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ドイツが認めた食肉加工職人、ゲゼレの紹介 〜関進一篇 vol.1〜

メッツゲライササキには、ドイツで修行の後に食肉加工職人「ゲゼレ」として認められた社員が現在3人います。第1回のnote『「メッツゲライササキ」のnoteをはじめます』でもお話ししたとおり、「ゲゼレ」とは、技術や知識を持つプロの職人としての国家資格です。今回は、最初にドイツに渡った関進一に、修行当時のエピソードや現在の仕事に繋がっている点について語ってもらいます。

「いつかマイスターの下で働いてみたい」が実現。

こんにちは、タカラ食品の市原工場で副工場長をしている関進一です。製造課と生産技術の両方を担当し、ものづくりと機械設備のメンテナンスを任されています。ドイツでの修業期間は2001年から2004年。それまで弊社の製造は、鏑木さん(*1)の知識や経験によって成り立っていました。時々本場からマイスターが工場にやってきてはレクチャーを受けるにつれ、「ぜひ本物のマイスターと一緒に仕事をしてみたい」と思うようになったのです。

*1 ドイツ人マイスターのお店で日本人初の工場長を務めた人物。『「メッツゲライササキ」のnoteをはじめます』 を参照。

マイスターって、学術的な知識と技術が両立しているんですよね。日本では知識と技術どちらかしか身についていない人が多いのではと思います。たとえば生地がどの状態になったら次の工程に移るのか、など、論理的に説明しながら作れる人は少ないはず。実際、私も感覚を頼りに作業することも多かったと思います。ドイツで働くうちに、今まで疑問に思ってきたことが解明でき、鏑木さんに教えられていたことの裏付けができました。

言語の壁に限界まで悩まされた半年間。

ゲゼレ取得に向けた修行に行くのは私が第一号。正直、不安、不安、不安しかありませんでした。会社としても初めての試みだったので規定もマニュアルもなく、修行先とのやり取りをする担当者もいない状況で。ですから、行ってみないとわからない、やってみないとわからない、まさに飛び込むという言葉がふさわしいですね。住むところは修行先の常連さんに貸していただいたのですが、到着してから自分で探したんですよ。

ドイツ語は、一応語学学校で学んでから行ったのですが、当時はドイツ語を学ぶ人が少ないためか、教材も乏しく、全然身につきませんでした(笑)。携帯もない時代ですからね、検索したら解決するということもなかったですし。テキストと辞書を探しておくくらいしか、できることはありませんでした。行ってみるとわかったのは、修行先の「メッツゲライ・ヴィーバー」は南ドイツに位置していて、訛りもあります。極端な話し、単語から違うので聞き取れません。専門用語は辞書に載っていませんし。

修行先である、ドイツ・ミュンヘンの名店「メッツゲライ・ヴィーバー」

だから、何度も何度も同じことを質問しました。私の苦労以上に親方や親方家族、従業員には迷惑をかけたと思いますよ。そう、どんどんネガティブに考えてしまうんですよね。陰口を叩かれているんじゃないかとか。今考えると、全然そんなことはないんですよ?

自分でも、「これはちょっとやばいな」と、前向きに考えられる方法を探しました。このままでは首を吊ってしまうんじゃないかと思うほどに追い詰められていましたからね。言葉が上達しないのは、それほど私にとってつらいことでした。「大変だったでしょう」とよく言っていただくんですけど、そんな言葉じゃ片付けられないよ、と思います。

私の次に修行に来る人には、家族を連れていくことを必ずおすすめしたいと思いました。私は単身で行ったので、家に帰っても一人。会話できる場所がなかったんですよ。家庭は息抜きの場にもなるし、プラス思考にしてくれますから、大事だなと痛感しました。

ポジティブに頑張るために、心を解放できる方法を模索。

そんな負のスパイラルから脱せたのは、まずは心構えを変えたこと。タカラ食品の社員としての責任感を持ち過ぎてしまっていたので、まずはその荷を下ろして、「プライベートで来ている」くらいの気持ちになることで落ち着けていきました。社員としてはあるまじき、と思いながら、その時はそれしかなかったんです。

次に私を救ってくれたのは、従業員の中にできた友人です。北ドイツから来ているゲゼレだったのですが、言葉は通じなくとも一生懸命理解しようとしてくれる相手がいる、ということが本当にありがたかったですね。彼がいたから、前向きに頑張れるようになったのだと思います。私も彼もシャイでしたから、ここまで来るのに半年かかりましたけどね。
 
第一号だったこともあり、いつクビになるかわからない状況だったので、親方には「なんでもやります!」と言っていました。だから、休みの日に急に呼び出されることもありましたし、飼っている馬の放牧地の草刈りや杭打ち、小屋の清掃なんかもやりました。仲良くなった彼も、同じように手伝っていたんですね。そのうちに話すようになり、休日は一緒に出かけたり、ご飯を食べに行ったりするようになりました。

そして何よりありがたかったのが、親方のご家族に大変良くしていただいたことですね。クリスマスやバーベキューなどイベントごとは必ず呼んでもらいましたし、家族の集まりにも混ぜてくれました。そのほかにもスキーや登山まで、本当の家族のように接していただき、感謝に絶えません。私も彼らのことをドイツの家族だと思っています。

魅力的な親方、仲間に囲まれ、奮起。

つらかったとはいえ、仕事にはとても魅力を感じていました。ドイツがマイスター制度の国であることも肌で感じられて感動しましたし、親方もそのご両親もすごく優秀なんですよ。ドイツナンバーワン、バイエルン州ナンバーワン、のような知識技術を持った人たちが集まっているので、たくさん吸収できたらな、という思いがありました。

言葉は喋れなくても、見ることはできます。見て覚える、というのは鏑木さんの下でも鍛えられてきましたから。まず初めは、何がどこにあるのかを覚えること。何を使ってどこに返すのかをひたすら目で追いました。

作業は手薄のポジションに入るように言われるので、順番通りに学べるわけではありません。自分で整理しないと、結びつけられないんですね。みんなすごく忙しいので、丁寧に教えてくれることもないですし、わからないことは自分から聞きに行くか、見て盗めよ、という感じで。ドイツでは日本のように部位ごとに入荷するのではなく屠殺から行うのですが、あるとき目の前に肉をドンと置かれて「脱骨しなさい」と言われるんですね。それで、どうにかやってみる。冒険もいいところですね(笑)。

ずっと続けるうちに、仕事はできるようになります。工程ごとに完璧にできるようにならないと次の工程に行かせてもらえなかったので、それをクリアして行くことに喜びがありました。

鮮魚を買うのと同じ感覚だと思います。ハムソーセージに対するその考え方が、日本にも広まるといいなと思います。

ゲゼレを取得するまでの知識と技術を得て、帰国。

ゲゼレの試験は、中間試験と最終試験に分かれます。中間では30分以内に豚一頭を半分にして処理するというのが課題でしたかね。最終では牛のお腹から下の部分を脱骨して、部位に分けたり、ソーセージを作ったり。使われているスパイスを当てなさい、というQ&Aもありましたね。

3年間の修行を積んだ上で受講するので、基本的には、とんでもないことをしない限り受かると思います。ただその中でも高い点数で受かりたいですよね。より上級の資格であるマイスターを目指す場合には満点を目指すだろうし。私もマイスターを受けてみないか、とも言われたんですが、2年間の実務経験が必要なこと、日本ではあまり恩恵が受けられないこと(ドイツでは社会保障や給料アップなどさまざまな待遇がある)など、いろいろと考えて「今は必要ではないかな」と、ゲゼレを取得して帰国しました。