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I am からI createくらいまで来たんじゃないだろうか

歩くことでつくられる道。まさに、そうなのだと感じている。

2020年9月頃に、分からない人は置いていくし、分かりやすい言葉を使うのはやめることを意図した。

そしたら、より純度の高い自分の表現をするようになったし、染み出していってビジネスでのつながり(要は分かりやすさ、つよさの世界と見てきた領域)でも出ちゃって受け入れられる体験をしてきた。

2021年4月、じぶんの人生に、より深くはじめての質感で、しごとの喜びを体験させてあげることのジャーニーが始まった。

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わたしのことばで、わたしの考えはたしかにそこにあるものとして、伝えていく。わたしがわたしでありながら、この場に役割があるし、受け取るものがある。たくさん、自分にYESを言う体験をした。

その先に、わたしがわたしと何度も手を繋ぎ直すことがあった。だから、寂しさが減った。

2週間前頃、『資本主義』という言葉をよく使っていたが、使わなくなった。わたしが資本主義を眼差す構図から、よこに座っているような。距離が近づき、握手出来ている感覚がある。

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分かりやすい言葉で、分かりやすいリップサービスで、分かりやすい触れ合いで、誰かとつながろうとすることをしなくなった。そんな短絡的なことを求めなくなった。

わたしが生きていくうえで、わたしという旗印をたくさん立ててきた。それはI am、私は存在するの証明をしてきた。気づけばhave、think、feelは通過してきたような。

とするならばIcreate、私は創るフェーズに入っているんじゃないだろうか。いままさに、かもしれない。その先はdisireあたりがテーマになるんじゃないだろうか。人間として、現実に対する欲求。

わたしとあなた。わたしのなかにいるあなたと、あなたのなかにいるわたし。なんとも蠍座的なテーマではないか。少し先のテーマが探求会で現れるような気がしてきた。

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地に足をつけて、生きる力をもって、エネルギーを現実世界に発露していく。

2021/10/10 12:22


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