ジェイラボワークショップ第68回「数学史 上・前」

数学部によるWSのログになります。今回のWSは数学史をテーマにしたものになっており、数学を学んでいる人はもちろん、数学に深く触れていない人でも面白く読めると思いますので、是非ご一読下さい。
以下、ログになります。
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DAY1

◽️Hiroto

こんにちは。数学部WSの時間です。よろしくどーぞ。
今回のテーマは「数学史 上・前」です。
我々が読み始めた『数学の流れ30講 上』のうち、1-16講を扱います。
我々は要約とクエスチョンを投下しますが、皆さんはぜひクエスチョンの方に重きを置いて参加していただければと思います。座談会でもそっち方面で話を広げる予定です。
明日から投下を始めますが、一つだけオープンクエスチョン。
「数学を学ぶ上で数学史は必要か?」そして、一般に「〇〇を学ぶ上で〇〇史は必要か?」 ぜひ考えてご回答ください。

★Takuma Kogawa

一般論として、何かを勉強するときの背景知識として歴史に触れるのは自然であると思います。しかし、その歴史を体系的に学習する(歴史のみをたどる)ことまでは不要と考えます。人名がついた公式などは歴史とセットにして、そうでないものは最新の知見を学習するので十分ではないでしょうか。

★Hiroto

あくまでもサブ要素として歴史を学ぶ(ことに結果なる)ということですね。
世界史などは「歴史のみをたどる」ことになっていそうですが、これは不要ということになってしまうのでしょうか。それとも、メタ歴史というか、「世界史の歴史」みたいなものは不要ということになるのでしょうか。

★Takuma Kogawa

個人的には歴史学は不要かもしれないと思います。学校だと時間の都合で現代との接続のない教え方になることも少なくないと思います。それでは歴史を学んで何になるのかと考えてしまいます。歴史的なある対象(戦争や国など)について、他国ではどのように教えているのかという「歴史学の立場」に色々と触れるのは教育的と思いますが、カリキュラムに組み込むのは難しいでしょう。

★Hiroto

「歴史学の立場」を教えるには、その材料としてある程度の「歴史的事象」は知っている必要があり、やはりそのためにも歴史の授業は必要そうですね。

数学には「圏論」というめちゃくちゃメタな理論があります。圏論を圏論としてのみ理解することは可能なのですが、「で?」となるくらい抽象的です。これは具体的な視座に下すことで初めて意味が分かる類の議論なので、色々具体的な対象を知っていることが求められます。

人間は阿呆なので、具体的に遊んでこねくり回せる材料がある程度あったほうが楽なのでしょう。

★けろたん

学史を学ぶこととと学問を学ぶことの違いについて:
雑な話をすると文系=対象は人間、理系=対象は自然、と分類できると思います。チョーざっくりですが、文系学問はダレダレがナントカと言った、の歴史的な順序が体系の論理的な発展と密接に関わっているのではないかと思います。「ダレダレ」の固有性を抜きにした客観的な理屈の体系を作ろうとするのが理系、という言い方もできるかもしれません。
人間は過去の出来事を知り未来予測の逆張りができますが、このことがミクロには人の営みを分析するときに再現可能性をあてにできない理由かなと思います。

★Hiroto

人がネームドキャラとして現れるのは文系に確かに顕著ですね。
理系の研究は非常に泥臭い人間的な部分があるのに、アウトプットとしてはその部分をある種「隠さなきゃいけない」ねじれがあると思います。数学はなおさらです。
ブルバキはそれを極限まで推し進め、岡や小平はそれに反発したという流れですね。

「未来予測の逆張り」みたいな話は、いま『ホモ・デウス』を読んでいるのでとてもタイムリーです。

★コバ

Q:「数学を学ぶ上で数学史は必要か?」そして、一般に「〇〇を学ぶ上で〇〇史は必要か?」
A:まず歴史というのは現在から見た過去の事実(とされていること)と定義できると思います。その過去の事実は文字や物が資料として裏付けとされています。ただそれら個別では「歴史」と言えるほどの時間的な幅を持たせることはできないので、それらを「歴史」として繋ぎ合わせようとする者の想像がその資料と資料の余白を繋ぎ合わせて「歴史」が作り上げられるのだと思います。
そうであれば〇〇学と言われるようなボリュームのある学問を学ぶ際には当人が意図せずとも(要、不要を意識せずとも)その〇〇学の〇〇史を学んでいることになります。学問とは先人達の積み重ねの上に成り立っているものであり、その積み重ねとは現在から見た積み重ねであり、それは上で述べた「歴史」の構造と重なる部分が多いと思います。

