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ミステリの相関図を紐解く

 大正時代の作家、江戸川乱歩の名前は、エドガー・アラン・ポーという小説家から来ている。乱歩は海外の推理小説に精通していて、創作においても海外の物を日本版に落とし込むようなことをやっていた。
きっとポーの作品が好きだったんだろうな、と思う。  

 ところ変わって、平成の世になると。「名探偵コナン」が現れる。
主人公である江戸川コナンの「江戸川」は江戸川乱歩の「江戸川」から来ている。体を小さくさせられて、子どもの姿になってしまった工藤新一が、毛利蘭に名前を尋ねられて慌てた末、とっさに本棚にあった「江戸川乱歩」と「アーサー・コナン・ドイル」を掛け合わせて作った名前だ。  

エドガー・アラン・ポー、江戸川乱歩、江戸川コナン。

不思議な三世代が成立する。

 名探偵コナンのなかには、王道ミステリーの名前がところどころに隠れている。見つけると結構おもしろい。
蘭姉ちゃんの名前は『モーリス・ルブラン』から。
意外にも世界的怪盗、アルセーヌ・ルパンを生み出した作家の名前である。ちなみに、その父、毛利小五郎の「小五郎」は、乱歩に出てくる名探偵「明智小五郎」の名前を取っている。コナンたちが住む「米花町」は、名探偵シャーロック・ホームズが住んでいた「ベーカー街」に名前が酷似する。  

ちょっと飛躍すると、ルブランが書いたアルセーヌ・ルパンの孫には、ルパン三世がいる。  

海外も日本も時代も小説も漫画もごちゃまぜ。
なんだかもう、ややこしくて、面白くて。
まったく違うものなのに。
遠い親戚同士の集まりをのぞいているような感覚になる。

 この間、水野学さんの『センスは知識からはじまる』という本を読んだ。
水野さんはくまモンの産みの親。グッドデザインカンパニーの代表。

 センスがある、ないというのは、どこか生まれつきで先天的な能力に思われがちなことろがあるけれど、実はそうではない。
書籍のタイトルの通り、センスとは、知識の集積と勉強・分析によって生まれてくるものなのだと、本の中では説かれていた。

 熊本の「くま」を考えるときに、外国風のテディーベアを当てはめても似合わない。熊本らしいクマでないと、人々からは支持されない。
それでは、熊本らしいクマとはなにか…。

そうしてできたのがゆるキャラ、くまモンである。

その土地のキャラクターを考えたり、商品のロゴを考えたりする場合に、なんとなく流行だからとか、なんとなくかわいいものをとか。
曖昧な感覚でものを創作しない。その土地らしさや、商品の背景を徹底的に研究すること。論理の裏打ちありきで新しいものを形作る。  

みんなが「へぇー」と思うものは、ある程度知っているものの延長線上にありながら、画期的に異なっているもの。「ありそうでなかったもの」です。


 感覚的にはわかっていたけど。はっきりとは言葉で言い表せない曖昧でわからなかったことが論理的に証明されたような、言語化してもらったような気分になった。  

 まさに名探偵コナンを観ているとこのセオリーをしっかり踏んでいるなと思う。
名前一つとっても、作者がミステリーの歴史に精通していることが伺い知れる。たとえその背景を知らなくても。知っていればなおさら。
それらしさに溢れていて、世界観がよりリアルで濃密になる。
単なる遊び心を超えて、これは確かにセンスなのだ。それもピカピカに輝くセンス。

 個人的にハリー・ポッターやワンピースのネーミングセンスにも敬服している。あれだけの膨大な登場人物に適確なそれらしい「名前」がきちんとついているのがすごい。
どうやって決めてるのかな、といつも思っていた。  

 ダンブルドアとハリーの名前が逆だったらどうだろうか。
もしくは、マルフォイとハリーの名前が逆だったら。
とってもおかしなことになると思う。
ダンブルドアという濁点が入ったどこか威厳を感じさせる名前と、ハリーという親しみやすい名前。マルフォイというどこがとははっきり言えないけれど、悪役っぽい名前。

ちょっと外に目を向けてみると、
ロード・オブ・ザ・リングのガンダルフやディズニーのマレフィセント。

なんとなくそれぞれ、役所と音が似ている気がする。  

 劇中の役割にぴったりで、いかにもという感じがする、それらしさ。
それまで書かれてきた物語に出てくる主人公、悪役、威厳ある人物の名鑑の集積を研究したうえでの決定かもしれない。  

そうだとしたら、気が遠くなるような丁寧さだ。ますます敬服してしまう。  

 何かが好きになると、それに関連するものまで芋づる式に引っ張りだして眺めてみることが好きだった。意味もなく。

でも、そこには確かに意味があったのかもしれない。




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