過去から現在、旅または遠くからの思索
この2年間のコロナ禍で、旅をすることはとても難しくなりました。我々世代が経験したことのない移動にかかる制限。それは社会の分断をさらに加速させるかのようです。その証左として、ここメキシコでも社会経済格差が以前よりさらに可視化されるようになりました。巣篭もりできる人と巣篭もりすらできない人。国家統計に含まれないインフォーマルセクターと呼ばれる層が就労人口の半分を超えるこの国では、こんな状況下でも毎日外に出ざるを得ない人たちがたくさんいます。コロナ危機下で、日本のように自助を訴える国家が無力さを露見し、各国で国民生活の明暗が分かれる事態となっています。
僕個人の実感としては、多くの人たちと疎遠になってしまった一方で、今まで関係が深かった人たちとより良い信頼関係を構築し、コミュニティの強化というものも感じられます。こういったつながりは「紐帯」とも呼ばれ、そこにはいつも「贈与」という概念・アクションが力動しています。この贈与とはなんなのか、そして贈与がもつ哲学・社会・経済的な可能性を僕のフィールドワークや大学での経験から掘り下げて行きたいというのが本文の趣旨です。
コロナ禍という背景もあいまって、ここ数年日本でも「贈与」や「利他」というキーワードを含む多くの書籍が刊行されてきました(伊藤編 2021; 岩野 2019; 近内 2020; 中島 2021; 松村 2021; 森 2021; 山田 2020; 湯浅 2020)。その内容は贈与という問題にかんして哲学がどのように論じてきたかを系譜学的に俯瞰するもの、人類学やアナーキズムに絡めて贈与論を再考するもの、利他という概念を深めるもの、と様々です。しかしその根底には、資本主義を超えるものへの期待 (注1)があって、贈与や互酬の持つ可能性を再検討するという流れがあると感じます。
そもそも贈与や相互扶助をめぐる議論は、社会の近代化にともなって哲学や人類学といった分野で深められてきました。東日本大震災とパンデミックを経た日本では一つの思想的コンセプトとして流行を迎えているような印象を受けます。その中でもこの5年ぐらいの流れを先行していたと思われるのは哲学者の柄谷行人氏の書いた『世界史の構造』(2010)です(注2) 。柄谷氏はここで来たる社会の「高次元での贈与の回復」の可能性を呈示していました。
この贈与の回復と本展の表題である「旅」というテーマとをからめて考えると、東浩紀氏の『観光客の哲学』(2017)がひとつ論点の展開として面白いのではないかと思います。本書では柄谷氏の「贈与の回帰」も参照しながら、「観光客」というコンセプトのもつ偶発的な「誤配」の可能性について論じています。ですが、僕はこの「観光客」というコンセプトの射程に関してどうしても懐疑的な目を向けてしまいます。
かれこれ10年近く中南米にいることもあり、当該地域各国を回ってきましたが、(自戒を含め)観光客とは観光資源を貪るだけで、概して場に対して無責任な存在であると感じてきたからです。それは、観光客という表層的な存在に共感(エンパシー)という概念が不足しているからなのではないでしょうか。
例えば、中米でとある日本人宿に行った時のことです。共用スペースで話をしていると時には輪ができて、個々の経験について話すような機会がありました。すると「どこどこにどういう風に行くと安上がりだった」という話が何度も出ました。皆貧乏旅なのでもちろん出費を避けたいという気持ちはわかりますが、「旅」の本質からは逸れてしまっているような印象を受けます。僕は個々の経験がもっと感動や落胆に即したものであって欲しいし、日本ではない空間でいかに日本人たちが現地の人たちと交流しているかということを知りたかったのですが、あまり収穫はないまま宿を出て行きました。
もちろん、全ての「観光客」が共感を欠いた人間であるということではないのです。しかし、出会いを前提としている「旅」と、史蹟などをめぐる「観光」とでは本質的な違いがあるように感じるのです。今までの日常から「ずれ」て他者に「共感」する、これが旅の意義なのではないかと僕はまず提起したいと思います。そういう意味で、「観光」と「旅」は似て非なるものだと思います。「旅は道連れ」というように、例え一瞬でも誰か・どこかにコミットして旅は成立するのです。贈与も後述するように、背景に物語・倫理がなくては、意識的にも無意識的にも力動しません。ゆえにデリダの「誤配」という概念は「旅」にも適用できるので興味深いですが、「観光客」というコンセプトには目に見えて限界があるように思えます。