Q:人類が明日から10進法以外を使わなければいけないとして、強いて言うなら??
Q:過去の数学に「地域性」があることはわかった。では、現代数学について「地域性」は、、、
A:言葉というのはそれを使う人々にとってのアイデンティティに大きく影響します。もし地球上から日本語が消滅したとすれば、それは日本人がこの地球上からいなくなることを意味するはずです。
日本語は自然言語で数学は人工言語であるということを差し引いても、10進法がこれだけ社会に広く根付いている現代において人類が2進法と60進法のどちらを使ったほうが良いのか判断することは容易ではないでしょう。そう考えると地域性というか、現代数学(現代の我々が広く「数学」として認識しているモノ)に対する身体性(頭での理解だけではなく表出される行動レベルにまで根付いている性質)は我々に内在しているはずです。

★Hiroto

・前半について
学問そのものは、歴史の軸と因果(論理)の軸の二次元的なものと考えられます。(自然科学の)論文はその因果の軸への射影で、○○史はその歴史の軸への射影ということなので、僕としては○○史も重要視していきたい感があります。論文(因果の一次元的情報)から、元の二次元的な「学問そのもの」を想像の上で復元し、歴史を感じることはできるでしょうが、そのような従属的・付属的扱いを超えた歴史観をもっと推していきたいという感じです。

・後半について
さすが、『認知科学』を読んできた仲間という感じがします、、、!同意見です。
座談会でも述べましたが、「算数的」なところと「超専門的」なところで、その人の文化とか個人性とか内在しているものが発露するのだと考えて(信じて?)います。


DAY2・3

◽️Hiroto

今日から三日間担当しますHirotoです。よろしくどーぞ。
今日は1-4講の要約を投下します。ちょい長ですが、「へぇー」と読み進めてください。

第1講 水源は不明でも
数学は、アウトプットされた結果に歴史が反映されていない。これは「文明」と対比される。「文明」は、人間の進歩の歴史と不可分である。
数学は「文化」であり、固有の時間を持っている。それは哲学や人文科学や芸術と同じである。
しかし、数学の特異なところは、「文明」の代表である科学技術の礎として機能しているところである。数学は、「文化」と「文明」のはざまで、川のように合流と分流を繰り返して流れている。
古代数学の記録が残っているのは、数を刻んだ素材の影響でエジプトとメソポタミアだけであり、その二つの議論から本書は幕を開ける。

第2講 バビロニアの数学
バビロニア(メソポタミア)の数学は60進法である。なぜ60か?約数が多く便利だからだと言われている。
楔形文字で数は表現された。
バビロニアでは、この数を使って、加減乗除がなされ、小数表記が存在した。分数の考えはなかったようだ。
これらの道具を用いて、現在で言うところの1次(連立)方程式や、2次方程式(面積に関係)が解かれた。
バビロニア人が実際問題数学を必要としたのは以下の場面である。
・金銭について:単利計算と複利計算
・商業について:利益、損益の計算
・相続について:土地の分割の割合など
・労働について:給与に関する計算や、仕事の割り当て
・土木作業について:基礎工事のときの測量、堤防、貯水池などの計画、築城などに現れる城壁の傾きなどの設計
・その他:面積や体積や重さの計量、単位変換
数学に遅れて、天文学もバビロニアでは発展した。そこには幾何学的な天体モデルはなかった。

第3講 エジプトの数学(Ⅰ)
ナイルの治水作業が、幾何学の発祥となった。(メソポタミアは代数学)
エジプトの数字は10進法。ただし、位取りの考えはなかった。それに対して、バビロニア(メソポタミア)には位取りがあった。一長一短。
計算は、掛け算が独特。2倍2倍、、、を繰り返して足し算に還元。割り算も同様。2進法の考えを使っていたと言える。この「2倍法」は、ローマ数字での計算でもよく用いられた。
エジプトの幾何学は、概念的なものというよりも測量メインだった。

第4講 エジプトの数学(Ⅱ)
位取りもないからか、小数もエジプトにはなかった。
分数は、分子が1の単位分数のみ(あとなぜか2/3)があった。
リンド・パピルスという書物が、古代エジプトの数学を知る上で重要である。その中では、
・分数を単位分数に分ける方法
・文章問題
・分数の計算
が載っている。
エジプト人は正確さを好む。ピラミッドの精緻さを見ればよくわかる。エジプトの幾何学は実用に寄っており、抽象化はなされなかった。幾何学の学問化には、ギリシャの思想的背景が必要だったのだ。

主な対比
・メソポタミアは60進法、エジプトは10進法。
・メソポタミアには位取りがあり、エジプトにはない。
・メソポタミアは算術。エジプトは幾何(実用)。

質問
人類が明日から10進法以外を使わなければいけないとして、強いて言うなら??

