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心療内科にはもう二度と行くもんか

行ったら負けだ。
休職するまでそう思っていた。

いつから頑なになっていたんだろう。
いったい何に、誰に対して負けると思っていたんだろう。

心療内科への先入観でも、精神疾患に対する偏見でもない。自分自身、うつ病を経験して心療内科に通っていた。精神病棟に入っていたこともある。
だから人の心の脆さも、痛みや苦しみも、逆境を乗り越えられる強さも知っている――はずなのに。



できていたこと、できていなかったこと

社会復帰して、2度目のうつ病によって休職するまで8年半。
その年月を考えると、たまたま安定期が続いていたわけではないはず。自分なりに社会に順応しようと努力した。継続できたこともまぐれではない。
誰が何と言おうとも、それは誇りに思っている。

でも、それから先はどうだっただろう。

自分を労わることはできていただろうか?
ワークライフバランスは適正だっただろうか?
これからのキャリアを、ライフプランを具体的に描けていただろうか?

全部、できていなかった。疎かにしていた。
ゼロじゃないにしろ、圧倒的に足りていなかった。


紙のノートでの観測と対話、そしてnoteへ

アウトプットが習慣化し、その幅を拡げたいという意識の変化。時間の経過とともに“自分と向き合うための自分”のコンディションが整ってきたような感覚がある。
自分と向き合うというと漠然としすぎているので、自分的に「これまでを振り返り、問題点を捉え、解釈や意味を与える。それから目標・目的を見出すべくこれからを創っていく」と言い換えることにしておく。

休職に至った原因と、今回うつ病が再発してしまった原因には密接なつながりがある。でも、頭の中ではその関係性をぼんやりとしか描くことができない。
だからこのnoteというキャンバスを使い、アウトプットという手法で、少しずつ描くことを始めようと思う。


ストレスの全体像を知る

うつ病はその性質上、目に見える形として捉えるのが難しい部分があるから、それのみで原因を追うのは限界がある。それなら休職のほうから探していくほうが捉えやすい。

大前提として、うつ病を引き起こしたストレスの100%が《仕事》ではない。まずはここの分析をしてみようと思う。

わたしの場合、挙げられるのは大きく3つ。
《仕事》《住環境の変化》《コロナ禍》だ。これは、あくまで自覚している大カテゴリの部分。細分化していくなかで発見するものもあると思う。

また、とても複雑になってくる予感がするため《HSP》については大カテゴリを与えないでおく。現時点では言及もせず傍らに置いておこうと思う。

そして、忘れてならないのは《20代に罹患したうつ病の経過》について。
【両親に言えない休職のこと】で触れているように、1度目のうつ病は寛解したのではなく「ねじ伏せた」に等しい。だからその後の社会生活に少なからず影響を及ぼしていたのではないか、と推察している。
自分で決め、実行したことだから後悔はしていない。ただそこから《仕事》が始まっていることを考えると、すべての根源にはなってほしくないし、ストレス割合的にも小さく収まっていてほしいと願う。

現時点で《仕事》《住環境の変化》《コロナ禍》+《以前の罹患とその経過》を、うつ病を引き起こした原因の4大カテゴリに置くことができた。
今後のアウトプットでは、この4つから振り返り、もう少し深掘りしてみようと思う。

最後までお読みいただきありがとうございます。すこしでも読者さまのお役に立てば幸いです。 いただいたサポートは、一輪挿しのお花 or 実家のねこ様のおやつに使わせていただきます☺