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どうせ面白いを撲滅する運動:『近畿地方のある場所について』

聞こえは良くないが、しかし端的に言って、思うに「どうせ面白い」。というものを積みがちで、昨今寧ろ積まない方が珍しい情勢である。また、面白いものは往々にして心(mind/heart)への負荷が高く、疲れている場合など避けがちだ。そして、多少の差はあれ、疲れていない時などもうこの先ないに違いない。電池の充電MAXが80%を切ったスマートフォンみたいなものだ。今のところ、この体躯という檻を買い替えられる見通しもないわけで、導かれる結論としては、「どうせ面白い」収集品はシュリンクも剥がされぬままホコリを被るだけとなる。

とはいえ、「どうせ面白い」は「どうせ面白い(に違いない)」なのだから、箱を空けてみるまで「面白い」になるかどうかは不確定なわけで、そんな不明資産をただ山のように抱えていても詮無いこともまた理解している。ぼーっとしていては積み上がるばかりのそれらを、ある程度は意識して片づけなければならないだろう。誰のためでもなく、自分のために。

余談だが、わざわざ意識してこんなことに取り組まねばならないことが、着実に死に近づいている感じがして厭だなぁと思わなくもない。

※以下ネタバレ注意

そんなわけで、『近畿地方のある場所について』である。

山と積まれた中から何故これなのかといえば、辛うじてホラーの気分だったからだ。本作の「どうせ面白い」ポイントは、ある時期圧倒的にバズっていところであり、個人的には複数人からオンラインの連載を勧められたこともその点を補強している。買った本が読まない間になにがしかの賞を獲ったりすると、ああもうこれは(自分が)読まなくてもいいな、となる現象が「どうせ面白い」の周辺にあるが、本作は有名になってから書籍化されたものを購入しているので、軸をズラせた感があった。

読んでみてどうだったかといえば、「順当に面白い」である。仕掛けが巧く、連載の形式含めて流行るべくして流行った(流行らせた)のだろう。心の奥底にまで到達して抜けない、というような刺さり方はしなかったが、ホラーが好きという人にならまず勧めて間違いはないと断言できる。

映像ならばファウンド・フッテージと言えるような、雑誌記事、インタビュー、ネット掲示板の怪談を集めた体の形式で、はじめはわからなかった全体を緩く繋ぐ像の立ち現れ方や、断片に垣間見えるディティールの厭な感じがほんとうに巧いし、映像化しても映えそうだ(KADOKAWAだからやりそう)。物理書籍も、装丁、挿絵、表紙の写真、帯の文言までちゃんとしていてグッズ的な良さがある。

帯の「見つけてくださってありがとうございます。」について、読む前は「VTuberがたまに言ってるやつ?」みたいな寝ぼけた感想しか湧かなかったが、寧ろこれがあって完成するような、本作を象徴するようなパンチラインだった。ある意味で真のメディアミックスというか、読者まで巻き込んで侵食伝播するフックとして巧い。読み終わってはじめてタイトルや表紙の絵が完全なものになる、あるいはその意味が理解されるような構造は元来好みで、たとえば天冥の標シリーズでは、毎巻その仕掛けでゾッとしたり感嘆したりしたものだ。

全体を通して示唆される怪異の根源が、翻案されたコズミック・ホラーと読めないくもないところも良かった(読めなくもないだけで、曖昧にしているところが偉い)。佐野史郎主演のドラマ「インスマスを覆う影」を引くまでもなく、日本という土地とラブクラフトは存外相性がよい、というのがかねてからの個人的な見解だ。「インスマスを覆う影」はうらぶれた漁村とその排他性、血筋等の要素がぴったりとハマっていたが、本作は山である。山に対するある種の普遍的な畏怖の念みたいなものと、都市怪異譚が山裾の境界で溶け合うような舞台立てがうまい。異文化の人が読んでも、比較的新しい筈の祠が組木で作られていると示されて、それが何を暗示しているのかを察しにくい程度に、土地に根をはっているというか、土着的なところがそれらしさに拍車をかけている。

怪現象をよくよく調べてみたら底では繋がっていて、繋がっていることに気がついたころには自分もその一部である、というのはクトゥルフ神話を成す物語の定型とも言える形式で、そういう意味でも全体としてはラブクラフト的な語りが意識されているのだろうか。忌まわしい岩(「宇宙からの色」!?)、教団、呪文等の要素も補強材料ではあるが、とはいえネットロアの要素も負けず劣らずに強いので、何か確たるホラージャンルを描きたかったというより、捉えどころのない不気味な現象の伝播こそが核にあるテーマなのかもしれない。SIRENシリーズがクトゥルフ要素を一部引用しつつも、独自のホラー世界であるように。

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