エジプトとメソポタミアでは進法が違います。これは非常に恣意的なもので、10進法にほぼ統一された今、それに自覚的になることは非常に難しくなっています。そんな自分の「偏見」を踏まえ、答えてみてください。
理由もぜひ。

(長いものと短いものの代表として二つの数字を挙げています。2と60であることに「恣意性」はありません。)

★imadon

生活に紐付く数字を全て2進法で現そうとすると文字(数字?)列がめちゃくちゃ長くなってしまって、空間的に窮屈になりすぎると思います。コンビニの値札とかの視認性が終わってしまいそうです。
それならまだ60進法のほうが慣れやすいような気がします。
ただ、非常に月並みな俗説として「人間が10進法を使うのは指の本数が10本だったから」みたいなことも聞きますし、例えば教育の段階で60進法を使うと子どもが計算を身につけにくいのかなという気もします。(指を折って数えられないという意味で)
正直10進法が染み付きすぎていて、これを捨ててしまうとどうなるのか想像もできないです。

★Hiroto

僕も60進法派です。文字(特に漢字とか)は意味を「凝縮」するところに人間的な価値があると思っているので、2進法は無駄に長く使いづらいはずです。

10進法が染みつきすぎているということをメタに考える時間は、非常に貴重なことと感じます。そして、これは10進法に限らず、自分の持つ偏見のフィルターを再確認する良い機会になりうるのではないでしょうか。


★イヤープラグさざなみ

「数学と数学史の関係は、寿司とわさびの関係に似ている」というのを聞いたことがあります。わさびが無い寿司も美味いけど、あったほうがより美味しいです。そして、わさびだけを食べることはしません。

★Hiroto

聞いたことなかったです!出典覚えていたら教えてくれると嬉しいです。
Takumaさんへの返信と似ますが、いわゆる歴史(世界史)とかはわさびオンリー学問ということなのでしょうか。

★イヤープラグさざなみ

高木貞治の言葉(らしい)です。私はMT氏が動画内でそれを紹介しているのを聞きました。「数学史わさび説」が高木氏のエッセイのひとつにあるらしく、それがどこかの本に載っているみたいなんですが、どの本かはまだ特定できていません。

★けろたん

60進法と答えたのですが、漢数字は10進法ととても相性がよさそうなので漢字文化圏は漢数字で頑張っていくようになったりするのかなと思いました。(数と数字の区別を雑に扱っていてすみません、、、)

★Hiroto

漢字の意味の凝縮性みたいなところは、この議論と非常に並行して語れそうなので、漢字を持ち出してきたのは自然なように思えます。

数と数字の区別というのもなかなか面白い問題で、数学史や認知科学をやる上では、数学者があまり(表面上は)議論しない「数字」の方にフォーカスすることが多いです。ので、新鮮です。

DAY4〜6

◽️イヤープラグさざなみ

こんばんは、担当は変わりましてイヤープラグさざなみです。
今晩は第5講~第8講の要約を投稿します。

第5講 古代ギリシァ
学問がはじめて人間文化の中心に置かれ、数学のみならず哲学も花開いたギリシァ。世界の本質や万物の根源を巡る思想が展開される中、タレスやピタゴラスによって数学が芽吹き出す。同時期にはツェノンのパラドクスも登場する。
◎タレス(B.C.624~B.C.548)
測量によって土地に刻まれた三角形ではなく、「頭の中の三角形」を用いてその諸性質を明らかにした。

第6講 ピタゴラス
秘密結社「ピタゴラス教団」で有名なピタゴラスは「万物は数である」という言葉を残し、宇宙の構成原理を数に求めた。教団のキーワードは音楽と数、そして宇宙の調和である。きれいな和音が弦長の整数比で与えられることを発見した他、完全数・友愛数など、ひとつひとつの数そのものの特徴を見出した。襲撃を受けて教徒がギリシァ中に四散し、結社の教えが外に広まることになった。
◎ピタゴラス(B.C.570~B.C.490頃)
ピタゴラスの定理を図を用いて証明した(長さと面積の融合)。

