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「むずかしい」では解決出来ないというはなし

「むずかしい」という言葉を調べると
由来・語源・本来の語形は「むつかし」。
動詞「むつかる」の形容詞形で、「不愉快だ、うっとうしい、煩わしい」という感情を表すのが原義。 そこから、そういう感情を抱かせるような事態そのものをいうようになったのだそうです。
「難しい」が感情表現だということが意外でした。
先日アップした文章に
「先入観として「難しそう」と捉えがちなモノ達のマーケティングはパターンが決まってます」という文章を載せました。

不安とむずかしいの関係


「難しそう」とは「不安」に由来します
不安とは漠然とした恐怖
不確定な将来に対する漠然とした恐怖感
原因がはっきりしない気がかりや心配のことだそうですが
個人的にはシンプルに「先が読めないこと」だと捉えています。
●みんなの前で発表する時
●受験の当日
●真っ暗闇の山道
●ワクチン接種後の身体
などなど先が読めないから不安は頭を擡げます。
そして、その不安の入り口に「難しい」はいます。
不安はあるけど、難しそうだから
「答えを提供してくれる人やサービスに依存する」
という導線がひかれているのかもしれません。

感情表現としての「むずかしい」の要素分解


そこで注目したいのは
「難しい」は感情表現なのだという点です。
僕は難しいとは事象の状態表現(のような)言葉だと思っていましたが、感情だったのです。
つまり
「悲しいです」と相談されても解決できない通り
「難しいです」も解決は出来ない。
解決するのであれば
「何が原因で悲しい気持ちなのか?」
「何が原因で難しい気持ちなのか?」
と要素分解しなければ対処できないということです。
人間は無意識下で難しい事をそのままにし
他者依存や見て見ぬふりをしてしまう。
政治や金融工学、量子力学とか難解な本に触れるとき
難しいの先、難しいの内訳を辿り
聞いたことない言葉、話の構造
はたまた話すスピードや話す人自体のどこに
「むつかって(鬱陶しがって)」いるのか?
ここに注視する必要があります。

難しいから不安を辿り、ひっくり返す

難しいを歓迎すること
この世界にまだ未踏の場所、知識、知恵があることに喜びと
それと共に自身の可能性が秘められていくことに気付くこと。
そんな姿勢が大切なのかもしれません。
僕自身も
やったことの無い人材育成部を任された時
初めて研修の司会を任された時
初めて研修の講師を任された時
そして
今日も全く未経験の大企業の研修プログラムをスタートさせますが不安はないわけではありません。
しかし
不安の先にある予想すら出来ない素晴らしい体験がある事を感じ、ワクワクします。
幼少期から「本当にワクワクする遊びには危険やリスクや不安が必要条件」だと無意識下で感じているからかもしれません。
昨日とは違う、難しいを歓迎する1日を‼︎

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