上記の考察を踏まえた上で、ここ2年の移動の困難は僕らが内面への「旅」を進める機会でもあります。自分の「ずれ」の軌跡を再確認することは、ひとつの旅のかたちであって、現在地点を見つめなおす最良の方法です。ここにおいて、アートの果たす役割はとても大きいと思います。というのも、「ずれる」という経験は、まず旅においては自分の「非日常」を「日常」として取り入れて行く作業なのです。アートは、美術館で見ようが街中でみかけようが、否応なく作品に出会った前の世界と出会った後の世界に境界線を引きます。人類学、社会学や哲学も同じように、自分とは違った環境で暮らせば、自分もまた変わるし、素晴らしい書籍に出会えばその後の自己の世界は少し更新されます。
そうやって僕らは少しずつずれていってるのだと思います。そしてその「ずれ」が人生に喜びを与えてくれている。今回は少し僕の「ずれ」の物語を思索の旅として、その道程をみなさんにも共有できれば嬉しく思います。少し長文になりますがお付き合いください。
なお、本文は千葉県に所在する月出工舎主催の展覧会『旅のかたち』において参考資料として利用するために作成されたものです。より多くの参加者の方が読み手となってもらえるよう、学術論文とエッセイの中間的な体裁で記述していきます。文末に参考文献も付記するので、興味のあるテーマがあれば皆さんにも読んでいただけるよう、できる限り日本語文献も紹介したいと思います。しかし中南米研究の書籍は原著がほとんどになってしまうことは翻訳不足ゆえのこととお許しいただければ幸いです。
メキシコへの道
2018年末、京都で自分の研究について短いプレゼンをした時にとてもいい質問をもらったことが記憶に残っています。「コンビニなどに代表される高い利便性を日々体現する現代日本社会が一体先住民から何を学べるのか」、という質問でした。この質問への返答を念頭に今回の文章を組み立てて行きたいと思います。
そのためには自らの学びも含めて、少し個人的な経験に話を遡る必要があるでしょう。なぜ、メキシコなのか。多くの方がそう思われるかもしれません。僕にとっては至るべくして至った場所なのですが、例の「ずれる」という行為を繰り返しているうちに知らず知らずのうちに遠い地点まできてしまったというのが今の実感です。
2013年当時、大阪での学士時に1年間留学していたメキシコという場所を忘れられないまま日々を過ごしていたことが、現在にまで続くメキシコ住まいの大きな判断材料の一つになったとは思います。しかし、僕が当時勤めていた会社を辞めて再びメキシコに渡ったのは、人類学者のデヴィッド・グレーバー(2020)が指摘するところの典型的な「ブルシット・ジョブ」(注3) に自分が従事していたことを実感していたからであり(注4) 、ただ漫然と年月が経って行くことに耐えきれない思いを抱くようになっていたからでした。そこで、自分がどう生きていきたいか、何に魅力を感じるかということを再び突き詰めて考え直した時に、見えて来た選択は「研究の道」だったのです。
心を決めればあとは猛進あるのみ。日本とメキシコの交流協定を通じて奨学金を得て再度メキシコに渡ります。しかし、勢いメキシコ国立自治大学に来たものの、当時はまだ具体的な研究計画もなく、まずはモグリでラテンアメリカ研究科の授業に出席しながら何を研究したいのかを模索して行くことになります。同大学晢文学部に所属するラテンアメリカ研究科は、レオポルド・セアという研究者らが中心となって創設した学際的地域研究科であり、哲学、文学、経済学、社会学、人類学者などが、ラテンアメリカ及びカリブ諸地域をフィールドとして多岐にわたるテーマを研究しています。
