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「あそびながらはたらく」の作り方

”これキャリ”という京都の面白い企業を紹介していくイベントの第一回目のゲストとして呼んでいただいてお話をさせていただきました。
イベント情報は以下の通り。
https://www.facebook.com/events/586525412064812/
様々な 背景と地域の方々に参加いただき有意義な時間を過ごすことができました。
ありがとうございます。


そこでタイトルが「遊ぶようにはたらく」だったので
改めて整理がてら僕の思考をまとめておいたものを整理しておきました。


言葉の定義たち


やりたいことをやる=遊び(衝動的)
やりたくないことをやる=勉強(商品値下げ=「勉強する」が元々らしい)
生計を立てるためにやること=仕事(経済合理性)

定義と語源などは下記の通り。(飛ばして読んでくださいね)

遊び(あそび)とは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。 基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。 類義語として遊戯(ゆうぎ)がある。
遊び語源
『莊子』では、人間の心と世界(道)を結びつけて、何物にも囚われれない主体的で自由な心の在り方を「遊び」と表現した。 ... 漢字の「遊」は、「辵」と「ゆれ動く」意と音とを示す「斿(ゆう)」によって構成され、「ゆっくり道を行く」意を持つと共に、「あそぶ」意をも表わしている。

勉強
説明学習とは、知識、行動、スキル、価値観、選考を、新しく獲得したり、修正することである。 生理学や心理学においては、経験によって動物の行動が変容することを指す。繰り返し行う学習を練習という。
【勉強の語源・由来】
勉強は「勉め強いる」で、本来は気が進まないことを仕方なくする意味であった。
商人が頑張って値引きをする意味の「勉強」は、学問や技芸を学ぶ意味の「勉強」よりも古く、江戸時代から使われている。
仕事
説明職業は、日常的に従事する業務や労働など、技能、知識、能力などをまとめた一群の職務のこと。職、生業しごと)とも呼ばれ、日本では正規雇用で労務に従事することを就職(しゅうしょく)、就労(しゅうろう)という。生計を立てるための仕事も職業とされる。 ウィキペディア
【仕事の語源・由来】
しごとの「し」は、「動作」「行為を行う」意味のサ変動詞「す(為)」の連用形「し」で、「ごと」は「事」。 ... 語源からすれば本来の表記は「為事」で、「仕事」の「仕」は音からの当て字といわれるが、江戸時代には「する(為る)」を「仕る」とした例が多く見られることから、単なる当て字ともいいきれない。

ことばのニュアンスの違い

ここで面白いと思うのは「勉強」というのが「やりたくないことをする」という意味で、その語源が「値下げする=勉強してください、勉強しときます」の商人言葉の方が先だったと言う点(諸説あるでしょうけど)。
僕らが想像する「勉強」は多くの人は
「机に座って教科書、ノートをカリカリやるイメージ」
だと思う。
「勉」の意味が「力を出してはげむ。つとめる。」だから
それを更に強くなんだから、そう言う意味にはなる。

また働くというのは

「働く」の語源は「はためく」と同様に「はた」という擬態語の動詞化であろう。 本来は、止まっていたものが急に動くことを表し、そこから体を動かす意味となった。

要するに、急に動くイメージだという。
更に「労働」となるとこう言う語源が出てきた。

労働を意味するフランス語のトラバイユは、ラテン語のトリパリウムを語源としている。 元々は重い荷物を載せた車輪がきしむ音からきた言葉であり、古代の奴隷たちの労働をさす、労苦、苦役というような意味で使われるようになった。

フランス語のトラバイユがここに影響をしていたってことか。
サボるの語源がサボタージュ(1.労働組合の争議戦術の一つ。職場にはつくが、仕事の能率を下げて経営者に損をさせ、紛争の解決を迫る方法。怠業。
2.俗に、なまけること。)だっていうのと親和性がある。


あくまで想像だけどここまで整理すると、なんとなく見えてきた気がする。

ほんとうの意味と後付けされた意味

元々、日本人の感覚に”労働”と”私生活”というのは切り離されていなかったのではないか。
特に農業においては現在もそうだろう。
国民の7割が農家だった時代が数百年も続いた日本において(おまけに他藩引越しなどなかった)
その地で代々働くと言うことは生活の流線上にゆるやかに存在していたにすぎなかったと想像する。
そもそも現代の平日と休日のように分けれるような仕事は農業には難しく、祭礼を作り休むように準備をしたりしていた。
ここではたと思いあたったけれどここ数年休みの日ほど「労働」的な家事をしている気がする。
部屋の掃除、車の洗車、金回りの整理、町内会などなど

