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信じるの先にある、いのち、生きるということ

朝の慌ただしい日々のなかで、少しだけでも時間を見つけて、白紙のノートを目の前に正座してじっと座る。そんな気持ちで、いつもnoteを開き、そして文字を打ち込んでいる。

信じるということ

少しずつ、そして着実に、自分が表現をして良いのだということ。そして、それが受け入れられること。そうやって、自分を信じて、他者を信じる旅路を歩んでいることを実感する。

人は受け入れてくれないのではないか?というところを、この人になら頼ってみたい、そんなときにあえて一歩踏み出してみる。それが小さな、でもいずれ山となる自己信頼貯金になってくれている。

これからの生き方を考えてみる

やはり、いまも未来は見えていない。流れるように、人生の散歩をするように寄り道をしながら、これは気になる/これはいまじゃない、という知覚を得ていく。

27でビジョンが確固たる信念ではないことを知り(正確には不変ではないということ)、28ではビジョン設計を保留としながら足場を固めていく耐え忍ぶ時期、29からはアート思考のような感覚と論理を繋ぐ道を進むのだと言える。

きっといつか、感覚に寄せた生き方をしていくのだろう。論理は理想実現のためには心強いスパイスでいてくれるが、メインディッシュではない。

ざっくりだと、30~31まではそのような生き方をしていきそう。この辺りでビジネスをもう少し極めていきながら、感覚の世界にいきたくなるんじゃないかな。この時期に、ビジネスと感覚の分断ではなく、共存の在り方を自分のなかで少しでも視えていると良さそう。

引き続き月末の休暇のこと

どうしても田園風景のなかで、沢山の書物に囲まれる体験をしたいという気持ちで、秋田のスイデンテラスに惹かれている。正直遠い(笑)

新幹線代が思った以上にかかるし(金額帯はこういうものなんだろうけど)、田園風景なんて実家でも見られるし。そういう貧乏性な私がいつつも、それでもなんだか理由なく惹かれているというのがある。せっかくなら2泊3日が慌ただしくないよなあと思いつつ、1泊2日で軽く観光しつつ、ホテルを楽しむのもいいのかも?

他には友人が経営している長野のオフィスへ行きたいし、葉山方面に引っ越した友人の家にも遊びに行きたい。パートナーにも声をかけてみたところ、「具体日はまだ分からないけれど、その辺りなら少しずつ休暇が取れそうだよ」と応えてくれた。

目に映す景色を変えて世界の広がりを感じたいし、人との関わりを通じて世界の広がりも感じたい。

March 9, 2021. 9:39@home

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