僕はそこで、経済学的なアプローチに最も興味を持ち、まずは従属論 (注5)などの中南米経済の基礎的書籍に触れます。また2000年代急速に議論が盛んになった南の認識論(注6) 、ポスト発展主義(注7) 、社会的連帯経済(注8) 、ブエン・ビビール(善き生)(注9) などといった近年の研究動向に親しむようになりました。さらに、ヨーロッパからの思想潮流としてセルジュ・ラトーシュの脱成長論(注10) にも触れ、「資本主義の代案としてのシステムとはどういうものなのだろうか」という問いを自分の研究の中心に据えていくことに決めたのでした。
また、もう一つの視座として、脱植民地という考え方も中心命題となっていきます。中南米に住んだことのある日本人の方であれば、誰でも経験されていると思うのですが、現地では日本の話をすると必ずといっていいほど戦後の経済成長と発展の話が出ます。僕の会社生活という原体験は、経済成長の先に待つ「意味」の「貧しさ」が存在するということを経験知として教えてくれたという点でとても価値のあるものであったと思います。既に、「経済成長=人生の充足」という定式は自分の中で崩れ去っており、中南米各国がいわゆる先進国と呼ばれる地域を目指さなくてはならない、この強迫観念に大きな疑問を覚えるようになります。
根本的な問いが決まれば、あとは研究対象を何にするか、です。マルクス研究者の斎藤幸平氏が、この脱成長論をマルクスの晩年の考察と絡めて、コモンの再生というシナリオを描く『人新世の資本論』(2020)というとてもコンパクトにまとまった本を執筆されています。その中で、最終的にグローバル・サウス (注11)における実践への期待が描かれていますが、普段何気なく使っている「経済成長」や「発展」という言葉に潜む毒性に気づかされた僕もまた、自給自足や贈与・互酬性など、資本市場における等価交換とは違う原理で経済が機能する社会に着目することにしました。中南米という場所でそんな実践をしている人たちを探る中で、先住民コミュニティの広い意味での社会経済的活動に強く惹かれていくようになりました。ラテンアメリカ近現代史の中で、経済発展の障壁だとも言われて来た彼らの生活のあり方が、未曾有の環境危機の示す僕らの生活スタイルの持続不可能性に対し、一条の光のごとく現出してきたためです。
しかし、一つ前置きとして明らかにしておく点があると思います。一口に先住民と言っても実に多様な民族、そしてその生活の形態が存在しており、例えばアマゾンの奥地で都市社会とは接触せずにひっそりと暮らしている人々を思い浮かべてしまうと、今回の研究の提示している実践の射程を見誤ります。我々が前提とすべきは、コロンブスのアメリカ大陸上陸以降のすべての歴史を経て現在にも息づく先住民としてのアイデンティティ(注12)を持つ人々、しかしながら彼らは我々と同じく今日スマートフォンを駆使し、都市生活を経験したこともある人々のことを指しているのだということを念頭に置いてほしい、ということです。つまり、資本市場から完全に離れた先住民族というものを前提として今回の話を進めて行くのではありません。
さて、最初の研究対象として僕が選んだのは、1994年に武装蜂起し、史上初めて効果的にインターネットを駆使した反システム運動として、日本でも知られることになった革新的な先住民組織であるサパティスタ民族解放軍(以下EZLN )でした(注13)。武装蜂起後、政府との和平交渉のテーブルにつく中で1996年に採択されたサン・アンドレス合意は、政府によって反故にされ、以来地道な自治組織の編成に注力してきました。その結果、現在地域ごとに自治コミュニティを統制する政治形態があり、多くの社会運動にとって参照すべき一つの模範例となっています。しかし、その自治運動と表題の贈与論が一体どうつながっているのかと思われる方も多いと思います。まずは贈与論の簡単な概説をすることでその関係を理解していきたいと思います。
オルタナ全ての地平に現出する贈与論
