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田中優子「江戸から見ると」~柔らかでしなやかな、そして強靭な視点でこの国を眺めると

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これは2015年から2019年まで毎日新聞で連載されたコラムと、その他各誌に掲載されたエッセイなどをまとめたもの。ちょうど田中氏が法政大学総長を務めていた時期と重なるので、一私立大学総責任者の立場からの発言・提言も多い。私は昨年くらいから氏の著作を集中的に読んでいるが、その論考・発言には深く頷くことばかりである。

江戸文化研究の第一人者である田中氏は、秀吉の明まで征服した大帝国構想という誇大妄想からの朝鮮侵略~その失敗からの大転換として、拡大路線から内戦終結・内政重視に転じた江戸幕府の在り様~そしてその後の基本的には平和な時代が続いた江戸期から現代社会を眺め、さらに、明治維新後の近代化と共に勢力拡大路線に走り、アジア侵略の愚行の末に崩壊した帝国日本の在り様との対称性から様々な発言をしてきた方だが、この連載コラムでの多岐にわたるテーマにおいても、「核となる視点・視座」は共通している。沖縄(基地)問題、対朝鮮半島問題、ジェンダーギャップ、格差社会~それらを「江戸期の日本」と絡めながら論じるその言葉は、決して熱くはならず、それでいて冷めることなく問題の本質を的確に突いている。

私にとっては特に、開高健「青い月曜日」と網野善彦氏の歴史観について論じた文章が、この二人の作品や論考に深く影響を受けてきた者として、大いに共感を覚えるものであった。

さて、これ以降は、私がその言葉をどうこう論じるよりも、この著作で印象に残った田中氏の言葉そのものを出来るだけ引用してみよう。

「実力を持つとは自らに交渉力を含む能力をつけることであって、他者に力をふるうことではない。彼らはまず能力獲得に集中した。その現実の総体を『江戸文明』と呼ぶ人もいる。」

「東アジア諸国による領土領海の『共同管理』案は同感だ。江戸時代に入会地はどこにでもあり、それが里山を中心にした生活を支えた。互いの排除は貧しさにつながり、共同性は豊かさへの道だ。欧州連合は困難な道を歩んでいるが未来がある。東アジアはどうなのだろうか。」

「江戸時代の日本は自らが『張り子の虎』であることを知ったが、より強い虎になることを選択せず、内実を作り直すことに専念した。それは国として決定的に欠けていた教育、文化、治安、秩序、技術力を充実させることだった。」

「江戸時代の仕組みは優れたところがいろいろある。しかし『家』を基本にしたことが、市民意識の成熟を妨げた。ちなみに自民党の憲法改正草案は、『家族』の尊重を全面的に打ち出した。いったいどういう社会に向かおうというのだろうか。」

「江戸時代は育児も介護も男女かかわりなく皆で行うのが当たり前だった。農家では役割分担があまり明確ではなく、臨機応変に皆が働き皆が育児も介護もした。当時の都市の絵を見ると、子供の世話をしている祖父がいる。商家では男性たちが雨戸開けや掃除をすることも多く、父親と息子が一緒に出かけることも自然だった。」

「今の愛国は明治日本だけを見つめ、領土問題や政治にのみ関心を向けているが、本来は江戸時代とその前の日本を対象とし、精緻な日本学と日本語研究、日本語教授法の開発・普及など、もっと関心を向けるべきものが山ほどある。」

「強さとは何か?人の強さとは何が起きても全体を俯瞰する視野を見失わず、自らの可能性と限界を知り感情を整理でき、攻撃することを通してではなく耳を傾けることを通して、最適な言動をとれる柔軟性だろう。では国の強さとは?」

「今日の社会において、複数の角度から理解することほど必要なことはない。編集的日本論は、今日とこれからの社会にとって不可欠の複眼性を保証するのだ。」

「必要なリテラシーは外国語能力だけではない。読む能力とは、裏にある本当の意味と価値観を見抜くことなのだ。江戸時代、荻生徂徠は古文辞に戻って東アジアの思想を理解しようとした。本居宣長は日本の古典から『もののあはれ』を読み取ろうとした。つまり学問とは読み書き能力という意味での、リテラシーなのである。」

(漢語としての「令和」)「年号の起源はそもそも中国なので漢字の組み合わせである。漢字で表す以上、中国起源になる・・・本当に中国離れをしようと思うのであれば、選択肢は二つしかない。元号をやめるか、元号を平仮名にするか、である。しかし、もう一つ選択肢がある。それは『万葉集』を参考にしたと言うと同時に、その背後には『文選』があり、そこから分かるように日本文化は中国文化無しにはあり得なかった、と本当のことを表明することだ。天皇陛下は、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫である明言された。これらの事実は日本の政治的利点である。中国と韓国あってこその日本だと言い続けることで、東アジアの平和と主導権を握ることができる。政治家はなぜそれに気づかないのだろうか?」

(映画「主戦場」を観て)「敗戦後の岸信介政権の始まりとともに走り出したその行く先に、その孫によって何がもたらされるのか?その孫を背中から支えているなんとかいう会議体、その会議体を中心に、ぐるぐる回っている『伝聞』で構成された言葉だけの幻想世界が見えてしまった。人の書いたものは読まないと断言する人や、自分では調べない人や、人権諸問題をちゃかす人々によって構成された言葉や論理に、もし国のトップや内閣が依存しているとしたら?」

さて、引用はそろそろこれくらいにしておこう。最後に一言だけ~今の日本と日本人が持つべき視点と思考の方向性~それを田中氏はしなやかかつ強靭な形で体現しているのだと、私はつくづく思うのである。




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