第7講 ギリシァ文化と数学
各文化が持つ文化的な特質が、そこで生まれる数学を決定する(数学の地域性!)。「視覚依存文化」であったギリシァでは「数」も「量」も図形の中の点や直線として視覚的に捉えられた。そしてそれらをイデアの世界に昇華させて証明をしたのだ。幾何学発展の礎である。

第8講 アテナイと数学者たち
口頭でのコミュニケーションが尊重され、あちこちで活発な議論が巻き起こる黄金時代のアテナイは、ギリシァ数学の中心地であった。当時人びとの関心を集めていたのは、三大難問と呼ばれる作図問題である。

当時のアテナイ市民は識字率が低く、著作によって自身の思想を伝えることは殆どなかったそうです。話し合いこそがコミュニケーションの主たる手段でした。そこで今夜はクエッションを一つ投げかけます。

Q. 数学の議論は口頭のコミュニケーションに適していると思いますか?

適している/いないとすればそれはなぜなのか、又、数学以外の話でも構いません、どんなコメントでもお待ちしています。

★imadon

素朴な意見として、「筆記」試験のために数学を勉強してきた身としては、聴覚言語のみによって数学の議論をするのは今となっては不可能なような気がします。。多分高校数学における定義の確認くらいしかできません。

日常会話と数学の議論の最大の違いは論理の厳密性だと思います。厳密に論理展開するなら仮定を正しく把握している必要がありますが、それを口頭で擦り合わせること、記憶しておくことの難しさはジェイラバーの皆さんなら身に染みていることかと思います。
あとは、本来論理に時間的な順序は関係ないのに、口頭でのコミュニケーションは「順序」にめちゃくちゃ束縛されるのも大きいと思います。紙に書いてあれば、ある程度「同時」に主張を把握できるので。
当時のアテナイの人々の議論を真横で聞いてみたいです。

★イヤープラグさざなみ

確かに、口頭のみで人と数学しようとすると、ファーストステップである仮定の共有の段階から苦労しそうです。数学は高度になるにつれて前提の量が多くなり、また紙に書いてあっても内容を理解するのが難しくなってくるので、それを記録なしに口&頭だけで処理するとなるとどれだけ大変なんでしょう。

「本来論理に時間的な順序は関係ないのに」と言う部分をもう少し詳しく聞きたいです。例えば、数学書に書かれた定理の証明は、どんなときでも1行目から読み始めます(内容の把握に時間がかからなかったとしても、厳密に「同時」ではない)。Aを仮定するとBが言える。Bを言い換えるとCである。Cを言い換えると...というように、流れを追って主張を把握していくことは、時間的な順序と関係がありませんか?

DAY7・8

◽️イスツクエ

担当変わりました、イスツクエです。まず第9講~第12講の要約です。


第9講 ギリシャの数学者たち
〇アンティポン
円積問題に対し「とりつくしの方法」を導入した。円に内接する正n角形のnをどんどん大きくすればいずれ円に近づくというものだ。しかし「無限」という概念を含むため容認されなかった。
〇アルキュタス
タラスの政治家で将軍となって軍隊を指揮したこともあった。算術、幾何学、球面(天文学)、音楽の4つを数学的科学として体系づけた。立方倍積問題に取り組んだ。
〇メナイクモス
円錐を母線に垂直な平面で切ると楕円、放物線、双曲線が現れることを発見した。立方倍積問題は放物線と双曲線の交点として求められることを示した。
〇ヒッピアス
円積線というものを発見する。これは座標平面上でxとyの代数的な式では表されず、超越曲線とよばれるものになる。これを用いると角の三等分線が求められる。

第10講 『原論』の成立
原論は聖書に次いで多くの世界に行きわたり研究された本だとされている。原論によって数学の枠組みが定義、公理、命題、証明という形で定められた。原論を完成させたユークリッド(B.C.306~B.C.283)についてははっきりしたことは知られていない。原論はそれ以前からはじめられた数学の概説書を著わす仕事が何度もかきかえられて、最後にユークリッドが総括し完成させたと考えられている。

第11講 『原論』第1巻
第1巻では23の定義、5つの公準、9つの共通概念が記されている。1つ目の定義は「点は部分のないものである」である。定義とは私たちの考えではそれによって対象が明確に規定されるものだがこれはそうではない。アリストテレスによれば、定義とはそれが存在するかどうかについては何も語らない、ただ理解されることだけを要求するものである。ユークリッドはアリストテレスの哲学に影響を強く受けていたのであろう。5番目の公準は「平行線の公理」と言われるものである。1から4の公準は満たすがこの第5公準だけは成り立たない全く別の幾何学、非ユークリッド幾何学なるものがあることがロバチェフスキとボリヤイによって示された。

