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会社トランスフォーメーション

今週は社外の人達と絡むことが多い週だった。
全てとんでもない刺激をいただいた。
相談や壁打ちに行ったのにとてつもないアイデアや機会をいただきまくった。

会社とはなんなのか

”会社”ってなんだとおもいますか?
調べてみるとこう書いてあった。

会社とは、日本法上、株式会社、合名会社、合資会社及び合同会社をいう。また、外国法における類似の概念の訳語としても用いられる。 本稿では、日本法上の会社に加え、それに類似する各国の会社形態についても記述する。

そういうことじゃない。
法的な意味付けが知りたいわけではない。

でも、これがきっと様々な人の脳と同じなんだろうなと感じた。
Googleは巨大なアルゴリズムを体系化し最適解を導き出す様にできている。
だから人間のニーズ(会社を考えた時、検索するワード、そして多数が満足するページを順に表示する)に答える様に出来ている。
つまり、検索して出てきたトップに位置づけされていることが多数の人間の正解(つまり求めていた答え)だということだ。

でも僕はこの回答は求めていない。

”会社”とは一体なんなのか?ということだ。
WEEKLY OCHIAI 中間管理職トランスフォーメーションという動画が面白かったとみんなが言うので「しぶしぶ」年会費を払って登録した。

始まってすぐ冒頭で女性が”中間管理職の現状”の様な話をしている時に「会社ってカンパニーじゃないですか。一緒にパンを食べる仲間たちと考えると‥‥」と言うお話を聞いた瞬間この記事を書くことに決めた。
この会社の考え方は下記の様な語源からきている。

英語の「company」は、ラテン語の「com(共に)」と「panis(パンを食べる)」の合成語に、仲間を現す「-y」が付いた語で、「一緒にパンを食べる仲間」という意味からきている。

なるほどなって感じる人もいると思うけど、この語源を知らないであの動画を見ているだけだったら「パンをたべる?なんで?」って感じた人もいたんじゃないかな。

そもそも会社ってさ


ここで言いたいのはこんなことではなく”会社”を”カンパニー”に英訳をした上で「一緒にパンを食べる仲間」と西洋哲学から発生した語源を前提に話が進んでいるということだ。
「パンを一緒に食べる」ということを聞いて日本人のDNAはしっくりくるのか?

僕は「会社とは何か?」と聞かれたら答えは必ずこうだ。

会社の社とは神社。やしろ(社)だ。つまり同じ志を持った人たち。そんな人たちが手を合わせたり心を寄せ、出会う場所。社に会うところが会社だ。

と言い続けている。

とはいえ「一緒にパンを食べる仲間が集まるところ」。
というのがおそらく現代日本の”会社”をよくあらわしていると思う。
一緒にパンを食べるなら作る量、作り方、役割分担、食べる量など要素分解し合理的に配置され最適化される。
しかし、人間は機械の様には動かないので誤作動やミスマッチが起こる。
パーツパーツで機械の様に役割分担をされ、合わなければ不良品という考え方だろう。
そして中間管理職がいるとかいらないとかという話になる。
その前提から組み上げ、出てきた話を聞かされても僕には時間の無駄にしか感じない。
「なんのこっちゃ」という感覚だ。
そもそもの定義が間違えてしまっているのに枝葉を論じても骨折している傷口に絆創膏を貼っているだけに感じてしまう。
もちろん現実社会ではそれが起こっているからこそ、その話をされているのは理解している。

これは養老孟司さんのインタビュー動画で「自然と人間の対峙」を聞かれたときの回答と同様に「あんたは何食べてんの?自然からできたもんでしょ?じゃあんたの体は自然だよね?だから、そもそも人間は自然の一部にすぎないんだから対峙とか言う以前の問題」と言われていた感覚に似ている。

僕の考える”会社”の説明は合理的ではない。
志というものは定性定量でははかれないからだ。
しかし、誰でも志さえあえば(会社で言えば企業理念に共感できていればということだろう)誰にでも居場所はある。
祭りなどのイベント考える人、実行する人、出演する人、裏方の人、それぞれの自分にできることを提供し、できるものができないものに与え支え合うのだ。
それが会社なのではないか?
そこに中間管理職という”役割”はいない。

「役割にあわせる人、人に合わせる役割。」の大きな違い

僕のCAMPは意図的に役割分担の指示は出さない。
取り組む課題があって任務とゴールと出来栄えを伝えるだけだ。
今週のCAMPではYoutube動画を個人、チームで40分で作ってもらった。
役割分担の指示は出さない。
役割分担したいチームは勝手にするし、しないチームはしないまま進む。


過去のCAMPからの経験上わかっていることがある。
最初に役割分担したチームは不思議と「飛び抜けた価値創造」に到達するのが難しいし、実は時間もオーバー気味だ。
逆に、役割分担を放置しながらも「個々で」自分にできることに気づき自然体でやるチームは「飛び抜けた価値創造」にも時間管理もできている。

答えは簡単だ「人間(その人)に合せたのか、システムに人間(その人)を合わせたのか」の違いだけだ。
これが無料なんだから半端ない(自画自賛2回目)

会社(という概念)はつながりとして紡がれる

”会社”が同じ志をもった人が会う場所だというなら法的にも組織的にも契約的にも縛られない人たちの集いも”会社”である。
社中に近いのかもしれない。

僕は今週、社会の不安や不自由を綺麗事ではなく収益構造としても機能するビジネスモデルをつくって止揚(笑)し、よりよい世界にしたい。
僕は今週、社にて仲間に出会った。




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