さらに、3分の1の企業は「従業員全員がブルックリン在住」。多くの人が働く街に住んでいる実態が明らかにされている。 このような知識創造産業に従事する者は、労働行為自体に生き甲斐を見出すケースが少なくない。そこでは就労と私事が不可分となり、プライベートとワークを区別してバランスを取るというよりも、むしろインテグレートされる傾向が見られる。

 また、ここ数年、年間4万人もの移住者が押し寄せるブームタウン、ポートランド市の状況を現地の行政マンは次のように解説する。
 「ここは街自体が自ら率先して実験的な取り組みに挑んでいるから、何かに挑戦したい人たちが全米中から集まってくる」。加えて、「西部開拓史の時代からパイオニアによってつくられた街だから、多くの市民は未だに挑戦する精神を持ち続けているし、挑戦する人を受け入れる術が自然と身についている」。
 挑戦を行動に移す態度が街中にコモンセンスのように広がっているこの街は、パーパスシティであり、エイブルシティであり、オポチュニティシティであり、創造特区と同意だ。これがメザニンがイメージするクリエイティブシティのエートス、社会関係資本に代わる創造資本の実態である。

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