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「犬の話」

私が小学校低学年くらいのときに、絶対に動物は飼わないという父と、拾ってきた犬を飼ってくれないと絶対に家に入らないという兄の夜をまたいだ攻防戦を経て家族に犬が加わった。

当時、私は父親の転勤で徳島に住んでいたのだが、野良犬どころか野犬の群れだって珍しいものではなかった。
一度妹と一緒に野犬の群れに追いかけられたこともあったし、小学校に人懐っこい野良犬が入ってきて教室が大騒ぎになったこともあった。

兄が拾ってきた白と茶色の大型犬は「アッシュ」と名付けられた。

しなやかな身体に優れた運動神経を兼ね備えたアッシュは、絶対に人を嚙まずあまり吠えもしないお利口な犬だった。
親がいないときにこっそり兄がアッシュを家の中に入れてあげるととても喜んで遊んだ。
ただ、大型犬が家の中で遊ぶといろいろな物が倒れたり壊れたりするのでアッシュを家に入れたことがばれると兄は激しく怒られていた。
でも親が留守になるとまったく懲りずにアッシュを家の中に入れてはまた怒られていた。

そんなアッシュだが、実は少し離れた町に飼い主がおり、どういった経緯なのか知らないがうちにいることが飼い主に伝わって引き取られていった。
今考えるとあきらかに雑種ではないし、実際に血統書付きの猟犬だったらしい。
大人になってから聞いたのだが、引き取りにきた飼い主はお礼を言うどころか、終始ひどい態度だったそうだ。

アッシュを受け入れたことでペットが解禁になったのかわからないが、それから間もなくして兄が拾ってきたビーグル犬に似た雑種が家族になった。
「ビッキー」と名付けられ、中型犬だったビッキーは玄関で寝ることが許された。

一度その玄関で、ビッキーの垂れた耳をめくりあげた母が大きなダニを見つけた。
ビッキーの血を吸ってパンパンに膨れ上がったダニはとても気持ちが悪くて、取り除くのも大変だった。

その頃から兄は野球チームに入って練習が忙しくなり、私は当時発売されて間もないファミコンをやるために友達の家に通い詰めていた。
出かけるときに寂しそうな声で鳴くビッキーに後ろめたい気持ちがあったけれども、「ごめんね」と言いつつビッキーと以前のように遊ぶことはほどんどなくなった。

冬の寒い日にビッキーはジステンパーという病気で死んでしまった。

死んでしまってからあの寂しそうな鳴き声や、友達の家に出かける私をじっと見つめる黒い眼を思い出してもっと遊んであげればよかったと後悔した。

そのあと父が病気になり、私が中学に上がる前に亡くなった。

父が亡くなったあと働き始めた母がチワワを2匹家に連れてきた。
友人に飼うように頼まれたというが今考えると家の中を明るくしたかったのかもしれない。

2匹はマリオとナッキーと名付けられた。
ナッキーはとてもお利口で可愛かったのだが、妹が玄関のドアを開けたとき外に飛び出してしまい、車に轢かれて死んでしまった。
そのことで兄は妹を責めて、妹は泣いた。

1匹では可哀想だからといって、いろいろな家をたらい回しにされて引き取り手を探しているというミニチュアダックスが我が家にやってきた。
なぜだか知らないが、兄が「アジャ」と名付けた。
すると、そんな名前は嫌だと言って母と妹は「ロッキー」と名付けた。
次第に兄は「アッ君」と呼ぶようになり、母と妹は「ロンチ」と呼ぶようになった。
いろいろな名前を持ちことになった当の本人はあまり気にしていないようだった。

アジャはたらい回しにされたというだけあって、本当にバカだった。
トイレはどこでもしてしまうし、家族の誰かが出かけるときも帰ってきたときも狂ったように吠えた。
家に誰もいないときでもずっと吠え続けていたようで、「イヌウルサイ」と書かれた紙を何度か玄関に貼り付けられたこともあった。

でも甘えん坊で寝るときはいつも誰かと一緒に寝た。
寝ているときに暖かくてグニャグニャな身体を触るのが気持ちよかった。

マリオは15年、アジャは21年も生きた。
私がそのあとオーストラリアに留学したり、インドに長期滞在している間もずっと家にいた。
久しぶりに帰ってきてもちゃんと覚えていてくれて、すぐに膝の上に座ってくれた。

今回、私の家族が生活を共にしてきた犬のことをなんとなく書いてみようと思った。
でも犬のことを書くとそれが自然と私のファミリーヒストリーになった。

もっと遊んであげればよかったとか、もっと優しくしてあげればよかったという犬たちにもらった気持ちはこれからもずっと大事にしていきたいと思う。

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