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【映画の文法とモンタージュの違い】映画を見て学ぶ:映像構成のヒント⑥

では次にモンタージュ理論の説明に入ります。
映画の文法が時間軸の組み立てによってシークエンスを作り出す事とすれば、モンタージュはそのシークエンスの中の編集の仕方と考えて下さい。文法よりより細かく、カットとカットをどのように繋げるかによって、意味を作ってゆく作業です。

例えばグリフィスは【映画の父】と呼ばれるように、映画の文法を作る以外にも映画に多くの“初めて”を取入れています。
その一つが登場人物の顔のアップです。アップはそれまでメリエス映画)の様な全体像ばかり見ていた観客に強い印象を残し、俳優の表情によって登場人物の感情を読み取れるという新たな効果を生み出しました。しかし、このアップはそれ以上もそれ以下の意味もありませんでした。

それをカットに割によって新たな意味付けをしたのがエイゼンシュタインです。さて、次の様な2つの別々のカットがあります。これを繋げてみましょう。

Cut1 主人公のアップ、目線は一点を見つめている。
Cut2 男達が喧嘩している。

さて、皆さん。このカットを続けて見たらどう思いますか?
きっと主人公が男達の喧嘩を見ていると理解するでしょう。この様に全く別のカットを2つ繋げて登場人物の行動、意図、物語を展開していくのがモンタージュ理論です。

皆さん、思い出してみて下さい。『ポチョムキン』以外の映画を。

例えば『カリガリ博士』。こちらの導入部1:09〜見て下さい。

ここでは、男達が女を目線で追っている事を示す為に、女の登場を男達も含めた1枚の全体絵で録り、男のアップの後は必ず同じ全体絵に戻り位置関係を繰り返し見せています。その後にようやく女が1人で映っているカットがでてきます。

それに比べてこちら4:39〜見て下さい。


こちらでは、船長が船内から出てきた後のアップ。その次の肉を見ている男達の全体絵の組み合せだけで船長が何を見ていたのか瞬時に理解できます。ここでは『カリガリ博士』に出てきた冒頭の全体ショットによって位置関係を説明するシーンはありません。

この様に、カットとカットの繋ぎによって新たな意味を与えたのがモンタージュ理論です。

『戦艦ポチョムキン』を見ていて思った方も多いと思いますが、おそらく他の映画と比べて、見やすかったのではないでしょうか?

その理由は前途の様な説明カットを省いた事による、カット間の間延びの解消。そして、それによりセリフと映像が正確の呼応している事です。

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もちろん、他の映画もセリフと映像はある程度呼応し合っていました。が、モンタージュ理論がきちんと確立されていなかったため、無駄な繰り返しに、引き絵よる状況説明なども多く、テンポが悪いだけではなく、登場人物が何か話し合っていた中の最も重要な部分だけが字幕で出る…といった、空白の部分がありました。
しかし、この映画では字幕部分を抜いて、アフレコで絵にセリフを合わせてしまえば、そのまま上映できる程セリフとその前後に来る映像が合っているのです。そうなると、もう殆ど今私たちが見ている現代の映画と変わりありません。

更に重要なのがイマジナリーラインがきちんと取入れられている事です。
これこそ、モンタージュ理論の最たる成果と言っても良いでしょう。
イマジナリーラインとはカットを割った状態でも、登場人物の視線が合うように目線を合わす事です。
あの船長と船員の肉のシーンの様なカット構成の事です。
注意深くポチョムキン以外の映画を見てみると、俳優の顔の向きなどに違和感を感じるはずです。
(それでも映画として成立している理由は色々あるのですが、ここでは説明を省略します)

これで、もう違いが分かりましたね?

◯カッティングによる新たなカットの意味付けがなされている。
◯それにより無駄な説明カットの省略によるセリフと映像との正確な呼応。
◯イマジナリーラインが正確に使用されている。

以上3点に気がつけたあなたは、既に映像組み立ての基礎が何となく身に付いていたと言う事になります。

さて、『戦艦ポチョムキン』を使って更に詳しい説明をしていきましょう!

…と、言いたいのですが…その前に…
カットやショットを正確に知らなければ映像分析は出来ません。ですので、その前にカット&ショットの説明に次回から入ります。

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