遊び=やりたいことをやる。
働く=止まっていたものが動き出す。

という意味では僕は仕事の方が完全に遊びだ。

どりょくとあそびとしごと


昔の人は長い歴史の中でより品質良く、災害などを食い止めるために

勉強=やりたくないことをやる(やったことがないことをやる。に近い気がする)ことで大雨の被害に対策したり、虫や病気の被害に対抗したのだろう。

そんな緩やかな感覚だったのが、いつのまにか私生活と労働にはパーテーションが組まれた概念になってしまった。
それは、西欧由来の言語によるものが大きく影響している。
フランス語の労働にしてもサボるにしても、労苦、苦役という労働=つらくしんどいものの概念が混じっているしサボタージュは雇主を困らせてやろうと言う対立構造がある。

これは良い悪いと言う話ではなく、言葉の持つ意味、空気を知ることと日本人の本来持っている感覚ってどんなだろう?ということに何か答えがある気がするので思考を深めているだけだ。

シンプルに言うと


「やりたいことをやって(遊び)お金がもらえる(仕事)と幸せそうだと言うけれど、やりたいことやってるだけでは長続きはしない。常にやったことないことをやったり(勉強)やりたくないことにも勤しんでこそ初めて持続可能な状態が生まれる。」
それを側から見ると「遊んでいるようにはたらく」風に見えるのかもしれない。

もしかするとそうじゃない人たちは
「私生活を維持するために労働をしている」のかもしれない。

この場合、言葉の定義や語源(トラバイユ=もともと奴隷の苦役)からして「遊び」とは相容れないので「遊ぶように働く」というのは難しいのかもしれない。

また、この場合の概念はプライベートと仕事が分かれているので遊びと働くが水と油の関係になるので実現は難しい。
実現するにはマヨネーズを作らなければならないというわけだ。
「ワークライフバランス」と聞いたらマヨネーズを思い出さないとダメだろう。
それくらい混ざり合っているものなんだ。
マヨネーズの分子構造を見ると油が卵をコーティングしている状態になっている。
だから冷蔵庫に入れなくてもマヨネーズは腐りにくい。
つまり何が言いたいかというと一般的に思考する「遊び」と「仕事」とは全く違う概念が必要だということ(おまけに”それ”は相互補助し全く新しい”もの”になっているということだ)

「趣味を仕事にすると経済的に難しい部分がある」とよく聞くパターンの場合。
ポイントになるのは趣味の概念だ。
趣味であったら仕事にはできない。
何故なら趣味には真剣さやシビアさは必要ないからだ。

趣味は、以下の3つの意味を持つ。 人間が自由時間に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。 物の持つ味わい・おもむきを指し、それを観賞しうる能力をもさす。調度品など品物を選定する場合の美意識や審美眼などに対して「趣味がよい/わるい」などと評価する時の趣味はこちらの意味である。

ただし、趣味を生かしながら仕事につなげることはできる。
この場合はビジネスモデルをど真剣にやる必要がある。
趣味は主観性が強いので競争力がない。
それを補完するようなビジネスモデルに合致した場合のみ
趣味はお金になる。

また、趣味を仕事にするのであれば
趣味を遊びに変える必要がある。
遊びとは「やりたくてしかたがないもの」であるため
追求や一生懸命や没頭がある。
これらは仕事の本質と同一であるため仕事化しやすい。
もし、できないのであればそれは遊びに真剣ではないだけだ。
真剣さがなければただの趣味であり
主観性は良いけど、センスがない客観的にみた趣味は悪趣味といわれる。

あそぶようにはたらく方法

ここまでだらだらと書いていて
勝手に脳内ではまとまった。

僕はせっかく生きているので楽しく過ごしたい。
僕にとっての楽しくは一生懸命にやること。
そして誰かのお役に立てること。

社会人生活の中では数多くの「やりたくない」「だれでもできる」仕事をしてきたけど、ほとんどを「やりたくて仕方がない」「自分にしかできない」仕事に変えてきた。
その証拠に会社を辞めるときは、嫌で辞めたことはない。
「一生ここで働いても良い」と安定を感じた時にだけ辞めてきた。
というか、そう感じれるようになるまで貫いてきた。

だから今、衝動的に自分がなれるような遊びの範囲のことでも
ただの衝動ではなくて何らかの価値が生じるよう考え、仕組み化し価値化できるようになったのかもしれない。
それは絶えず勉強しながら(品質と範囲を)アップデートしていく。

「遊ぶように働く」と聞いてみんなが想像する道中とは真逆だと思う。
本気で遊びながら働きたければ
「やりたくない仕事」や「誰でもできる仕事」をやり抜いた先にある。
ただしやり抜くだけの価値はある。
そんなことを教えてくださった先輩や上司の方々に本当に感謝したい。
そして、オンラインイベントで「遊ぶように働く」をテーマにお話しする場を与えてくれたBeyond Carrierと京都移住計画のたむさん、ふじもんにも感謝です。

昨晩、オンラインで「このこと」がわかる子と1時間半話すことができた。
いま勝手にどんどん仲間が集まり始めている。



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