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ブロックチェーンと無料のはなし

先日、実家に帰った時に
京都移住計画のフジモンからとてもワクワクする人たちを紹介していただいた。
初めて会う方に配ってる”セミナーキング”ステッカーをあげたら
すぐにカスタムを始めるアメリカ人の強者と出会した。
そして愛用のBMXに貼ってもらえて嬉しかった。
(小学生の夏の日記みたいな感想)

信用と信頼について

昨日ブロックチェーンの話を書いた。
あれはあれで個人的な考え方の切り口なんだけど
まだまだ語り足りないものがあるので追記しちゃう。

終盤「信用」と「信頼」と言う言葉に至ったわけだけれど
昨日書いた記事を引用すると

「信用」は作った側または提供した側、そして受諾した側、支払った側という物質的(無形でも代替可能な)価値が担保される。
つまり客観性があり、物質的なもの。
それに対して
「信頼」は人や企業のこれまでの歩み、経緯、人間性、習慣、クセなども包括したうえでの「期待に応えてくれるだろう」という気持ちの現れだ。
これは主観性があり、感情的なもの。

ブロックチェーンという考え方で言うと中央集権的な「ボス」がいるわけではなく、自立分散型の「多くの人」が支える仕組みなので
客観性がある構造になる。
と言うことはやはり「信用」がベースになる。
信用がベースになると言うことは物質的なものに置き換えられる。
なぜなら数多くの客観性は「事実である」と考えられるから。
事実とは「誰がみてもそうだ」と証明できる事象のことを指す。

信頼の構成要素「主観と感情」

むしろ主観的で感情的なものは「ボス」の存在に近くなる。
イメージはブラック企業の社長だ。
主観的に「お前九州出身だろ?」と
京都が実家の僕ですら決め付けられるわけだ(noteの不毛会議読んでくださいね)理由はヒゲが濃いというだけでだ。
これは客観的「事実である」とは違う。

ここで「あれ?」と思うわけだ。
昨日書いた記事では「信頼」とは人間関係における素晴らしいものに思えたはずなのに
「信頼」の構成要素である主観的で感情的というのをネガティブな方向からイメージするとブラック企業の社長が出てきた。
そう、信頼とは主観的で感情的であるが利他主義ベースでないと成り立たない。

信用から信頼、そして見える化

信頼資本財団の熊野さんから「信頼関係」による繋がりについて学んだ。
信頼関係とは言うけど、信用関係とは言わない
信用からのアプローチで信頼できるかどうか?
ということが中国では見える化されているらしい

”Social credit point”

日頃の行いというものがその人の信用できるか信頼できるかにつながることは理解できるけど、見える化したとたんに「なんか違う」感覚に陥る。

話を戻そう。

貨幣で換算できない価値

先日、山梨へ行った。
緊急事態が起こって急に買い物に行かなければいけなくなった。
タクシーで行かなければならない位置だったので困ったあげく
甲府に住む知り合いに連絡をしたらすぐに車で来てくれて、目的地まで連れて行ってくれた。
それだけではなく待ち合わせ場所にまで連れて行ってくれて、さらには当日新幹線で京都に入ることが厳しい時間帯だったのに片道2時間かけて静岡の新富士にまで送ってくれた。

もちろん、ガソリン代や高速代は支払っている。
しかし貨幣価値で換算できない、とても大きな物をいただいた。
感覚としては「翼に羽が生えたくらい自由」という感じ。
これは一体なんだろう。

お互いの過去の繋がりからくる「信頼関係」がそうしたのだろうか?
しかし、恐らくあの子は長い付き合いではなくとも困っている人がいて自分ができることであれば僕でなくとも行動した気がする。

無料な理由

今、個人や限らず企業にまで、会社組織を超えたあらゆる相談に乗る機会が増えた。
なぜ増えたかというと「そうする」と決めたからだ。
昨日の夜も新たな相談がメッセンジャーで届いていた。
不思議なことに相談を受け出すと、どこからともなくいろんな人が連れてきてくれる。
これは本当に不思議だし、とても嬉しいことだ。

自分にできることは何でもしまくってみる。
勿論、必要とあれば教育ということもする。
昨日はあるひとりの子が「コーチングに興味がある」と言っていたので
コーチング教えますよとCAMPグループに投げたら多くの人が申し込んできてくれた。
(当の本人はシフトが出ていないのでまだ参加できるかわからない)
これらは全て無料だ。

周囲の人からは
「お金を取る方が参加する人も気が楽」
「学ぶ姿勢がお金を取ることで整う」
などなどとアドバイスをいただいている。
ありがたいことだけど、それらは全て考えた上で無料にしている。

無料だからと言って適当に受講する人とは「信頼」できる人だろうか?

「わからないこと」には逆張りし振り切る

今、様々なことをやることでブロックチェーンの可能性を探っている。
自立分散型組織の感覚を頼りにしながらも
貨幣感覚の呪縛を解くために全てを無料にして実験をしている。
「わからない」「わかりにくい」ことに出会したら
逆張りして(仮想通貨であれば無料のように)
振り切る(とことんまでやる)
すると、どんな気持ちになるのか?人はどんな行動を取るのか?何が生み出され、何が阻害されるのかが見えてくる。

興味深いポイントは「利他的な無料」とは物質的ではない。
(そもそも無いという意味で)
さらに興味深いのは「客観的事実」であることだ。
(そして、利他的無料は多くの場合人前では起こらないというのもポイントだ)
対して「信頼」とは感情的で主観的だ。

信用における要素の「物質的」というものを外すとどんなことが見えてくるのか。

すでに半年この実験は徐々に広がりを見せてきて
月1から週1、最近はほぼ毎日誰かしらから相談を受けている。

これらから見えてくるパターンや行動経済学的なNUDGEを言語化して行こうと思う。
NUDGEはFACEBOOKのHUMANFORUM CAMPグループにシェアするので興味ある方は覗いてみてください。
誰でも参加無料ですよー笑
そして何故無料にこだわるか?
何に注目してるのか?
この理由がそのNUDGEを見ればわかると思います。

キラキラステッカーから観える世界

舞鶴で出会った人たち。
本当に素敵なひとりひとりと出会っている。
アメリカ人でカスタムバイクビルダーのクリシャンに
”セミナーキングステッカー”を名刺と一緒に渡した。
このステッカーは1枚50円製作にかかっている。
デザインは自分でしたのでキラキラステッカーのプリント代だ。

このステッカーを渡すたびにいつも感じるのは
新しい人と出会うたびに「50円払う」のと「このステッカー渡す」との違いだ。

好き嫌いは別として、50円は誰でも同じ価値を持つだろう。
このステッカーだと人によって価値は変わるだろう、好き嫌いが影響して。
でも50円以上の「何かの価値」がそこに存在する。

そしてその「何かの価値」の掛け算の片方にあるのは「無料」だ。

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