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猫がいなかったならきっと今日も死人だった

うつ病と診断されてもう6年経ってしまった。

自分がうつ病じゃないかなと思い始めたのは二十歳の頃だったので、治療前から考えると十年くらい、もしくはそれ以上の期間うつ病やそれ以外の精神疾患に苛まれて生きてきている。少なくとも中高生の頃の私は立派な摂食障害だったし、今も若干食べ方がおかしい。吐くと体がきついので自力でやめることができたものの、そのしわ寄せが買い物依存症の方に来ているし、いわゆるメンヘラでぼろぼろ。
ついでに10年かけて粘り倒して留年しつつも頑張ってきた学業すらもう頑張れなくて放心状態・何もしないをすることにしたのがちょうど一年前のことで、二十歳の頃から心の奥で抱き続けた「少し休みたい」を十年経った今やっと一年叶えた程度のものだ。
今でも精神の不安定さと体調の悪さと自己否定・劣等感・歪んだ自己認識に苛まれながらこたつで文字を打っている。

私の精神病はおそらく長年の慢性的なストレスから来ていた。それは家族だった。私は両親のことが好きだけれど、特殊な家庭だったので心労が絶えなかった。楽しいことも嬉しいことも恵まれていた記憶もたくさんあるけれど、それらを代償として一般家庭の子には不要だったはずのタールのようなストレスに毎日晒されてきた。
その結果が親にとっては酷すぎる・そして長すぎる反抗期であり、摂食障害であり、抑うつ症であり、引きこもりであり、留年であり、そしてとうとう何もできなくなってしまった。

幸い、二十五歳の時、転機が訪れた。こんなことを書いたらまた多くの精神障害に苦しむ人たちが「またか」と思うかもしれない。けれど私なりにちゃんと説明するからどうか最後まで読んでほしい。言うなれば恋人ができた。別に好きな人じゃなかった。ただお人好しだと思った。私は長年の両親との確執で苦しんでいて、誰かに助けて欲しかった。この人は私のことを好きそうだからこの人に助けてもらいたいと半ば打算的に自分から「付き合う?」と尋ねた。
それまで恋人がいたことはない。高校生の時なぜか数名に告白されたが、その頃いろんな理由で(詳細はここでは省く)校内の男子にトラウマを抱えていたし、自分の実家が他人から見れば「異常」の部類に入ることがわかっていたし、自分自身が「おかしい」ことに気づいていたので、その気持ちを受け取ることができなかった。あの頃の私はまだ、「他人を巻き込んではいけない」という理性が働いていた。

けれど、その人に出会った頃は本当に精神が悲鳴をあげていた。両親VS私で、自分一人で戦う力がもう残されていなかった。かといってただの友達にその重荷を背負わせる勇気がなかった。私は「恋人なら私のために力になってくれるのではないか」と夢を見た。幸い彼が私を好いてくれていたから、私の打算的な計画はうまくいった。彼は私に、私の実家とは違う別の世界を見せてくれた。
何より嬉しかったのは、私が常日頃抱えていた「親のいうこれはおかしいんじゃないか、普通じゃないんじゃないか」という不安を、客観的な判断の下に肯定してもらえたことである。

私はようやく、家庭でただ一人の「悪い意味での」どうしようもない異端から、「ごく普通のありふれた一般人」になれた。私はそれが欲しかったのだ。それが欲しくて、恋人を手に入れたのだ。

それでも、例え恋していなくても、彼は私にとって「唯一頼れる人」だった。全身全霊で依存してしまった。だめだと自分にブレーキをかけようとしても、うまくいかなかった。幸い彼はあまりそういうことを気にしない人だったけれど、私が自己嫌悪に苛まれた。大学の同級生だった彼と、体調の悪さから試験がうまくいかずたった一科目を落としてすれ違った。彼は進級し、私はまた留年した。

同じ学年で私を常に助けてくれていた彼が、私の側からいなくなった。同級生の中に味方が、頼れる人がいなくなるということは、それまでの地獄の日々に戻ることを意味していた。

彼はその後も順調に進級し、社会人になった。当然生活スタイルも変わってくる。私なんかに構っている余裕などない。だって自分のことで精一杯だから。私は頭ではわかっていたが、すでに限界のところでようやく得た蜘蛛の糸がちぎれてしまったその数年間、親との確執は増す一方、うつ病の症状は悪くなる一方、うつ病のせいで勉強もできず寝転んでいるだけの日々、絶えられるわけがなかった。彼と出会ってから少なくなっていた自殺未遂が増え、彼は私が死なないように包丁を折った。喧嘩も増えた。一人でいると死んでしまうので、それまで半同棲状態だったのが完全な居候になってしまった。そうして片付かないカーテンも開けない暗い部屋で一日中ベッドに眠って、ただでさえ疲れて帰ってくる彼を陰鬱な私が待っている。彼がため息をつく。そのため息に私が過敏に反応する。

