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好きなものにだけ繋がるお覚悟

無意識への信頼が増しとる。

「嫌いじゃない」「嫌ではない」ことへの断捨離が加速していて。

長らく、「嫌い」を禁じて生きてきた。
これまでは全く断捨離出来ずブラックホール人間でいたゆえ。仕事も、たべるごはんも、お付き合いする人も、なにもかも。嫌でなければまあいいか、を選択していたよ。

無いよりは、ある。これは実は心配性な父の考え方に似ているね。


次いで、嫌いなものはお断りするようになった。なにかを嫌うことを禁じていたのが20代前半まで。お前は神にでもなりたいの?と言われたよ。

そのとき、わたしは神にはなりたくないなと気付いて、当時の上司のことを嫌いと認めたり、まあいいところもあるからな、と言いがちな対象物に対して「でも嫌いやわ」と、気持ちの居場所を作った。

そしていま。 好きなものにしか繋がらないという、覚悟。どっちでもいいものに、これまで居場所をなんとなく置いてた。それを、どちらでもいいのならば、わたし自身とこれからやってくる好きなものにスペースを譲ってもらう。だんだんと、楽観的でハッキリしている母のスタイルに寄せてきているような。

そんなかんじの、スペースのつくりかたをしていくのね。何かを始めるのに、何かを手放す。


わたしがエネルギーを受信していないものを手放すっていう道がやってきたみたい。あとは、少しでも変な匂いがしたら、良い匂いがするまでは距離を取る。良い匂いがしなければ、遠くにいたまま。

どっちでもいい、という領域が広いから。どっちでもいいものは、おやすみ、手放しをする。アーティストは動かなくていいし、自分のことに集中しておればよい。世界はやさしいもの。


そんなことが起きているようで、水回りを中心にぴかぴかにクリアリングしたり、床の水拭きしたり、そのプロセスで突然インナーチャイルドの声が聞こえて涙が止まらなくなったり。そして、お天気雨が一瞬降ったり。


全力で、好きにだけ繋がって生きておれよと、サポートしてもらってるよ。ちょうど、グラウンディングのルーティンも再開したところでしたね、わたし🫶


つまりは、自分に゙強烈なYesを贈るために、NOを言い続けること

そういうことをしなさいな、ってことみたい

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