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目付字(めつけじ)物語

 今からさかのぼること550年前、時代は室町時代でございます。
公家、三条西実隆(さんじょうにしさねたか)(1455年~1537年没)の20歳の時の日記に初めて目付字という文字が出てまいります。
なんと実隆は目付字を御所で販売していたようです。
そもそも目付字とは何か?

それでは図をご覧ください。

「いろはにほへとちりぬるおわか・・・」ここに31文字がございます。
その中から相手に好きな文字をひとつ心に念じてもらい、それを当てて見せるというお遊びでございます。
それでは、ためしに「か」を選んだと致しましょう。
第一の枝で「か」は花にありますか?葉っぱにありますか?
葉っぱにありますね。葉っぱであればスルーです。
第二の枝はどうでしょう?「か」は花にありますね。花にあるなら加算致しましょう。何を加算するのか?それは枝の近くに書いてある数の二を加算致しましょう。
第三の枝です。「か」は花にありますね。それでは四を加算致します。
第四の枝は、花にありますね。八を加算しましょう。
最後の第五の枝は、葉っぱにありますね。スルー致しましょう。
合計は、14でございます。あなたの選んだ文字は14番目にございます。 
これは花か葉っぱか、あるかないか、つまり0か1かの2進法を利用しております。現代のコンピュータの基本概念である2進法がすでに当の昔に存在したとは驚きではございませんか? 

室町時代初期に書かれた『簾中抄』には、「いろはの文字くさり、花にあり、葉にありとのみ言いおきて、人の心をなぐさむるかな。花はとれ、葉はあだ物と思うべし、一、二、四、八、十六」とあります。
十進法の基数が1,10,100,1000,10000ならば、二進法の基数は、1,2,4,8,16で、足すと31になるのでございます。 

「おそろしきかな、数の道」当時、数の道は特権階級だけのもので、目付字は人々を欺き権力維持に一躍買ったのかもしれませんね。その証拠に万葉の時代からあった九九ですが、貴族の間では、平民には分からないようにわざと九九の終わりから暗唱していたようです。 

 時代は下って江戸時代になりますと、様子は一変致します。算術書である『塵劫記』(1627年吉田光由著)が大ベストセラーになったり、庶民が難しい算数問題を書いた算額を神社に奉納したり、一宿一飯で全国に「数の道」を教え歩く遊歴算家がうまれたりと、江戸時代には、空前の数学ブームが沸き起こったのでございます。数学のすそ野が広がる一方、その頂点に君臨したのは、やはり何といっても関孝和(生年不詳~1708年)ではないでしょうか?
数学界の永遠のテーマである円周率ですが、関は、なんと正13万1072角形を書いて、少数第11位まで算出することができたとのことです。また一説には、ニュートンやライプニッツよりも前に、微分積分の概念に到達していたとか!
そんな関孝和ですが、「江戸の関孝和か、京の田中由真(よしざね)か」と言われたほどのライバルが京都におりました。この田中由真は、魔方陣の研究で有名ですが、何の悪ふざけか、『雑集求笑算法』(1698年)という初心者向けの和算本を著わしております。その中で、室町時代の目付字を、なんと優雅な和歌で置き換えて、「櫻目付字」としたのでございます。5・7・5・7・7の合計が31文字というところに着目したものと思われます。由真の作った和歌は、「さくら木の 目つけみせても いろまよふ 葉にある字をや かずとこそしれ」 です。この和歌は、目付字の遊び方をそのまま表しているのでございます。花ではなく葉にある場合のみ加算しなさいというのは、由真の遊び心を感じます。由真の「櫻目付字」のおかげで、室町時代は、特権階級だけの秘められた目付字が、誰しもが享受できる豊かな数理文化にまで発展していくのでございます。
やはり京都の人がすることは粋でございますねぇ。
さらに、45年後、中根彦循(げんじゅん)(1701年~1761年)が、『勘者御伽双紙(かんじゃおんおとぎぞうし)』で発表した「櫻目付字」の和歌は、こうです。
「さくらぎの ふみやいづれと おぼろげも はなにありしを かずえてぞうる」
いかがですか?恋人のふみがさくらの木にくくりつけられてるかちょっとドキドキしながら探している淡い恋心を感じませんか?中根彦循も著名な和算家ですが、自分が見聞きした算問を、幼い子どもでも分かるようにと、『勘者御伽双紙』を記したのです。 
また江戸時代には、多くの和算家たちがこぞって様々な目付字を作り出すのでございます。椿目付字、初製目付字・偽字目付字・源氏目付字、中には人気歌舞伎役者の顔を並べた役者目付絵なども登場します。仕組みも二進法以外の数理が沢山考案されたのでございます。
このような目付字の隆盛は、庶民の知性を開発し識字率を高める事にも一躍買いました。 長い鎖国を経てすぐに欧米列強と互角に貿易ができたのも、瞬時に為替レートをそろばんではじき出す日本人の高い数学力のお陰とも言われております。
しかし、外圧的ともいわれる開国は、独自に発展してきた和算の終焉をもたらすことになります。そうです。政権交代です。明治政府は、前の政権の江戸時代を全否定でございます。新しい西洋の学問、数学が礼賛され、和算は急速にすたれていきます。 
目付字の運命はというと・・・それは軍国主義のプロパガンダに利用されたのでございます。子どもの教科書には、兵隊や鉄砲、軍艦などから好きなものを選べとのことでございます。
 江戸時代の自由闊達な数理文化は、人々の統制の道具に堕してしまいました。

 そして現在、日本はIT後進国と言われております。二進法の上に成り立っているコンピュータという道具は、それを使える人間と使えない人間との間に、大きな大きな格差を生みました。しかし私たちの先人がそうしたように、数の仕組みを、人と人がつながる文化を生み出すことに再び使うことができないかと思っております。 

つい先日、岩手県の女子中学生にオンラインで私の考えた4進法を使った日付あて目付字の授業を致しました。授業後、なんとある女子生徒が、5進法を使って1から100の数字当てゲームを作るではありませんか!?
さらにそれをクラスのみんなと楽しんでいるのです。

その様子を見て、私の大好きな目付字を、もっと皆様に分かりやすい形でお伝えしたいと思い、NOTEに投稿することに致しました。
これからも目付字に関する記事をぼちぼち綴って行きますね。

最後まで読んでいただきまして誠にありがとうございました。

                       目付字研究家 上野真弓

参考資料:「数学100の問題―数学史を彩る発見と挑戦のドラマのP15 
      下平和夫先生の目付字図」日本評論社   
    :秋山久義氏講座「目付絵の数理トリックとその400年史」
     NPO数学月間の会 
    :桜井進著『夢中になる!江戸の数学』集英社文庫 
    :伊達宗行著『数の日本史』日本経済新聞社  

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