猫を飼いたい。

そう突然思った時の思考回路を覚えていない。ずっと「死にたい」「どうやったら死ねるか」「死んだ後どうなるか」「死んだらどういう迷惑をかけるか」「私の人生はなんだったのか」そんなことしか考えていなかった私が絶望の果てになぜ突然そう思ったのだったか。以前から猫は好きだった。野良猫に擦り寄られるとご飯を買いに行ったし、抱っこしたこともある。それでも実家でもペットを飼ったことがないし、喘息も持っているし、一生ペットなんて飼うことはないだろうなと思っていたのに。

確か、ちょうど二年前の十二月だった。同居人は一ヶ月、出張で家に帰ってこなかった。一ヶ月ずっと一人で暗い部屋で過ごし続けた。そしてさみしいと思った。早く帰ってきて欲しいけど、仕事だから仕方ない。それに、どうせ帰ってきても、私の思うような救いをもうあの人はくれない。くれる余裕がない。帰ってきたところでまた絶望する日々で、彼を苦しめるだけである。

依存をもうやめたいと思ったのかもしれないし、年齢的にも子供が欲しい時期だったのかもしれない。やわらかくてあたたかいやさしいなにかを腕に抱きたかった。

外出もできないほど憔悴していたのに、そうと決めたらやっと外に出られた。ペットショップが案外近くにあった。そこで出会ったのがラグドールの女の子だった。レイシーと名付けたその子を、彼に頼んで12月31日にお迎えし、一緒に年を越した。レイシーを迎えるために、ようやく2年間一度も片付かなかった家を綺麗にした。することができた。

その後も定期的に不安定になり、その度に猫が増えていった。今4匹いて、4匹でようやく私の心の空洞が満たされた。1匹でも欠けたら生きていけないとすら思う。それぞれにそれぞれのやり方で私を埋めてくれる子たちなのだ。

猫を飼ってから最初に覚えた感動。

私を一番に見てくれるということ。私の声や私の表情に応えてくれるということ。世界中どこを探しても「自分が一番大事で私を一番にはしてくれない」人間と違う。猫は、私を一番にしてくれる。

無条件でそばにいてくれる。正確には無条件とは言い難いのかもしれない。私が害を及ぼさずご飯を与える存在だからかもしれない。でも始まりはそうだったとしても、猫たちは確かな愛情を私にくれる。そばにいてくれること、甘える鳴き声、微笑む姿。私を必要として、私のことを決して嫌いにならない。

そうなのだ。猫は、私のことを決して嫌わない。私が虐待をするようなあくどい飼い主ではない限り、私が普通の飼い主である限り、嫌わない。何があっても好きでいてくれる。私がありのままでさえいれば、猫は私を愛してくれる。そばにいてくれる。

それは、私の求めていた安らぎだった。

親にでさえか嫌われていると感じるばかりの、いつも友達や彼氏に嫌われることを恐れている私が、ようやく得た安息だった。

猫と暮らす日々は優しさに満ちている。

一人じゃないという、猫の存在感。

ふわふわの毛並み。あたたかさ。

寝てばかりのうつ病が少し幸せになる、猫との添い寝。

猫の表情をたくさん見て、そのひそやかな感情の機微を捉えることができる。

鳴き声でだれか聞き分けることができる。

言葉がわからないなりに、何をねだられているのかわかるようになる。

その一つ一つの積み重なった喜び。

小さな体と目線を近くするために屈む楽しさ。

何を見ているのだろうと視線を追う心のゆとり。

私がずっと失ってしまっていたものが、一つずつ戻ってくる。


それでも時々、死のうとすることがある。包丁を持ち出して首を切ろうとしたことが二度ほどあって、どちらの時も猫が必死に鳴いて、私を止めた。私は猫たちを見て、「そうだ、この子たちの最期を看取るまで私は死ねないのだ」と思い出す。暗い水底から浮き上がって、夜空の月を見る。


9月に親から離れる決意をした。

これからどうなるかわからない。未だに毎日のように、「30年間無駄に過ぎていった私の人生はなんだったのだろう」「もうすぐにおばあちゃんになってしまうだろう」「いつまでこの病気で何もできないのだろう」と苦しんでいるけれど、猫がいるから私は絶望するだけでない毎日を送り、笑い、もう少し生きようと思う。

猫を飼ってから、彼との喧嘩が格段に減った。

彼も帰ってきたら真っ先に猫に抱きつく。布団の中に連れ込んで一緒に寝ているのを見て、本人は一向に認めないが、仕事で疲れている彼も彼なりに猫に癒されているのだろうなあと思う。

猫を見るたびにうっすらと笑ってしまう彼を見ながら、少しだけ幸せだなと思う。

まあ、一番の幸せは猫と一緒に眠ることなのだけれど。


あとどれくらい休めば元気になるのかわからない。
でももう少し、この子たちと一緒にいる時間を堪能していたい。

ひだまりを感じること、外の風を吸い込むこと、景色を見ること。
どれも、猫と一緒に積み重ねていく優しい思い出だ。私は一人じゃない。



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