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ブロックチェーンとビジネスモデルのはなし

末っ子が10ヶ月となった。
彼におでこを差し出すと、なぜか彼もおでこを差し出してくれる。
目を閉じてガッチンコするのだ。
これにいったいなんの意味があるんだろうか。

ブロックチェーンってなんだ

中央管理機関が存在しない状態での
オンライン上での自立分散型のシステムをブロックチェーンという。

これはインターネットの普及に伴い、普及という概念ではなく
すでに常時オンラインと化した人間の原点回帰の世界的拡張とも言えるものだと個人的には感じている。
そのことについて今日はアウトプットしようと思う。

そもそも現在はPCからスマホへとガジェットの進化と共にインターネットにより24時間365日、本人が望もうと望まなかろうとも世界とつながっている状態だ。

常に情報はデータ化され管理統合によりサービス(コントロールとも言える)が常に提供されている状態となっている。

しかし、その集約ポイントはGAFAをはじめとした中央集権型のクラウドもしくは物理的サーバーによって管理されている。
これは事実だ。

そのインターネットの広大なジャングルには弱肉強食の論理が成り立つ。
情報をより多く持ったものが世界を牛耳ることができる。
そして私たち人類は「牛耳られた」実感のないまま日々の生活を便利に豊かに暮らしている(と思い込んでいる)。
これは捉え方に個人差があるので牛耳られていないと感じる人も感じない人もいる。
個人的には感じつつも「どのように使うか」によるというどちらつかずの立ち位置である。

その世界中に文字通り「蜘蛛の巣」(WEB)状態に張り巡らされた「オンオフラインの市民化を」という考え方がブロックチェーンだろう。

あまりにもざっくりしか書いていないので詳しく知りたい方は専門書を読むことをおすすめします汗

ブロックチェーンのしくみ(超意訳)

ブロックチェーンは平たくいうと全ての情報をブロック化(ジャンル分け)してチェーン状に並べる(順序立てて管理する)ということから始まり

そのブロックの中身は「誰か権力者、責任者、管理者のみ」が閲覧できるのではなく誰もが確認が可能で、そのログは分散され管理されるために特定の誰かのみが改竄したとしても「事実か虚偽か」が全体の分散型管理によって明らかになるという仕組みだ。(全員のログを改竄するのは現実的に不可能であるという仕組み)

この自立分散型の体制を仮想通貨を用いることで具現化(仮想ではあるが実態として貨幣と同等の信頼と実行力)したのがビットコインという仕組みだ。

とんでもなくざっくりとしか書いていないので詳しく知りたい方は専門書をお読みになることをめちゃくちゃオススメします大汗

ここまで書き進めて一つのこととの類似点を非常に強く感じる。

自立分散型システムと自立分散型組織

それはCAMP(第10期が9月2日から始まる、興味のある方は是非コメントください)で創り出されるチームや参加者の状態と酷似しているということだ。
CAMPの基本的な姿勢は運営と参加者との垣根はない。
創り上げたい課題を提供はするが決してそれをしなければいけないというわけでもない。
よりCAMPとチームが良くなるためには誰でも何をやってもいいのだ。
そしてその采配は全体に委ねられている。
また、ひとりひとりの自立分散型の参加姿勢によりCAMP自体は大きく変化する。
それは個人から始まり、チーム、CAMP全体へと良い悪い問わず影響をもたらす(これまでのところ全体的に良い方へしか転んでいない)

ここでポイントになるのは「自律(自立)した個人の集合体」という点だ。
この自律(自立)が肝になる。
勿論その差は個人に委ねられているので疎らではあるが、人間の集団となるとある一定の倫理観が働く。
そしてその倫理観が働くシステムは仕組みとして初日から運用されている。
また、それぞれのグループ内での対話、フィードバック、議論の姿勢などは全てオンラインの恩恵によりレコーディングされている。
つまりブロックチェーンの仕組みと酷似していると言える。

不具合が起きた時もイノベーションが起きた時も、誰がみてもそうだとわかる情報として(ある意味生き様として)データが残っている。
そこには個人に対する称賛と課題の指摘。
またそれを超えていく個人とチームの勇気と善意が内包されている。

自立分散型とは情報は全てオープンでなければならないのと同時に
自律(自立)した個人と仲間の存在によってこそのみ成り立つ。

ブロックチェーンがビジネス化するにおいての鬼門

ブロックチェーンのビジネスモデル化の事例を様々に見聞する中において、個人的には「どこか違う」感じが否めない。
それは何か。

書き進めていきながら思考しているのでこれだという答えが出たわけではないが、キーワードはある。

それは「信用」と「信頼」の違いだ。

ブロックチェーンのビジネス化においてはサービスを提供する側と参加者とは「信用」がお互いの担保となっている。
「信用」は作った側または提供した側、そして受諾した側、支払った側という物質的(無形でも代替可能な)価値が担保される。
つまり客観性があり、物質的なもの。
それに対して
「信頼」は人や企業のこれまでの歩み、経緯、人間性、習慣、クセなども包括したうえでの「期待に応えてくれるだろう」という気持ちの現れだ。
これは主観性があり、感情的なもの。

この物質的価値と感情的期待の差に大きなヒントがあると強く感じる。
人間は物差しで測れる存在ではなく、だからこそ高付加価値を生み出すということは第9期HFCAMPで証明できたと感じている。

この非常に扱いにくい、が故に大きな価値創造のボトルネックが目の前に横たわっている。
これをビジネスモデル化することは人類にとっても地球にとってもこれまでにないくらい自然体であり、パワフルで有意義なことだと感じている。

10ヶ月の息子から学んだブロックチェーンの肝

人間の生まれたばかりはあまりにも無防備だ。
誰かの助けを借りなければ自分の命を守ることすらできない。
こんな動物は他にいないのではないというくらい弱い。

そんな存在がこの地球をある意味支配している。
これはとても不思議な事実だ。
世界最弱の動物が、世界を征圧しコントロールできなくなっている。
いま、僕らが思考しなければいけないのは
あまりにも弱く無防備な存在だということへの原点回帰。
弱者同士は頼らなければならないので謙遜と信頼が生まれる。

末っ子はゴッチンコを無防備に引き受ける。
そこには意味などないのだろう。
でも、ただただ「信頼」のみがある。
弱さの反対は強さではない。
弱さの反対は「強い信頼」なんだという思考の前提を変えなければ
次のビジネスモデルは難産になるだろう。
先日、仮想通貨の構築に携わる相談を受けたので
感じていることを整理する前に(乱暴ですが)アウトプットしてみました。

思考をゴッチンコしたってわけです。

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