第12講 『原論』の構成
ギリシャでは量と数は同一視され数は線分の長さとして表されていた。二次方程式の解き方も幾何学的に与えられている。5、6巻では比の理論が展開されている。ギリシャでは分数という考え方はなかった。7、8、9巻では数論が主題になっている。ユークリッドの互除法や等比数列の和の公式に相当するものが記されている。10巻では無理量について論じられている。この10巻は『原論』のなかでもっとも完成された部分であると言われている。11、12、13巻では立体幾何、正多面体などについてまとめられている。

質問1
ユークリッド幾何学の定義や公理は完全なものであるか?

質問2
合理が別のものであった場合、現在の数学はどのように変化すると考えられますか?

★Hiroto

(あえてこの場で聞くのが他部活部員の方にも有意義だと思ったのでこの場で聞きます)
クエスチョンへのクエスチョンなのですが、
「完全」の定義はどういったものでしょうか。イスツクエさんなりの言い換えを教えていただけると助かります。

★イスツクエ

すみません、確かに深く考えてませんでした。その公理では定理などがもっとも簡潔に表されるというイメージです。

DAY9〜11

◽️あんまん

第13講 ヘレニズムの開花

アレクサンダー大王はエジプトの王ファラオに着いた後、ナイル川河口のデルタ地帯に、アレクサンドリアの都市建設を始めた。これを機に、ギリシャ文化がオリエント、エジプトからさらにペルシャ、インドへと広がり浸透してゆくこととなり、さまざまな文化の融合が行われた。こうして生まれた新しい文化をヘレニズム文化という。
アレクサンドリアでは、プトレマイオス一世により、ムセイオン(王立科学研究所)とその付属の大図書館が設立された。ムセイオンは今日のアカデミーの先駆けとなった。

三角形の面積を辺の長さから求める「ヘロンの公式」でよく知られるヘロンはヘレニズム時代の人物である。同じく、パッポスもヘレニズム時代の数学者である。パッポスの著書『集成』は『原論』の注釈書であるだけなく、幾何学に関係するいろいろなことが自由に取り上げられている。実は、『集成』が作成された時は、ユークリットの『原論』が出てから500年以上の長い年月が経過している。500年もの時を経て、『原論』みられる固い近寄り難い枠組みは、ここでは完全に取り払われた。


第14講 アルキメデス

アルキメデスの数学の関心は『原論』で示された数学とは全く異なる。イデア的なものは消えて、動的な考えで近づかなければならない数学の対象があった。
アルキメデスは、機械学的な釣り合いの考えに導かれて、図形の要素をそれと釣り合うもっと簡単な図形の重さ(分銅)に分解して測るという方法を、幾何学的に整えて、「とりつくしの方法」と呼ばれるものを発明した。アルキメデスの時代には「無限概念」の導入はなされていなかったが、区分求積法によって図形の面積や体積を求める定積分の考えにつながるものであった。

補足資料としてヘロンの公式を載っけておきます。余裕がある方は参照してみてください。今から2000年も前の人物が証明したものだと考えると私は胸が熱くなります。

問1.ヘレニズム文明では、無限概念が忌避された。神はこの世で最も偉大で全知全能であるという視点から考えると、無限を発見することは神の発見に繋がる一歩に見える。では、どうして無限の概念が忌避されたのだろうか?また皆さんには無限が怖いという感覚はありますか?

★Hiroto

無限が怖いという感覚はありません。ただ、神秘性を感じるかという問いであれば答えは「はい」です。
「寝る時、自分の意識が消えてしまうのが怖い」という感覚はわかりませんが、「寝る時、自分の意識が消えること(そして起きたら復活すること)に神秘性を感じる」ことはあります。

詰まるところ、自分の思考の外側のものについて、言語化できない魅力は感じるものの、怖さを感じることはないようです。むしろ、思考の内側にある可能性の中に怖いものはたくさんあります。

