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平野啓一郎「日蝕」・「一月物語」~今、この初期作品を読むことの意味

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平野啓一郎の最新作「本心」は、昨夏に初校ゲラをネット上で読ませてもらうという僥倖に恵まれ、さらにその書籍化に際し、4月からの「公式メールレター」での1章ごと配信を味わうという「再びの喜び」に恵まれている訳だが、その中で「彼の初期の作品で『一月(いちげつ)物語』は読んでないな」ということに気付き、彼のデビュー作「日蝕」と共に読んでみた。

まずは「日蝕」~これは彼のデビュー作にしていきなりの芥川賞受賞作。当時京都大学法学部の学生だった彼が、文芸誌の所謂「新人賞」などへの応募ではなく、この原稿をいきなり「新潮」編集部に送り付け、それを読んだ編集者が「むむ、これは‼」と文芸誌「新潮」に一挙掲載~そのまま、当時史上最年少での芥川賞受賞となったことは知る人ぞ知る、有名な話である。私も当時、確か「新潮」を買って読んだと思うが、何よりもその難解な漢語や古風極まりない言い回しを縦横無尽に駆使した擬古調の文体に「ええ!これホンマに大学生が書いたの⁉」と驚愕したことをよく憶えている。「度肝を抜かれる」~というのは、まさにこういう時のための表現である。今読んでも、これを23~4歳の若者が書いたというのはちょっと信じられない。平野氏がずっと傾倒してきたという三島由紀夫も「早熟の天才」だったが、彼もそれに劣らぬ充分な早熟の天才ぶりだったのだろう。ここで描かれる、中世(15世紀)欧州(フランス)での神学論争・異端審問・錬金術・両性具有者(アンドロギュノス)の発見とその処刑~といったある種おどろおどろしい物語には、この重厚な擬古調の文体が誠にふさわしく、ある種煮詰められた旨味の塊りのような、深い味わいを醸し出している。この文庫本に収められた解説で四方田犬彦氏は彼の文体と泉鏡花のそれとの比較を論じているが、私にはこの小説での硬質で重々しい文体は、むしろ森鴎外のそれを想起させる(泉鏡花的なのは「一月物語」のほうだろう)。そして、20代前半の若者が日本でも現代でもない「中世ヨーロッパのキリスト教社会」をこれだけ濃密に描いたという、その「発想の飛躍・跳躍と言葉そのものへの深い見識」に改めて驚くばかりである。

そして次作の「一月物語」~これは明治の近代化以降の奈良十津川村を舞台とした、かなり幻想的な物語。こちらの文体は「日蝕」よりも若干軟らかく(と言っても充分に難解で重厚だが)、泉鏡花的を思わせる世界。そして、ここでの主人公の若者の独特な(と言っても明治・大正期にはこういう感覚は珍しくなかったのかもしれない)美意識や生死観には三島由紀夫の影響を色濃く感じる。妖艶にしてはかない世界。私にはこの文庫本での渡辺保氏の解説にあった「古典劇の能に似た構成」という指摘が殊の外興味深かった。「近代能楽集」という作品もあり、能にも造詣が深かった三島由紀夫~その影響がここにもあるのかな、と私は感じた。この2作に共通するのは「一瞬の命の燃焼・あるいは滅び」といった、ある種刹那的で特異な異形の世界に美や意味を認める姿(それは現実社会の実際の在り様とはあまりにかけ離れている)。そういう点では「いかにも若者が書いた作品」らしさを認めることができるが、しかし、デビュー作と次作がこの超絶技巧的な2本というのは、彼の文筆活動の始まりとして実に象徴的だと思う。

この文庫本での3人目の解説~三浦雅士氏は「平野啓一郎という謎」という題で、その後の彼の「葬送」(ショパンとドラクロワの交友を軸とした、長大にしてこれも重厚な小説)、「決壊」(ネット社会での奇怪な犯罪小説、これもかなり長い)などその振り幅の広さを語っているが、私は改めて彼のこれまでの作品群を眺めた時、平野啓一郎という一人の作家の精神世界が、初期の超絶的に飛躍した異世界から、徐々に現実の我々の世界に『降りてきている』感じがする。「決壊」後の作品~「ドーン」あたりから彼が明確に提示するようになった「分人主義」(もっとも、今「日蝕」や「一月物語」を読むと、既にその中に「分人主義の萌芽」のようなものをも読み取れるが)というテーマ~それに基づく数々の作品では、彼の文体は随分とカジュアル?になってきたし(と言っても、そこいらのエンタメ小説とは表現の次元や濃密さが違うが)、高踏的な文学世界に居続けるのではなく、いい意味で大衆的、幅広い読者に訴えかける作風に変わってきたのではないか。それは近年の作品~「マチネの終わりに」「ある男」そして最新作「本心」においても顕著である。そこには云わば「一般読者や実社会の在り様に寄り添う作家の姿」「実社会が抱える諸問題を共に考え、少しでも前に進もうとする姿」がある。それは彼の作家としての成熟なのか、人間としての成熟なのか。おそらくその両方なんだろう。私はその軌跡を改めて眺めてみて、ああ、この作家の今後の活動がますます楽しみであることよなあ~としみじみ感じるのである。

彼の最新作「本心」の公式メールレター配信も次の6月11日金曜日が最後である。これについては、改めて書くことにしよう。




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