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小さいころTVゲームがなかったおかげで…【17/365】

「家族とのコミュニケーションを増やす」を目的に、母親と今までの人生を振り返るブログを投稿しています。本日で17日目です。このnoteは、ライター 長男 / イラスト 母 / 各種ディレクション 妹で運営しております。

本日は昨日サボったため2本立てとなっております。1本は子育てに関して思うことをまとめました。2本目は自分の昔を思い出してみようと思います。

1983年に発売される任天堂の「ファミリーコンピューター」、通称ファミコンが我が家にはありませんでした。

一時期どうしても「ファミコン」がしたくて、自分の家にないから友達の家に「ファミコン」目当てで行きまくっていたところ、「ファミコンしまん亀谷」という何とも不名誉なあだ名を付けられてめっちゃ弄られていた思い出があります。

まぁ、でも今考えると、このあだ名もちゃんと人を見て付けていたんだなぁと感心する部分がありますね。

私は、中学・高校も寮生活だったため、平日はほぼテレビに触れない生活をしていました。そのいろいろな制約のおかげで、出来るようになったことが意外と多くあります。

今日はそんな思い出話を少し書きます。

小学生の頃は、田舎なこともあり、よく外で遊んでいました。縄跳び、一輪車、竹馬、コマ回し、竹とんぼとか昔からある遊びは一式この頃にできるようになっています。自然を使った遊びも、祖父に連れられて釣りに行ったり、自分たちでカブトムシ探しに行ったり、秘密基地を作ったりとこの当時にやるべきことは一通りやった気がします。

中学生の頃も、寮の中に持ち込める娯楽は限られているので将棋、麻雀、トランプ、けん玉、ペン回しなど、出来ることはあらかたやりつくしました。

せいくんの子供〜学生時代_210112

もう覚えていませんが、このころからやりだすと止まらない性格だったので、将棋とかけん玉とかはかなりのレベルまでやり込んでいたと思います。

では、TVゲームはやらなかったのか?

これが実はそんなこともなく、中学に入学してから試験の結果で親と勝負して、プレイステーションをゲットしました。

ただ普段寮にいて、家にいないので、新作のゲームが出ると土日に自宅に帰省して、24時間寝ずにゲームだけして帰るみたいな向き合い方になっています。

RPGとか、パズルものが好きで、寮にいる間はできないので、家に帰るまでに外部から情報を集め、帰ってからどうするかをしっかり準備し、家に着いた瞬間から寮に戻るまで、ひたすらゲームをやり込むというゲームスタイルだったと思います。

結果として、ゲームをできる時間は限られてしまうため、戦略的にゲームに向き合えたというのは良かった点だったのではないでしょうか?

身体が不自由だとか、遊べることが限られているとか、時間が限られているとか、私の小さなころは常に制約があったので、その中を工夫して生きていくマインドは、もしかするとこのころに植え付けられたのかもしれません。

制約があるから想像が生まれる。必要は発明の母。

上手に制約を設けることは、大人になってからも人生を楽しんでいくコツですね。

ゲームに関しては、やっていて良かったこともたくさんあるので、またそれは別の機会に書きたいと思います。

それでは、明日からお仕事頑張りましょう!亀谷家の長男でした。

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