本格的な不登校まっしぐらだった小学1年生の息子。そして今は大変元気です。
前回からの続きです。
帰宅してから「どうして学校行きたくなかったの?」と、私は息子に聞いてみました。
息子は「行きたくなかったから…」と、浮かない顔。
担任との連絡帳には「あれからしばらく席で泣いていました」と書いてあります。
さすがに心配になりました。
号泣して、初めて「行かない!」と叫んだ翌日から
翌朝も息子は布団をかぶり、出てくる様子を見せません。
なので、毎日好物の「桃」を用意して「桃あるよ~」と呼び寄せます。
やっと起きてきたのもつかの間、今度は学校へ行く準備ができません。
私がランドセルに教科書を詰め込み、自転車の前のカゴに乗せます。
息子は後部座席に乗って登校します。
担任に「絶対におかしい。何か学校でありませんでしたか?」と電話で聞いても「何もないんですよ。私もどうしてなのか不思議なんです」と言われます。
嘘をついているようにも思えません。
仕事に遅刻する毎日
もちろん私は仕事を遅刻です。
職場に電話し「すみません、遅刻します」と言うことが苦痛でした。
私は仕事が大好きで、もともと仕事に生きようくらいの人間でした。
遅刻が恥かしいわけではないけれど、一体どれだけ職場に迷惑をかけているのか想像すると恐ろしくなりました。
しかしラッキーなことに勤務先は障害者支援の現場で家庭の事情にも理解があり、尚且つ関係性も良好でした。
施設長や同僚からは、気遣う温かい言葉をかけてもらいました。
息子は私の職場に遊びに来たこともあって、職員からも障がいを持つ利用者からも可愛がられていました。
息子の様子が不安になり、職場で泣いたこともあります。
それでも同僚や上司は「そりゃ心配で泣きたくもなるよ」「学校へ行けないくらいなんだ」と励ましてくれていました。
本当にホッとする空間でした。
しかし現実はというと、暗雲が立ち込めていました。
息子は日に日におかしくなっていきます。
その原因を作ってしまったのは、ある日の私の行動でした。
育児史上最大のミス
朝の格闘が始まった数日後、私はいつものように息子を昇降口まで送りました。
そのころには「コーディネーター」という、不登校支援担当の先生が昇降口で待つようになっていました。
笑顔で「おいで~」と言ってくれるコーディネーターに、息子はニコリともしません。
校舎に入りたくないと抵抗します。
するとコーディネーターが、息子を抱き留め「お母さん!早く行って下さい!!!」と私に言いました。
私は「保育園みたいな対応…」と思いつつも、息子に笑顔で「行ってくるよ~!」と声をかけ、コーディネーターの言うとおり駆け出してしまったのです。
息子は
「 おかぁさぁ~~~~~~~~んっっっ!!!!!!(号泣)」
と、私の方へ手を伸ばして泣き叫びます。
それを横目に走って行ってしまった私。
最高潮に不安な子どもを置いていくなんて。
最悪です。
その時は「この対応が良いんだ」と思い込んでしまったのです。
後から思えば、私の育児理念とは逆行した行動でした。
「いくらでも待つ」をしてきたのに、こんなに不安な息子を置いて走り出してしまったのです。
その日から息子は、見事に私の傍を離れることが出来なくなりました。
これが「母子分離不安」です。
マンション下に行こうとするだけで「どこに行くの!?」と不安そうにしがみついてくる息子。
おちおちゴミ捨てにも行けません。
こんなことは初めてでした。
私は私で、泣き叫びながら私に向かって手を伸ばす息子の姿が脳裏に焼き付いて離れませんでした。
なにかとんでもないことをしてしまった、そんな不安が押し寄せてきます。
私が居ないと学校で過ごせなくなった息子
朝だけ送っていたはずが、日中も私が廊下に居ないと学校で過ごすことができなくなりました。
教室に息子を置いてこようとすると、息子は私の足にしがみついて離れません。
「そんなもの、振り払って行けばいい」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは到底不可能な状態でした。
もし振り払うなら、息子を殴って行かねばならなかった。
そのくらい私にしがみつくのです。
私は息子に手はあげない主義ですし、そんなことをすればますます状況は悪化します。
そんなある日、私は「学校へ行きたがらなくなった原因は、やはりあれではないか…」と思う、ひとつのことを思い浮かべるようになります。
息子にとっての衝撃
息子は1年生になって、すぐに仲良しの男の子ができました。
名前は「Aくん」。
やんちゃで活発な印象でした。
息子が好みそうなタイプです。
息子は「Aと一緒に学校行く」ときかず、相手のママも一緒に登校するようになった、小学校初めての友達です。
家では毎日のようにAくんとのエピソードを話していました。
Aくんは学童も通っていて、どうやら学童でも遊んでいたようです。
同じクラスの仲の良い子どもたちも居ました。
私は、仲良しがいれば大丈夫だろうと思っていました。
私が息子と学校で過ごし、放課後校庭を歩いていると学童の職員に声をかけられました。
息子の様子を話し、行きたがらなくなった曜日を伝えました。
すると学童の職員は
「 あー、その前日、Aにやられてたんですよね 」
と言いました。
やられてた?
なにを???
その職員に何があったのか聞くと「Aが息子に馬乗りになり、上から殴っていた。職員が気が付いた時には時すでに遅く、息子はやられた後で泣いて横たわっていた」と話しました。
「Aは暴力的なところがあって、職員もかなり気を付けてはいるんですが」と話していました。コミュニケーションに障がいがあって…と、他人の私に話して良いんかいという内容。
そして「Aの保護者には事の次第を伝えたが、私には言わなかった」とのことでした。
「〇〇(息子)は学校に行けなくなるような子じゃないんですよ」とも話していました。
なんでしょう、この感じは。
他人のことをベラベラと話してしまう感じにも違和感を覚えましたし、なによりも暴力沙汰を向こうには報告して、こちらには話していなかったことに怒りが爆発しそうでした。
ですが言いたいことは全て飲み込み、私は「とにかく担任に言わなくては」と思いました。
すぐに担任に
私は担任に学童での出来事を話し、学校へ行きたがらない原因はこれではないかと伝えました。
そして担任からの連絡帳をもとに、またしても私はとんでもないミスを犯してしまうのです。
そして後々、Aの「暴力的」と言われる行動を目の当りにして、大人の私も驚愕するのでした。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
続きは続々書いていきますので、ぜひまたお立ち寄りください。
現在の息子の様子も書きとめていきますので、不死鳥の復活劇を気楽にお読み下さると幸いです☆
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