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自分は人に諦めているのだと気づいた
感情の取り扱いが、昔からなんとなく苦手だ。
よくみると、私のホロスコープには水の星座がとても少ない。(冥王蠍のみ)
いまでこそ、『嬉しい』『楽しい』は、表現をすると人に喜ばれることを知っている。それが自分も、さらに『嬉しい』『楽しい』になるので、表現することにしている。
一方で、『悲しい』『寂しい』『怒り』の感情は、表現することに抵抗感があるのは勿論、自分のなかに抱えておくこともしたくない気持ちになる。
『悲しい』『寂しい』の感情が湧くと、昔から違うことをして気を紛らわせたり、捉え方を変えたりしてきた。知は孤独を癒してくれると思う。『怒り』は最近少しずつ、友人にもっともらしい表現で伝えることができるようになってきた。
でも、実際には感情は消えずそのままそこにあるし、無視された感情は時間をかけてゆっくりと大きくなって、蓋が出来なくなることをしっている。
この『悲しさ』『寂しさ』を受け止めてほしい人に受け止められないとき、受け止めてもらえる信頼ができないとき、この感情の行き場はどうしたらいいんだろう?
自分のなかでの認知的不協和を解消するために、「でも相手にも事情があるしな」「自分はそれを理解しているのだ」とか「どうせひとりなのだ」というような考えをこれまでしてきた。もしかしたら、諦め、もここなのかな。人との深い対話を避ける。そういうプロセスがある。
それは、自分が癒されるアプローチ、ではないことは知っている。
そんなときは、ただその感情を味わうのだという。『悲しい』『寂しい』、そういう感情が自分の内側に存在することを認める。これは、シャドウを認知するプロセスなんだろうなと思った。こういう感情をなかったことにするから、シャドウとなって、忘れてしまうのだと理解する。
感情はもう、なかったことにできない。
Feb 6, 2021. 7:26
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