iPhoneが死んだ日
iPhoneが壊れた。寝ようとした矢先に、何の前触れもなく。
負荷のかかることはしてなかった。
なのに突然電源が落ちて、アップルマークと再起動をくり返す、いわゆるリンゴループ状態に陥った。
以前ipod classicもこの状態から再起不能になったことがあるから、なんとなく嫌な予感はしつつも、まだいけるだろうと思ってとりあえず再起動を試みる。
だめだ。全然だめだ。焦りが絶望に変わった。
とりあえずPCを立ちあげてitunesインストールしてググって出てきた通りにバージョンアップデートをしてみる。
これで復活できれば、中のデータは消えずにバージョンを更新して再起動してくれるらしい。
この時点で夜3時。
どうでもいいけど、私は新生活に向けてそろそろニート脱出しないといけないので、絶賛夜型回復中であり、こんな、たかがスマホの不具合に悩まされてる場合ではないのだ。くそイライラする。
しかもこの更新作業、3GBのデータをDLするだけなのに5分待っても全然終わらない。もうだめだ、外ではカラスが鳴いてる。
とりあえずDLを終え、最後の希望をワンクリックにかけて「復元」を押す。
「ソフトウェアを抽出中」だの、「更新を確認中」だのメッセージがでて、iphone上に更新中のあの横のバーが、出る…!!!
動け…動けよ…今動かきゃ何にもならないんだ!!進めよそのバー!あ、今1mmくらい進んだ気する、進んでる、いってる、これ、いけるで!!!
いや、いってね~~~…!!!
「iPhoneを復元できませんでした。不明なエラーが発生しました (9)」
(9)って何やねんしばくぞ。
その後何回試してもどうにもならず、予約して某サービスプロバイダに行ってきた。
春休みのショッピングモール。字面だけで気が狂いそう。
おまけに店についたとき、民度最低レベルの客が大声でスタッフに罵声を浴びせていた。
それを横目に列に並び、受付でちらっと見たら予約票にずらっと並ぶ「画面割れ」の文字。
いやいや、画面割ってる場合ちゃうぞと。
こっちは傷一つないのに再起不能やぞなめんな。
しかし担当者のクソジジ…年配の店員さんに私の堪忍袋の緒が切れる。
現状を伝えてバックヤードで復元をしてもらうも、エラー(9)は変わらない。
すでにこの時点で、写真データが消える喪失感で思考力を失っていたので、金を払って交換か修理する気でいたけど、そのジジイの一言についカチンと来てしまった。
「はい、もうだめですね。交換になります。アップルケアにも入っていないようなので36000円です」
も う だ め で す ね 。
それ、喪失を経験した人間を目の前に言うことか?
お前、人の葬式でも同じこと言えんの?
何がだめなんだ?
店内の有線で、氷川きよしが「大丈夫!大丈夫!」と叫んでいる歌が流れている。ギャグだ。
別に私はその店員に一緒に悩んでほしかったわけでも慰めてほしかっわけでもない。
でも、無表情のままお前のスマホは死んでいるなんて無責任な言葉を投げかけるクソジジ…店員に修理費を払う気にはなれず、ブチ切れて帰ってきた。
その後近所のiphone修理店にも行ってみた。正直こういう店はあんまり信用してなかったけど、ギャル店員が症例を調べながら親身に話を聞いてくれる。
結果、このエラーはどこもお手上げらしく、バックアップもひっぱりだせなくてどうしようもないらしい。
どうしようもないか、そうかあかんか…。ようやく諦めがついてきた。
でも私はやっぱり諦めが悪いので、帰ってAppleサポートのチャットにエラー9の内容と、どうにかデータ復元できないか聞いてみることにした。
このサポートチャットは、どこの国の担当者か知らないけど、明確で丁寧に状態を確認してくれた。
そして私の言葉に繰り返す「そうだったのですね。」という傾聴言葉。
これ、魔法の言葉だ。
「写真はどのくらいあったのですか」「どんな写真ですか」「長い間撮っていた写真が消えてしまうと悲しいですよね」
そんなことまで言ってくれた。そうだよ、これだよ。すげえなAppleサポートチャット。
別にあのクソジジイの態度はどうでもいいけど、私はこの喪失感に寄り添って欲しかったんだ。
結局、データ復元できないという結果は変わらなかった。
でも、クソジジイのその後の人達が少しでもこのやるせない気持ちに寄り添ってくれただけで、私は救われた気持ちだった。
(Apple自体への怒りは収まってないが)
今までこのiphoneで撮った写真が走馬灯のように思い出される。
楽しかった旅行、ふざけた動画、死んでしまったうちの犬、病床の家族、前の職場、いろんな人たちの写真。
そして多分累計30万は課金してる推しのカード、というか金で買った絵。
人はつらいときに過去の思い出を振り返ってどうにか生きていけるものだと思う。
そして、その思い出がもう見られないということは、常に思い出を支えに生てきた私はここで死ぬのかも。でも、どうにかまだ生きているので。
別に殺されたわけじゃないし、思い出してもしょうがないし、過去とデータは帰ってこない。
そもそも、思い出は自分のなかにあるのに、写真が見れないからどうしたって?
写真をSNSにあげたりして変な虚栄心芽生えてない?ソシャゲもやめるいいチャンスじゃない?
スマホなんかに縛られず自由に生きようよ!!
乗換なんて調べず紙の時刻表見ようよ!!
だって、そう思わないとやっていけないから。
私がこのスマホとともに過ごした2年、そして前職の経験で学んだことは、この世に安定などなく人間の足場はすぐ揺らぐということ。
それにうろたえてあたふたしてたらだめなんだ。
最悪の状況はいつも突然やってくる。
そしてそういう最悪の状況に、過去の準備や備えは大抵役に立たない。
重要なのは今とこれからしかない。
だから、切り替えて今を生きるしか方法がない。
今はこんなに悲しくて涙も涸れ果ててもう二度と笑顔にはなれそうもないけど、旅行はまたたくさん行こう。いろんな写真を撮ろう。残された犬をかわいがろう。何もかも食べよう。写真はバックアップ取ろう。そしてAppleを信用するのはやめよう。
"大丈夫!大丈夫!大丈夫~~だよ~~~!"by 氷川きよし
https://www.youtube.com/watch?v=rOKYnx43_Gs
これまでの思い出が消えても、四月から良い新生活になりますように。
あと、失った36000円がどっかから降ってきますように。
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