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【基礎教養部】発達障害「グレーゾーン」-その正しい理解と克服法-

この記事は基礎教養部の活動の一環として書かれたものです。同じチームのimadonさん、あんまんさんの追加note記事及び書評を読んで頂けると嬉しいです。

私は、これまで自分自身のことを発達障害の傾向があると疑ったことは無い。というのも、これまでの人生の中で、発達障害という文脈における「生きにくさ」を特段感じてこなかったことが要因である。
そんな私でも、これまでも診断がつかない、いわゆる「グレーゾーン」の人々の存在は認知していたし、グレーゾーンという状態が当人にとってはとても辛いだろうという想像はできていた。
本書を読み、1番驚いた事柄は自分自身が発達障害という言葉を良く知らなかったのだということである。本書の筆者が精神科医であることからか、本書中では発達障害における症例をタイプ別にまとめてその特性について詳しく説明を加えているが、そのタイプ分けがかなり多岐に渡っている。その中でも診断名が同じであっても全く違う特性を持つ人々が存在しているという。
それほどまでに1つ1つの症状を捉えることは困難であり、グレーゾーンであることを的確に理解・認知することは果てしなく難しい。

例に漏れず今回も本note記事で自分語りをすることになるが、私も周りより著しくできないことがある。
それは、起床である。時間通りに起きること・起床時間をコントロールすることが本当に全くと言っていいほどできない。それの対策方法として目覚まし時計やアラームも万全にセットしたつもりであっても、寝ている最中にほとんど聞こえないということがある為、ほとんど無意味なものとなってしまっている。しかし、不気味なほどにすっきりと起きることのできる朝もある。特に厄介なのは、私が自分の意識がないままに眼鏡をかけて会話をしたり、返事をするらしいということだ。ごく親しい間柄の人(家族など)はこのことを知っているが、他の人にとってはとても判別が難しいらしい。起きているか起きていないか判別が難しいことと、起きる時間のコントロールが効かないことが日常生活に大いに影響をもたらしている(もたらし続けている)。

正直なところ、この「起きる時間をコントロールできない」という自分の性質は、これまでの自分の人生において大きな障壁になってきた。この性質は自分自身好ましくないと考えているし、世間一般から見れば許されないと思っている。実際に、起きれないことで遅刻や無連絡での欠席をしてしまった経験があり、厳しくお叱りを頂いたこともあった。当然、その度に反省をするのだが、根本的な解決に繋がることはほとんど無かったと言って良い。
その為か、一時期は寝ることが少し怖くなってしまい、大切な用事の際に徹夜をすることで臨むこともあったが結局長続きするものでは無かった。

ついぞ現在に至るまで病院に行って実際に診断を受けたことは無いが、起立性調節障害の一種(若干の夢遊病)なのだろうと考えている。その意味で自分もグレーゾーンの1人と言えるのだろう。
私も実際に、診断がつかないグレーゾーンのような状況下にあった訳だがその苦しさは確かに感じた。診断名がつけば自分ができない理由に根拠を見いだすことができるが、診断名が無ければ本人の甘えと言われてしまう。私自身も家族から「起きれないのは気合いが足りない・甘えている」という声がけをされることが多かったが、起床をコントロールすることと気合いの関係の意味が全くわからず衝突してしまうことが多々あった。
全ての事柄に言えることだが、できる人はできない人の気持ちを分かることは不可能である。それが発達障害であっても例外では無い。自分が容易にできるからと言って、相手も容易にできるのでは無いという本当に簡単なことはここから学んだが、グレーゾーンと言われる人の苦労はこの部分にあるのだろう。

本書で焦点が当てられているグレーゾーンには、病気として認知されない人々の苦しみがある。本書中には詳細な症例や対処法が載っているが、それ以前に「ある事柄をできる人はできない人の気持ちを理解することができない」という基本原理を思い出して欲しい。ただ、どちらの側の人間も解決と緩和に向けた探り合いをすべきであるのは忘れるべきでは無いだろう。

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