それでもわたしは、きっと分かり合いたい
ひでみん、けいちゃん。どうもこんにちはー。
サムネイル画像が、文字通りそのもので気に入ってしまいました。
最近のわたしといえば、食欲が減っています。
ぼーっとすることも多い。
これを、夏バテと呼ぶひともいるけれど、春夏秋冬関係なく、そういう気分のときはあるでしょう。
ぼーっとしたままに、いまこの瞬間に感じていることを、今日はお便りにします。
ちょうどいま、わたしは、家族の難しさを感じている。
難しいと感じている。難しいことにしている。
分かってもらえないと感じるのは、きっと、これまでにたくさんの分かってもらいたかったことがあるから。
ひとりでいたいという気持ちは、ひとりでいても仕方ないでしょうという言葉をきっかけに、怒りで反応する。
なんで瞑想してるの?宗教の祈り?と言われたことは、偏見や否定のエネルギーを感じて、反抗と拒絶のエネルギーで返してするりと心を閉じる。
生活サポートが必要になっていく親のために、自分の時間やリソースを分け与えることは、自己犠牲のように感じる。
いま起こる反応は、いま起きた感情ではなくて。
過去の記憶に残る感情、許せなさたちが、あるのだろう。
また、私の思い込みから、私と親が互いに演じて共同創造している現実もあるのだろう。
こころをひらくと、付け込まれる。優しさから、自己犠牲するんじゃないか。そういう思い込みも、どうやらあるようです。
誰かに、あなたが許せないことはなんですか?と問われたとき、自分に嘘をつくこと、と答えていた。
自己犠牲は、自分に嘘をつくことと、密接に紐づいているみたい。
そんなことたちを思いながら、いつぞやのヒプノセラピーのなかで見た、家族のなかで誰よりも私自身がかわいそうだったよ、という気付きを思い出す。
そんな、とある夏の日。
さいきん、原初の家族ではなく、これから創っていく家族にはReadyらしいということがサインとして舞い込んできている。
ひとりで生きるよりも不確実性の高い『他者からの介在』『他者とのCo-Creation』を経験していきたいし、ケの日をともに共同創造して楽しみたい。
誰とともにいるか、とても慎重なじぶんだからこそ、とても自然なかたちでパズルピースが組み合わさるように、つくられていく気がしている。
あとはもうよーわからんから、粋でおもろい人生をイージーモードで楽しむ縁起設計に、おまかせしておくことにする。
それでも、宇宙には愛しか存在しない
毎日が創りあげられるという、体験。クリエイションの探求。
目覚めたときにいのちが始まり、眠るときに終える。
いのちが始まるとき。
今日はどんないちにちが起きるだろうか、どんな楽しい日になるだろうか。
そんなことを思う。
いのちが終わるとき。
顕在意識の枠を容易に超えて起こる、楽しみ、よろこび。
それに、しあわせを感じる。
わたしの人生は、楽しくておもろい、という縁起設計になっている。
その証明がされ続けている。
いまこの瞬間が創造される連続。
淑女たちよ。暑い日が続きますが、ごじぶんの心地の良いいのちのはやさで、それぞれこの地球を楽しんでまいりましょう🌍🌟
この世界は、イージーモードでありますから。
淑女たち
わたしについて
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