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インドに翻弄される人生紹介

「インドに行けば人生変わる」

過去の記事で、そんなことはないのでは?と書いた記憶があるが、
あながち間違っていないのだろう。特に私は翻弄されまくっている。

その1
ベンガル語にどハマりし、大学中退&編入

高校を卒業してすぐにNGOのスタディーツアーのようなものに参加して、インドに渡航し、農村部の村で2週間過ごした。知らない言語に囲まれると常に悪口を言われているような、怒られているようななんか不思議な気持ちになり、なんとしてでもこの言語を習得してやろうと思ったのを覚えている。
最初は会話程度のつもりが、学ぶうちにどんどんハマっていってしまって、最終的には元々いた大学を辞めて、ベンガル語専攻のある大学に編入した。
(マイナー言語に三年次編入した話もぜひ記事にしたい)

その2
婚約破棄を経て、路頭に迷ったところにコルカタでの求人を見つけ、1年間コルカタで勤務

大学4年の頃、一度は人生をともにしようと心を決めた人がいた。
彼は南の島に住んでいたので、私も卒業したら移住して、その国で働く予定だった。が、みんなが就活を終えた秋頃に婚約破棄を告げられ、私は途方に暮れる。涙も止まらない、思考もまとまらない、でもすぐにインドに飛んで活動をしなければいけない...
もう頭も心もおかしくなりそうだった。
そんな頃に、コルカタでのポストを見つけて、働くことになった。
単調な仕事、オフィスへの日々の通勤などに耐えきれなくなって、帰国。

その3
ダラダラとインドに通ってNPOの活動を続けていたら、代表を務めるまでにどハマり

初めてインドに行った時からずっと同じ団体で活動を続けている。
なぜだかわからないけど、無性にパッションが湧いてきて、もうこれはやるしかない。やったろ。と半ばやけくそになりながら活動を続けているわけだが、気づけば代表になってしまった。
代表になって色々考えることやこれからの活動との向き合い方への考えがそこそこ変わったような気もする。

その4
インドでの活動を通してであった少年の存在から、スピーチパソロジストを目指す

インドの農村部の小さな集落に住む当時小学校低学年くらいの少年。
彼は話すことができない。名前を呼ぶと反応するのでおそらく耳は少しは聞こえているのだと思う。スーパーチャーミングで、よく周りを見ていて、彼が言葉を発することなくともコミュニケーションが取れてしまう。
そして、日本人にも村のみんなにも愛される存在なんだ。
言葉命!みたいな感覚のあった私には彼の存在がすごく不思議というか、その魅力に私もやられてしまった。
村の中では問題がなくとも、学年が上がったり、仕事につけば
大きな課題が彼に降りかかってくることはインド社会を考えると、特にインドの農村部事情を考えると明らかなんだ。
こんなにも賢く、魅力的な少年の才能が埋もれる社会ではあってほしくない。
別に彼のためにというわけではなくて、
どんな人でもそれぞれユニークな魅力や強みがあるなと彼との出会いを通して痛感した。自分を含む、全ての人が魅力的なんだ。

それだけを考えたら、教育学やパブリックポリシーなんかを学んでもいいと思ったのだけど、
私にとって「ことば」や「コミュニケーション」というのは何よりも大切にしたいものなんだ。だから、直接何かができるわけではなくても、私はスピーチパソロジスト(通称:言語聴覚士、ST)として少しでも貢献できたらいいなと思ってこの道を進むことにした。

今度のフィールドはインドではなく、オーストラリアだけど
私はきっと彼との出会いを一生忘れないし、彼の幸せを心底願って日々生きるんだろうなと思う。

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