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84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十三

私たちが家を建てた泉大津市の条南町は、田んぼや畑、養鶏場だったところを住宅用に開拓した、いわゆる新興住宅地でした。ですから、ほとんどがうちと同じ時期にできた家ばかりだったので、人間関係も気楽な新しい町でした。もちろん古くからそこに暮らしてきた方もいらして、そんな奥様が会長を務める婦人会に私も誘われ、入会しました。

夫は会社勤めと珠算塾に加え、自治会や珠算協会の役員も務め、さらにゴルフを覚えたので、家でゆっくりする時間は全くありませんでした。私も年寄りと3人の子どもの家事と珠算塾にピアノ教室、それに婦人会とは別に更生保護婦人会というのにも加わり、条南町での20年は人生で一番多忙な時代でした。

30~50歳は一番働ける年代なのでしょうね。だけど、忙しければ忙しいほど、楽しみも多かったです。

ちょうどカラオケが流行りだした頃で、私は歌うのが大好きでしたから、夜は近所のスナックに夫と仲の良いご夫婦とでよく歌いに出かけましたし、夫が仕事で取引のある会社の社長さんが、毎年旅行にご招待してくださり、日本中を旅しました。ベンツのお迎えで神戸のステーキハウスにも何度かつれて行ってくださり、初めて乗る外車に娘たちは大興奮でした。

婦人会は30~50歳の奥さんたちが4~50人いて、通学路に立って、ぽつんと下を向いて歩いている小学生がいたら「おはよう」と声をかけたりして、コミュニケーションをとりながら子供たちを見守る活動をしていました。あの頃はみんなが教育に熱心でしたね。更生保護婦人会では少年院に行って、木工や畑仕事などで働きながら罪を犯した少年たちが更生していく様子を見学しました。ツッパリの強面のお兄ちゃんたちばかりでしたが、「お母さん」という言葉を聞いただけで涙ぐんだり、優しい言葉に弱くて、母の愛に飢えているように感じました。特に男の子にとって、母親の愛はとても大事です。最近の虐待のニュースを見るたびにものすごく腹が立ちます。母になったら、女は捨てて親として子供に愛を注ぎなさい!!とここは声を大にして言いたいです。

余談ですが、少年院と言えば、奈良の少年刑務所にも見学に行きました。明治につくられた西洋風な建物で、レンガ造りのとてもおしゃれな刑務所でした。ジャズピアニストの山下洋輔さんのおじいさんが設計されたそうですよ。

奈良少年刑務所

婦人会の活動には市の教育委員会の助成金があって、会計書類などを作成する必要があり、珠算塾を経営しているので計算は得意だろうと、私がその役割を任されました。

教育委員会の管轄なので、婦人会の勉強会なども企画していましたが、泉大津の「松ノ浜」という地域には大きなお邸がいくつもあり、中でも毛織物で財を成した実業家の細見亮市さんのお邸は細見美術館と呼ばれていました。そのお邸には滋賀の膳所城の高麗門が移築されていて、安土桃山時代の花嫁衣装だとか、平安時代の仏画だとか、若冲の作品など江戸時代でも最近のものだと感じるほど貴重なものがたくさん所蔵されていたのですが、一般公開はされていなくて門は閉ざされたままだったのを、市の文化協会の担当者だった小学校の校長先生に交渉して見学させていただけることに成功しました。この門を開けていただけた経験は、その時見学にご一緒した方たちと会うたびにこの話で盛り上がるほど、強く心に残ったようでした。自分たちの町にそういう重要な美術品があるということを知るきっかけになると同時に、細見さんのような良いものを見極める人がいらっしゃることに誇りが持てたりするものなのかもしれません。

松之浜の細見邸

この頃は、つれて行っていただいた旅行で、地方の良い旅館に泊まって地域のおいしいものをたくさんいただきました。

土地のものを食べると、地域の文化に触れられます。日本海のカニとか、ぶりとか、神戸のステーキとか… 今、うちのお米は富山県のお米を送っていただいています。

富山と言えば、今の旬はホタルイカでしょうか。婦人会でサントリーの工場見学にも行きました。まさに「山崎」を作っているサントリー山崎蒸留所。その場で試飲させていただいた山崎のおいしかったこと!!ホタルイカと山崎があれば最高ですね。


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