DAY12・13

◽️あんまん

第15講 アポロニウス

アポロニウスは円錐曲線(楕円、双曲線、放物線)の性質を徹底的に調べ上げた。アルキメデスが、定規とコンパスのよる作図によって図形の幾何学的性質を取り出すだけでなく「とりつくしの方法」によって面積や体積などの図形の内在的な性質に深く立ち入ったのに比べると、アポロニウスはギリシャ数学が幾何学を通して得た究極の高みという場所に立って思索を続けた。現在では円錐曲線の性質は2次式の関係として台数的に式の変形や、変数の入れ替えなどを使いながら標準的な形に直して調べることができるが、アポロニウスはそれを全て幾何学的な考察から導いている。そこに、『原論』を超えてさらに歩みを進めていったギリシャ数学のゴールが見える。

17世紀になって、デカルトが座標平面上では平面曲線は座標(x,y)の式として表されるという考えを明らかにしてから、曲線の幾何学的性質は代数を用いて調べられるようになり、解析帰化という分野が発展した。アポロニウスの円錐曲線論は解析幾何の主要なテーマとして包括されていった。アポロニウスは紀元前200年ほどの人物であるから、それまで1800年もの間アルキメデスの数学も、アポロニウスの数学もそれ以上大きく発展することなく手付かずのままであった。

第16講 ディオファントス

ディオファントスの数学は、与えられた方程式を満たす道数をどのようにして求めるかという関心だけ向けられている。ギリシャ数学の中にあった形相やイデアの世界へとつながるようなものは何もなかった。ディオファントスの解き方は、図形を見て幾何学的に考察するようなものではなく、一つ一つの場合に即して、非常に技巧的なものであり、体系化できるようなものではなかった。また、算術的な面が強く、数論への道を拓くものとなった。

ギリシャの詩華集のなかで、ディオファントスの障害について次のような諷刺詩が乗せられている。「ディオファントスは一生の1/6を少年時代として過ごし、髭は一生の1/12より後にの日、さらに1/7たったのち結婚した。結婚して5年後に息子が産まれた。息子は父の半分しか生きられなかった。父は息子の死から4年後に一生を終えた」ディオファントスは何歳まで生きたでしょうか?

DAY14

◽️Hiroto

我々からの投稿は以上になります(クエスチョンへの回答はするかも)ので、引き続きクエスチョンへの回答等お願いします。

夜締めます。

★イヤープラグさざなみ

「存在する、存在しない」の問いでいつも思うのは、「存在しない」と言うためには「存在している」ことが必要ということです。ただ「存在していない」と言っても、「何が」存在しないのか、ってなりませんか?

★Hiroto

『論考』に影響受けすぎてなんか申し訳ないですが、それはその通りだと思います。
「○○が存在しない」と言う言明はナンセンスということですね。

★けろたん

「無限」(=「限りが無い」) 概念だけを対象にすれば、物理世界や概念的な構築物に「限り」が存在しているのは確かっぽいので、それをなにかしらの意味で否定するのは可能ではないかと思いました。が、今度は「限り」とはなにかが問題になりますね。個別具体的な制約や制限が、なにをどう「限る」点において「限り」一般が存在していると言えるのかはよくわかりません。
(あえて、一般的な問として存在する、しないにコメントしておられるのでそれに対する意見としてはめっちゃクソリプ的かもしれないと自分でも感じています。すみません。)

追記:
単なる否定文と「Xが(存在し)ない」という言明は別物だ、という指摘であるとHirotoさんのコメントを読ま(め?)ずに↑のコメントを書きました。ヴィトゲンシュタイン的な文脈がよくわからずにぽっと書いたのでミスっていたらすみません。

★imadon

「存在する」と「存在しない」はジャンルが違う気がするな、とちょうど最近考えていました笑
「存在する」は(僕たちの意識を認めるかぎり)無条件に言えますが、「存在しない」は何か特定の範囲を定めないと言えないと思います。
何も範囲を定めなければ、僕たちが認識している限りのものはすべて「存在する」と言えそうです。
僕はまだウィトゲンシュタイン氏の書籍に触れられていないので、的外れでしたらすみません。

◽️Hiroto

『無限と神』『論理と時間』『ナンセンス』、結局ここら辺に行き着くのがジェイラボ最高だと思います。

ここらへんについては部長総括で書きます。ぜひご一読を。

色んなご意見ありがとうございました!また次のWSでもよろしくお願い申し上げます。これにて数学部WS終了です!

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以上がログになります。
数学史をしっかりと取り扱う事は、数学を専門に勉強している人でもあまりないと思います。今回のWSをきっかけにして数学と自分自身のスタンスという関係について考えて頂けると嬉しく思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

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