先ほど色々な研究動向に親しむようになったと記述して来ましたが、最終的に2014年のある授業で触れたドミニク・テンプル(2003)というアマゾン先住民研究者の著作がきっかけで贈与論に着目するようになります。そもそもオルタナティブ経済といえば、代替経済、これすなわちなんの代案なのかというと現行システムである資本主義にかわるもの、ということになります。先述の様々な理論が資本主義やその先鋭的な一形態である新自由主義を批判し、別の社会経済のあり方提示していることを理解していく中で、僕はある共通性を見出すようになりました。それはすべてのオルタナの根幹に実は贈与あるいは互酬(注14) の概念が参照されている、という事実です。例えば連帯経済の連帯の核はメンバー同士の互酬的交換にあり(プロジェクト参画に伴う時間的・経済的自己犠牲など)、ブエン・ビビールであれば人間-自然間の互酬性の構築など、人間のコミュニケーションの深層には明らかに等価交換に還元され得ない現象が日常的に起こっています。それを贈与や互酬の表現であると理解すれば、金銭を介した交換以外にも、編み目状の交歓とも呼ぶべきつながりが国家や資本という枠組みを超えてあらゆる場所に存在しているということになります。
そういった意味で、マルセル・モースの書いた『贈与論』(2014)は古典としてとても重要な役割を持っています。モースは基本理論として、贈与-受容-返礼という3つのモーメントに着目し、人類学及び歴史学的見地からの互酬的交換形態の基礎理論を打ち立てます。その後、返礼の謎に対するモースの解答への批判などをはじめ、今に至るまでこの書籍を中心として議論が深められて来ました。今回このモースの理論の中で僕が最も注目したいのは、この返礼の謎(ハウ)と全体的社会的事象という定義です。
モースにとっての贈与の最大の疑問は、なぜ返礼が行われるのかということでした (注15)。そこでこの疑問に対してマオリ族の「贈与の霊」であるハウを引き合いに出して返礼における霊的強制力の存在を示しました。これに対し、1950年に出版されたモースの『社会学と人類学』の中で、人類学者のレヴィ=ストロース(1979)が導入部分において、「浮動するシニフィアン(ゼロ記号)」という言葉を使い、ハウという言葉を使ったモースの理論を批判します。レヴィ=ストロースからすれば、調査対象地域の原住民の宇宙観に即したハウのようなものはどこの民族のどこの言葉にでもなりうるものであって、もっと科学的なアプローチからこの贈与交換というものを見るべきであるということです。
しかし、今村仁司氏(2016)の言うように、この贈与関係を力動させる先住民・原住民の主観の存在こそが重要なもので、そこにある物語や倫理を追わずに、贈与や互酬をただの等価交換関係に収斂させてしまうのは、勿体無い気がします。むしろここに立ち上がる贈与の倫理や物語(つまり浮動するシニフィアン)にこそ、なぜ等価交換の原理に基づかない、むしろ「交歓」ともいうべき現象が起こるのか、その鍵があるように思います。
また、僕がテンプル(1997)の分析で最も興味深いと思ったのは、贈与というものが生産を促すという点でした。自給自足を超えて、余剰を作り出すその目的は、「交換」か「贈与」に還元されます。そうです、人にものをあげるためには、僕らも何かを生産しなくてはならないのです。生産を贈与が促す、これはまさに目から鱗が落ちるような話でした。僕の中で何か認識的転回が起こり、贈与という世界が一気に開けて見えるような感覚を得たのもその時です。
ただし、注意しておきたいのは、必ずしも常に贈与が資本の対抗軸になるわけではなく、資本に包摂されてその機能を促進させもするし、また贈与が生む力(あるいは権力)の不均衡は時にフェアではない事態を引き起こします。しかし、それでも贈与はオルタナを語る時に避けては通れない命題であるのです。それは贈与が人間の根幹である社会性に関わるからです。
さらにモースの注目すべき定義に「全体的社会的事実」あるいは「全体的給付」というものがあります。これはつまり、贈与という現象は経済だけに還元することはできず、同時に社会的であり、法的であり、儀礼的であり、美的であり、といった切断できない複合性をもつものだということなのです。このあいまいさは、贈与へのアプローチの難しさに直結しており、参与観察を通じた追体験が一番実は贈与関係理解の近道なのではないかと僕は思っています。
さて、前置きはこれくらいにして、これまで話してきたことが一体どういった形でメキシコ先住民から提示されているのか。今回はチアパスとオアハカのケースをご紹介します。
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