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私と脱色とピアスと酒

私にとっては、髪を脱色して変な色に染めたことも、人並みに両耳に一つずつピアスを開けてみたことも、二十歳を超えてから弱いくせにチビチビ諦め悪く酒を飲むことも、ささやかな反抗であり許された自傷でした。

私は、思えば小学生の頃から、大人から優等生だと信じて疑われない存在でした。いい返事をし、言う事を聞く。典型的な良い子ちゃんだったのだと思います。

しかし成長とともに周囲からの評価と自己評価に乖離が生じます。手を抜いてやった仕事が褒められたり、逆に手をかけて丁寧にやった仕事に対し「あなたが頑張るべきはそんなことではないのよ」とか言われたり。

周りから見て私が秀でていると思われていることでも、自分が頑張ってやったことではないと思うと、評価って何だ、努力ってなんだ、と虚しくなりました。

しかし、私はそんな評価を与えてくる大人たちにいざ反駁する根性は持ち合わせていませんでした。幼少期からの良い子ちゃん根性が、戦うための牙の成長を抑え込んでいたのです。乳歯のままでした。自分の腕を噛んで流れた血を見て満足することもできませんでした。


高校受験の折、親の勧め通り、お隣さんの子供と同じく高専を推薦で受験しました。先生たちにニコニコしながらテストで良い点数を稼いでいたお陰で内申点も高く、面接でもニコニコ模範的受け答えをこなしていたら、合格しました。

しかし、入学後が大波乱でした。

勉強内容がちっとも頭に入らない。

私はこんなこと勉強する気さらさら無かったのに。こんなことを5年間続けていくのか。数学も物理も専門科目も理解できない。1年生で早速鬱になりました。それでも結局サボりなんてできる度胸を持ち合わせていなかったので、毎朝時間きっかりに登校し、毎夕帰って来てはベッドに倒れ込む、そんな生活でした。

そんな生活の中、唯一の楽しみが文化祭委員会での活動でした。1年生から4年生までが集まって、だいたい70人の大所帯でワヤワヤ活動していました。沢山の人が私を面白がってくれて、私も自分の向き不向きに沢山気付けて、とても良い団体でした。

我が高専の文化祭は、現代においてもなお「バンカラ」な気風が持ち味でした。前夜祭では裸に褌一丁の学生代表を御輿に荒縄で縛り付けて担いで駅前まで練り歩いたり、体育祭では学科対抗で応援演舞(本気)をしたり。

そしてそんな祭りを運営する委員となると、誰より目立ちたくなるのが性!!!という……。若気の至りが爆発するわけです。制服を着ないことが許されるほどに服装に関する校則が存在しないのもあり、学年が上がるとともにその頭髪は男女を問わず派手さをエスカレートさせねばならぬお決まりがありました。

そして私の初ブリーチが、3年生でした。ショッキングピンクのメッシュを入れました。何かの憑き物が引っぺがされた快感がありました。少なくとも自分の髪だけは傷物だ。三者面談の常連になり、夢に見ていた退学がついに現実の問題に降りてきた年でした。

次の4年生、最後の委員会活動の年には、脱色を3回重ね、ブルーとパープルに染め上げました。前期に0点を何度も取り、夏休みを機に退学し今年度の大学受験を真剣に検討しながらもどうしても最後の委員会活動に尾びれを掴まれ退学を保留し、結局3月の成績締切日の締切時間まで再試、再々試、再々々試……を受け続けた年でした。本試に続く再試期間を合わせた血みどろの1ヵ月間が、私も家族も先生方も諦めさせてくれました。誰も私を優等生などと呼ぶことは無くなっていました。学科主任の先生の「あなたがこれ以上この学校の勉強に苦しむ必要はないし、先生たち皆はあなたの苦しむ顔じゃなく幸せな顔が見たいのだ」という言葉が、脱色のせいで黒染めが定着しない髪の私を自由にしてくれました。


そして、家族や後押しをくれた先生方、応援してくれる高専の友達や先輩・後輩に幸せな顔を見せるために1年間、二度と鬱にならない程度に、見つめなおした自分の夢を手繰り寄せるための勉強をしました。

そして第一志望校に合格して2週間した頃、我慢し続けていたピアスをようやっと開けました。これまた、解放感に満たされました。もう2週間すれば東京で一人暮らしを始め実家暮らしから卒業する。実家暮らしでは本能で気にして言う事を聞いてしまう親から貰った体に自分の意志で傷を付けた。自分の体が自分の物になったも同然。そのことに対する高揚感がドバっと湧き上がりました。親のことは大事に思っていてしっかり反抗できたか微妙な私には、ピアスという手段が必要十分でした。

東京で一人暮らしを始めれば、私が何を食うも飲むも私の一存で決まるようになりました。私が酒に弱いことは、誕生日にシャンパンを飲んで一時間吐きっぱなしになったことから明らかでした。酒を飲んでも楽しくはなれない。だからこそ、飲酒が新生活と同級生との価値観の差異に揺れる私が自分を傷つけるための手段になり得ました。年齢に達すれば人間誰しもに許される行為である飲酒(正確に言えば一人酒)において、私は自分の内臓を痛めつけることを目的としています。


手首が切れなくても私には脱色と、たった両耳各1のピアスと、酔う直前でブレーキをかけてしまう酒があります。

弱い人間なので弱い選択肢しか持ち得ていません。

かと言って強い人間になろうと強い手段として手首を切ることも今更選べないと思います。

でも、これらが自分が不完全であることを自分にも他人にも示すアイコンとなり、昔悩んだレッテルから解放されるための大切な鍵であるのは確かです。


でもきっと、脱色より、ピアスより、酒より、昔から認められるのを願っていた創作活動を続けていけることこそが、私を何物からも救う手段になると信じています。

乱文、失礼いたしました。

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